高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

ここは極楽?

2010年10月24日 03時55分14秒 | ●地元・地域の“魅力”
会社を出たのが午後8時、最近としては珍しく早い時間に帰れました。


そして、この夜を待っていたような、嬉しい連絡が!

いつもの“高島平サロン”からお誘いがあったのです。

「牡蠣鍋」をやっているので、寄れませんかとのこと。

本当は昨夜寄らせてもらって、相談させて頂きたいことがあったのですが、終電と変わらない時間で帰ることになり、止む無く断念。

そうしたら、翌日に食事のお誘いです。

思わず昨日、仕事が遅くなったことに感謝したくなりました。


最近、“間”の良さをとても感じます。

昔でしたら、バイオリズムと云ったかもしれませんが、何かが違う気がするんです。

神のお陰?

う~ん、女神ぐらいにしておきましょうか・・・

神様でもバイオリズムでもいのですが、こういうお誘いを受けるのは嬉しいものです。

オーバーかもしれませんが、何か極楽にいるようです・・・


極楽で思い出しましたが、最近読んだ本で“地獄”と“極楽”の違いを知りました。

地獄と極楽の違いは、見た目は全く違いがないそうです。

まだ読んでる最中の本に書いてあったのですが、臨済宗のある法話からの話です。


禅宗の厳しい修行に明け暮れる雲水が、ある時、老師にその違いを聞いて、こう言われたそうです。

「どちらも、広い部屋の真ん中に釜があり、中でうどんが煮えている」

「釜の大きさも、それを取り囲む人数も、各自の前につけ汁を置いてあるところも、全く同じ」

奇妙なことに、各人の箸の長さが1mもあり、それも同じなんだそうです。

「どちらも、その箸の端を持ち、釜のうどんを取って食べなければならない決まりになっておる」

雲水に向かって、老師は話しを続けます。

「長い箸を握ってうどんを釜から取り、自分の前のつけ汁をつけるまでは、どちらも同じようにできる」

「ところが地獄の人たちは、どうしてもそれを食べることができない。われ先に食べようとするのだが、箸が長すぎてうどんが口に届かないのだ」


「それは極楽でも、同じことではありませんか?」

雲水は尋ねます。

「それが、違う。極楽では、自分の長い箸の先のうどんを、向かい側の人に食べさせてあげるのじゃ」

「すると向かい側の人がお返し、やはり長い箸でこちらの口へうどんを入れてくれる」

「そうやって、みんながうどんを食べることができる。その点だけが、地獄と極楽の違いなんじゃよ」


この高島平でも同じようなモノを、見ている気になりました。

私がお付き合いさせて頂いてる方々は、いつも相手を気遣い、常に立ててくれます。

数いる?女神達は、喜んで自ら街のゴミ拾いに、参加してくれます。

こんな仲間とお酒を飲めば、例え安いお酒でも不味い訳がありません。


そして、不味いお酒になる方も、何人かいらっしゃいました。

手柄を独り占めしたいのでしょうか、やはり、長い箸で自分だけで食べようとしてました。

それも、人生の大先輩でありながら・・・


そんな人とさえ飲まなければ、この街は極楽のような気がします。

大体、地獄には女神はいないでしょうから・・・



コメント
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