【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

第二回「二百十日」俳句大会レポート

2018年09月01日 22時24分34秒 | 俳句大会
第二回「二百十日」俳句大会レポート

平成30年9月1日(土)、漱石の阿蘇を舞台とした小説『二百十日』を記念した第二回「二百十日」俳句大会が阿蘇内牧の山王閣において開催された。主催は「二百十日」俳句大会実行員会。昨年をこえる74名、計262句の投句があった。台湾からの投句もあり、俳句の国際化も身近に感じることとなった。俳句大会では講話と表彰式が行われた。
まず俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)が「漱石俳句のレトリック」と題して講話を行った。漱石が熊本時代に詠んだ千句あまりの俳句は「写生」「季語」「取合せ」「省略」「比喩」「擬人化」はもとより、「連想」「空想」「デフォルメ」「同化」などのあらゆるレトリックを使い、幅広い俳句世界を自分のものとしている。近年、熊本の小天を舞台にした小説『草枕』が注目を浴びているのは自由な小説の世界を構築しているからである。レトリックを駆使した漱石俳句も技巧的と否定することなく、現代の俳人もレトリックを多彩に使って、もっと自由に詠んでいいのではないか。私自身、漱石が言った「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」に倣って詠んでいきたいし、漱石俳句の特色を取り入れて、自由に作句してもらいたいものだと語った。
 表彰に続いて選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「源流は阿蘇の山々田代掻く 朝倉一敬」については阿蘇の伏流水を引いて行う田代掻くという表現に阿蘇の豊かな恵みへの感謝が表明されている。阿蘇市長賞の「カルデラにころがり落ちしはたたがみ 古荘浩子」はカルデラだからこそころがり落ちるという擬人化が成功している。阿蘇ジオパークガイド協会賞の「行けど萩京大火山研究所 若松節子」は上五が「行けど萩行けど薄の原広し」という漱石の俳句を下敷きにしていて、阿蘇の建物との意外な取り合わせに心惹かれる。熊本県俳句協会賞は「ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛 藤井蘭西」は阿蘇の御田祭になくてはならぬ白装束の女性の宇奈利を地元ならではの季語として取り上げ、行事を終えた後の安堵感を阿蘇訛に表現している。月刊「俳句界」文學の森賞の「余生なる阿蘇は相棒雲の峰 牛村蘇山」は残りの人生を阿蘇とともに豊かに送ろうとする人とその希望が雲の峰に象徴されている。

[選者賞]永田満徳 選
特選
源流は阿蘇の山々田代掻く
          朝倉 一敬
〔秀逸〕
余生なる阿蘇は相棒雲の峰
          牛村 蘇山
カルデラにころがり落ちしはたたがみ       
古荘 浩子
行けど萩京大火山研究所
若松 節子
ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛       
藤井 蘭西
〔佳作〕
阿蘇を背に一歩も退かぬ兜虫       
山田 節子
鮎を焼く父の荒塩化粧塩
中上ひろし
阿蘇の子の笑みころころと猫じやらし       
菅野 隆明
雨垂れがバケツ打ちゐる震災忌       
岡山 裕美
阿蘇谷の青田のそよぎ身ぬちまで       
松下美奈子
中・高・根子・烏帽子・杵島の岳淑気       
和田 信裕
夕映を畳む山襞阿蘇は秋
西田 典子
天涯に二百十日の二人旅
坂本 節子
帆のごとくわが白シャツや草千里       
加藤いろは
きちきちを飛ばして進む草千里       
洪  郁芬

漱石は熊本にいた4年3ヶ月の間に実に多くの体験をした。私的には結婚し長女をもうけたこと、五高教師としての仕事のかたわら俳句を千句あまりも詠んだこと、そして熊本や九州の各地を旅してまわったことなど。
明治32年の夏、第五高等学校の同僚の山川信次郎とともに内牧に泊まり、阿蘇神社に参拝し、阿蘇中岳登山を試みた。その旅そのままを詠んだ俳句が残っている。
朝寒み白木の宮に詣でけり
鳥も飛ばず二百十日の鳴子かな
灰に濡れて立つや薄と萩の中
漱石が日本文学に残した足跡は言うまでもないが、熊本での体験を俳句や小説に書いたことに地元の者として感謝と誇りをおぼえる。
(レポート・西村楊子)
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第二回「二百十日」俳句大会開催のお知らせ

2018年07月07日 12時00分37秒 | 俳句大会
第二回「二百十日」俳句大会のお知らせ ‼︎

【開催日】 平成三十年九月一日(土)         
 
  夏目漱石の短編小説『二百十日』の舞台は阿蘇です。
明治三十二年の夏、内牧に泊まり、阿蘇神社を参拝し、阿蘇中岳登山を試みました。

【募 集】 二句一組 何組でも可(用紙が不足の時はコピー願います)
・題 阿蘇 または 雑詠

【投句料】 二句一組 千円(投句料のない投句は受付致しません)
・郵便小為替 ・現金書留

【締 切】 平成三十年八月十日(金)(当日消印有効)

【投句先】 〒869-2301 熊本県阿蘇市内牧482-2
山王閣内 工藤方
        「二百十日」俳句大会係
    TEL:0967-32-0625(代表) FAX:0967-32-3592

【選 者】 永田 満徳
俳人協会幹事 俳句大学学長 俳誌「火神」編集長

【講 話】  永田満徳 【 漱石俳句のレトリック 】

画像:「二百十日」俳句大会投句要項
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大慈禅寺かわしり句会

2018年06月19日 06時25分33秒 | 俳句大会
大慈禅寺かわしり句会
― ジャンルをこえて楽しむ ―

今回はじめて「開懐世利六菓匠 お菓子ふれあい絵巻 春の陣 in大慈禅寺」(同実行委員会主催)と題して1月27、28日に大慈禅寺(熊本市南区野田町1丁目)においてさまざまな催しが開かれた。お菓子の実演、工芸菓子展示、お茶席、座禅、講演会、ミニコンサートなどがあった。
27日にはその催しの一つである「大慈禅寺かわしり句会」(同実行委員会主催)に実行委員のひとりとして参加した。当日は予想をこえて39名が句会に参加した。大慈禅寺法堂内でもコートを脱げないほどの寒さだったが、熱い意見が飛び交った。
句は座の文芸と言われる。本句会では座ならではの楽しみや学びが展開された。しかも俳句と川柳の枠をこえた句会として行われた。
選者も俳人協会幹事の永田満徳・熊本県川柳協会顧問の黒川孤遊両氏を迎えて画期的なものとなった。互選はもとより、互評会という自由な発言の場をもうけられたことも特徴である。俳句と川柳の違いをこえて楽しむことを目的とした雰囲気が感じられた。同じ音律をもつ文芸が座を共にすることができたことはこれからの両ジャンルにとって幸せなことだと前向きにとらえたい。
【各 賞】と選者の評
◆大慈禅寺賞
百態の仏に見られ背を伸ばす
 上村 千寿
 季語はないが10点という高得点を得た。吟行詠ならではの気付きに共感を得られた。
◆開懐世利六菓匠賞
冬天や菓匠の木型の黒びかり
 光永 忠夫
 木型の黒びかりが代々続く匠の歴史を物語り、冬天と響き合っている。
◆熊本県俳句協会賞
春を待つ少し濃い目のカプチーノ
吉岡 靜生
 カタカナ名詞が軽やか。これから春に向かう気分がよく出ている。
◆熊本県川柳協会賞
生きる音死ぬ音ひびく鐘の音
 黒川  福 
 人みな無言で受け入れる納得の句である。
◆月刊「俳句界」文學の森賞
開懐世利の春を呼び込む匠の手
北村あぢさゐ 
 この催しを明るく確かに表現している。
◆選者(永田満徳)賞
それぞれの轍交わる禅の寺
  黒川 孤遊
 寺の境内に入る車のそれぞれの轍に生き方を重ね合わせている。禅という措辞が季語の役割を果たして効いている。
◆選者(黒川孤遊)賞
日脚伸ぶ終の住処の話など
  眞渕富士子
日脚伸ぶという季語の斡旋が秀逸で、「など」という措辞にも共感できる。
〔高点句〕選外
梵鐘の一打一音日脚伸ぶ
           加藤いろは
禅僧の破顔一笑寒明くる
           永田 満徳
日ごろ俳句と川柳の両方を楽しむ者として、このレポートを書ける喜びを感じている。そしてわたしの周囲にはその両方を学び楽しむ仲間が少なくはない。共に始まりは同じ軽みの文芸である。今回はじめて俳句と川柳に触れた方も、これからも気軽に楽しんでいただけるなら幸いなことである。そして最近は外国語でも二行で書く取り合わせをもつHAIKUが広がりつつある。自分の世界に閉じこもることなく、短文芸の未来に目を向けたい。
(レポート・西村楊子)

参考

地元では大慈禅寺とよばれることが多いが、正しくは大慈寺という。この寺は夏目漱石と種田山頭火にもゆかりの寺である。
漱石の句に「大慈寺の山門長き青田かな」がある。五高教師としての在熊4年3カ月の間に訪れたのかもしれない。しかし現在は寺の周囲は家が建て込み、「長き青田」の描写は想像するしかない。
 また、寺の山門を入りしばらく進むと右に種田山頭火の句碑が建立されている。碑には「まつたく雲がない笠をぬぎ」と刻まれている。山頭火が得度した報恩寺(熊本市)の住職がのちに大慈寺の住職となったことから、山頭火を偲ぶ人々により昭和27年に句碑が建てられた。現在大慈寺は熊本地震で被害をうけて修復中であるが句碑は無事だった。
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漱石忌法要俳句大会

2018年06月19日 06時22分54秒 | 俳句大会
漱石忌法要俳句大会

平成29年12月10日(日)、夏目漱石第三旧居で「夏目漱石の生誕一五〇年」を記念して、くまもと漱石倶楽部主催の「漱石忌法要俳句大会」が行われた。
「漱石忌」200句、「雑詠」256句、計456句、93名の投句があった。
俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)の講話の表題は「漱石俳句と『草枕』」。漱石みずから『草枕』のことを述べている「俳句的小説」という言葉は従来触れられることが少ないが、文字通りの意味と重みを持っている。寺田寅彦などの門下生が標語している『漱石俳句研究』(岩波書店、一九二五、七)に見られる「俳句の方法」が『草枕』に応用されている。例えば、『草枕』のキーワードである「非人情」は「写生」から来ていること、各章がどこから読んでもよいように一句の独立世界であり、章末は「省略」が用いられていること、画工と那美の関係は「同化」で読み取れること。春の「季語」の多用、「取り合わせ」、「連想」などなど。言われてみれば、なるほどそんな所もあったなと思いながら傾聴することができた。
 特選・秀逸・佳作の表彰に続いて、選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「十六年添ヒシ猫死ス漱石忌 荒尾かのこ」については、猫の死亡通知はがきを出した漱石よろしく、愛猫の死亡電報仕立てがいい。後援者賞のくまもと漱石倶楽部賞の「良夜かな死にとうないと往生す 加藤知子」については、漱石忌法要にふさわしく、死に向かう人の気持ちを思い、「良夜」という季語で救っている。熊本日日新聞社賞の「猫なでて餅食ふ髭のよく動く 児玉文子」は、猫を可愛がっている人を細かく、面白く切り取っている。「俳句界」文學の森賞の「漱石忌本に値を付け客を待つ 河島一夫」は、自信を持って推奨できる本を前にした古書店主の姿から、給料の大半を書籍購入に費やした熊本時代の漱石が偲ばれる。

選者賞 「漱石忌」
特選
十六年添ヒシ猫死ス漱石忌
荒尾かのこ
秀逸
タグ付けしままの赤シャツ漱石忌
小室 千穂
漱石忌本に値を付け客を待つ
河島 一夫
陽だまりの黒猫孤高に漱石忌
坂本 真二
草語樹語猫語に鳥語漱石忌
仁田尾俊子
選者賞 「雑 詠」
特選
良夜かな死にとうないと往生す
加藤 知子
秀逸
猫なでて餅食ふ髭のよく動く
児玉 文子
かにかくに上辺じやないと海鼠言ふ
菅野 隆明
世は暗し明月に家の欲しきなり 
田島 三閒
まだ知らぬ君の体温毛糸編む 
向瀬 美音

明治三十(一八九七)年、正岡子規が新聞「日本」に「明治二十九年の俳句界」を書いた。その中で、漱石については意匠の斬新、滑稽思想などを特色としていると称揚した。漱石がその年の九月から翌年三月まで住んだのが夏目漱石第三旧居である。漱石が明治三十年の大晦日に「草枕」の旅へ同僚の山川信次郎と出かけたのはこの家からである。
 夏目漱石第三旧居は熊本に現存する他の旧居(第五・第六)に比べて、質素な感じのする平屋であるが、漱石はたいそう気に入り、長く住みつづけるつもりであった。ところが、家主の落合東郭(のち大正天皇侍従)が漱石と同じ第五高等学校教授として帰熊することになり、転居せざるを得なくなった。
熊本の新派俳句の推進者・夏目漱石の未練が残っている第三旧居のなかで、「漱石忌法要俳句大会」が50名近く参集し、八畳、四畳、六畳をぶち抜いて、裸電球の灯る下で行われたことは、これで浮かばれると、泉下の夏目漱石もひそかに喜んでいるのではないか。
(レポート・古賀一正)
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第一回「二百十日」俳句大会レポート

2018年06月19日 06時18分51秒 | 俳句大会
第一回「二百十日」俳句大会レポート

平成29年9月1日(金)、阿蘇内牧の山王閣において開催された。
 夏目漱石の短篇小説『二百十日』の舞台は阿蘇。明治32年の夏、五高同僚の山川信次郎とともに内牧に泊まり、阿蘇神社に参拝し、阿蘇中岳登山を試みた。阿蘇への旅を背景として書かれたのが『二百十日』である。この『二百十日』を記念した俳句大会が初めて開かれた。計212句70名の投句があった。
講話と俳句大会の表彰式が行われた。講話は、俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏は「熊本時代の漱石俳句」と題して、「熊本時代の千句あまりの漱石俳句は正岡子規の漱石評の「活動」通りで、「写生」はもとより、「連想」「空想」「デフォルメ」などのあらゆるレトリックを使い、幅広い俳句世界を詠んでいる。『草枕』は「俳句的小説」と漱石自ら言っているが、俳句的レトリックが使われており、世界で唯一の俳句小説である。俳句は詠んだ場所やその時の気持ちが鮮明に記憶に残る。漱石は旅中に詠んだ俳句の気持ちに立ち返って、つまり俳句が記憶装置として働いて、後年、『草枕』『二百十日』を書いたのではないか。その意味でも、熊本時代に詠んだ俳句が小説に与えた影響は大きい」と語った。
 表彰に続いて、選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「阿蘇見えぬ時も阿蘇あり大夕立 金田佳子」については「大夕立」の斡旋がよく、阿蘇が身近に存在することを的確に描いて共感性が高い。後援者賞の阿蘇市長賞の「阿蘇からの朝日貰ひて稲架を組む 中﨑公夫」については「貰ひて」に神の山阿蘇の朝日を讃仰する気持ちが表現されている。阿蘇ジオパークガイド協会賞の「湧く水を崇める暮し新豆腐 古荘浩子」は「湧水とともにある阿蘇の暮らしと恵みを描いて過不足がない。月刊「俳句界」文學の森賞の「二百十日首寝違へてしまひけり 加藤いろは」は二百十日という季語の本意を掴んでいて、取り合わせの妙を味わわせてくる。
[選者賞]
特選
阿蘇見えぬ時も阿蘇あり大夕立
          金田佳子
秀逸
阿蘇からの朝日貰ひて稲架を組む
          中﨑公夫
湧く水を崇める暮し新豆腐
          古荘浩子
二百十日首寝違へてしまひけり
          加藤いろは
一面の黄すげ夕日を招きけり
          西田典子
佳作
手廂におさまり切れず阿蘇青嶺
          吉野倫生
雲海の底をパトカー救急車
          八木ケサエ
カルデラや風の巡りて泉湧く
          田島三閒
地震の疵闇に沈めて黄菅かな
          川口二子
肥後豊後行き来してゐる赤とんぼ
          若松節子
白鷺の白のきはだつ距離にあり
          田川ひろ子
ふるさとは二つありけり燕去ぬ
          向瀬美音
母の背の曲線やさし花野道
          上田輝子
山は根子畑は花蕎麦阿蘇路行く
          山口為男
放牧の仔牛初秋の舌ざはり
          吉岡靜生 

今年は夏目漱石生誕150年の記念年でもあり、さまざまな催しが開かれている。漱石が熊本にいた4年3ヶ月の間に体験したことを後年の小説にいかして文学活動をしたことは地元にとってはありがたい。参加者からもっと観光として取り上げる必要があるのではないかという意見もあった。加えて観光だけではなく、漱石の文学や俳句をもっと身近に感じる機会が増えることを望みたい。
(レポート・西村楊子)
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