第二回「二百十日」俳句大会レポート
平成30年9月1日(土)、漱石の阿蘇を舞台とした小説『二百十日』を記念した第二回「二百十日」俳句大会が阿蘇内牧の山王閣において開催された。主催は「二百十日」俳句大会実行員会。昨年をこえる74名、計262句の投句があった。台湾からの投句もあり、俳句の国際化も身近に感じることとなった。俳句大会では講話と表彰式が行われた。
まず俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)が「漱石俳句のレトリック」と題して講話を行った。漱石が熊本時代に詠んだ千句あまりの俳句は「写生」「季語」「取合せ」「省略」「比喩」「擬人化」はもとより、「連想」「空想」「デフォルメ」「同化」などのあらゆるレトリックを使い、幅広い俳句世界を自分のものとしている。近年、熊本の小天を舞台にした小説『草枕』が注目を浴びているのは自由な小説の世界を構築しているからである。レトリックを駆使した漱石俳句も技巧的と否定することなく、現代の俳人もレトリックを多彩に使って、もっと自由に詠んでいいのではないか。私自身、漱石が言った「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」に倣って詠んでいきたいし、漱石俳句の特色を取り入れて、自由に作句してもらいたいものだと語った。
表彰に続いて選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「源流は阿蘇の山々田代掻く 朝倉一敬」については阿蘇の伏流水を引いて行う田代掻くという表現に阿蘇の豊かな恵みへの感謝が表明されている。阿蘇市長賞の「カルデラにころがり落ちしはたたがみ 古荘浩子」はカルデラだからこそころがり落ちるという擬人化が成功している。阿蘇ジオパークガイド協会賞の「行けど萩京大火山研究所 若松節子」は上五が「行けど萩行けど薄の原広し」という漱石の俳句を下敷きにしていて、阿蘇の建物との意外な取り合わせに心惹かれる。熊本県俳句協会賞は「ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛 藤井蘭西」は阿蘇の御田祭になくてはならぬ白装束の女性の宇奈利を地元ならではの季語として取り上げ、行事を終えた後の安堵感を阿蘇訛に表現している。月刊「俳句界」文學の森賞の「余生なる阿蘇は相棒雲の峰 牛村蘇山」は残りの人生を阿蘇とともに豊かに送ろうとする人とその希望が雲の峰に象徴されている。
[選者賞]永田満徳 選
特選
源流は阿蘇の山々田代掻く
朝倉 一敬
〔秀逸〕
余生なる阿蘇は相棒雲の峰
牛村 蘇山
カルデラにころがり落ちしはたたがみ
古荘 浩子
行けど萩京大火山研究所
若松 節子
ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛
藤井 蘭西
〔佳作〕
阿蘇を背に一歩も退かぬ兜虫
山田 節子
鮎を焼く父の荒塩化粧塩
中上ひろし
阿蘇の子の笑みころころと猫じやらし
菅野 隆明
雨垂れがバケツ打ちゐる震災忌
岡山 裕美
阿蘇谷の青田のそよぎ身ぬちまで
松下美奈子
中・高・根子・烏帽子・杵島の岳淑気
和田 信裕
夕映を畳む山襞阿蘇は秋
西田 典子
天涯に二百十日の二人旅
坂本 節子
帆のごとくわが白シャツや草千里
加藤いろは
きちきちを飛ばして進む草千里
洪 郁芬
漱石は熊本にいた4年3ヶ月の間に実に多くの体験をした。私的には結婚し長女をもうけたこと、五高教師としての仕事のかたわら俳句を千句あまりも詠んだこと、そして熊本や九州の各地を旅してまわったことなど。
明治32年の夏、第五高等学校の同僚の山川信次郎とともに内牧に泊まり、阿蘇神社に参拝し、阿蘇中岳登山を試みた。その旅そのままを詠んだ俳句が残っている。
朝寒み白木の宮に詣でけり
鳥も飛ばず二百十日の鳴子かな
灰に濡れて立つや薄と萩の中
漱石が日本文学に残した足跡は言うまでもないが、熊本での体験を俳句や小説に書いたことに地元の者として感謝と誇りをおぼえる。
(レポート・西村楊子)
平成30年9月1日(土)、漱石の阿蘇を舞台とした小説『二百十日』を記念した第二回「二百十日」俳句大会が阿蘇内牧の山王閣において開催された。主催は「二百十日」俳句大会実行員会。昨年をこえる74名、計262句の投句があった。台湾からの投句もあり、俳句の国際化も身近に感じることとなった。俳句大会では講話と表彰式が行われた。
まず俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)が「漱石俳句のレトリック」と題して講話を行った。漱石が熊本時代に詠んだ千句あまりの俳句は「写生」「季語」「取合せ」「省略」「比喩」「擬人化」はもとより、「連想」「空想」「デフォルメ」「同化」などのあらゆるレトリックを使い、幅広い俳句世界を自分のものとしている。近年、熊本の小天を舞台にした小説『草枕』が注目を浴びているのは自由な小説の世界を構築しているからである。レトリックを駆使した漱石俳句も技巧的と否定することなく、現代の俳人もレトリックを多彩に使って、もっと自由に詠んでいいのではないか。私自身、漱石が言った「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」に倣って詠んでいきたいし、漱石俳句の特色を取り入れて、自由に作句してもらいたいものだと語った。
表彰に続いて選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「源流は阿蘇の山々田代掻く 朝倉一敬」については阿蘇の伏流水を引いて行う田代掻くという表現に阿蘇の豊かな恵みへの感謝が表明されている。阿蘇市長賞の「カルデラにころがり落ちしはたたがみ 古荘浩子」はカルデラだからこそころがり落ちるという擬人化が成功している。阿蘇ジオパークガイド協会賞の「行けど萩京大火山研究所 若松節子」は上五が「行けど萩行けど薄の原広し」という漱石の俳句を下敷きにしていて、阿蘇の建物との意外な取り合わせに心惹かれる。熊本県俳句協会賞は「ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛 藤井蘭西」は阿蘇の御田祭になくてはならぬ白装束の女性の宇奈利を地元ならではの季語として取り上げ、行事を終えた後の安堵感を阿蘇訛に表現している。月刊「俳句界」文學の森賞の「余生なる阿蘇は相棒雲の峰 牛村蘇山」は残りの人生を阿蘇とともに豊かに送ろうとする人とその希望が雲の峰に象徴されている。
[選者賞]永田満徳 選
特選
源流は阿蘇の山々田代掻く
朝倉 一敬
〔秀逸〕
余生なる阿蘇は相棒雲の峰
牛村 蘇山
カルデラにころがり落ちしはたたがみ
古荘 浩子
行けど萩京大火山研究所
若松 節子
ひと心地ついて宇奈利の阿蘇訛
藤井 蘭西
〔佳作〕
阿蘇を背に一歩も退かぬ兜虫
山田 節子
鮎を焼く父の荒塩化粧塩
中上ひろし
阿蘇の子の笑みころころと猫じやらし
菅野 隆明
雨垂れがバケツ打ちゐる震災忌
岡山 裕美
阿蘇谷の青田のそよぎ身ぬちまで
松下美奈子
中・高・根子・烏帽子・杵島の岳淑気
和田 信裕
夕映を畳む山襞阿蘇は秋
西田 典子
天涯に二百十日の二人旅
坂本 節子
帆のごとくわが白シャツや草千里
加藤いろは
きちきちを飛ばして進む草千里
洪 郁芬
漱石は熊本にいた4年3ヶ月の間に実に多くの体験をした。私的には結婚し長女をもうけたこと、五高教師としての仕事のかたわら俳句を千句あまりも詠んだこと、そして熊本や九州の各地を旅してまわったことなど。
明治32年の夏、第五高等学校の同僚の山川信次郎とともに内牧に泊まり、阿蘇神社に参拝し、阿蘇中岳登山を試みた。その旅そのままを詠んだ俳句が残っている。
朝寒み白木の宮に詣でけり
鳥も飛ばず二百十日の鳴子かな
灰に濡れて立つや薄と萩の中
漱石が日本文学に残した足跡は言うまでもないが、熊本での体験を俳句や小説に書いたことに地元の者として感謝と誇りをおぼえる。
(レポート・西村楊子)