【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

合同句集『俳壇坂本の会』序文~家族融和の句集

2022年02月14日 16時42分06秒 | 句集評

『俳壇坂本の会』序文

 

  家族融和の句集

                    永田満徳

 

  一 合同句集『俳壇坂本の会』 一 

 

合同句集『俳壇坂本の会』の成立には家族のLINEグループの「俳壇坂本の会」の存在が大きい。高穂さんの結婚により新しい家族が加わり、小室日和さんが五歳で「火神」「未来図」に投句を始めたのをきっかけに千穂さんが名付けたグループである。そのグループは家族の日常の話題とともに、結社誌への投句の際に、俳句を相談し合ったり、時には誤字脱字のチェックをしたりする俳句創作の現場になっている。

俳句は当時小学生の千穂さんと高穂さんとが「草枕俳句大会」の入賞を機に家族四人で始めたという。小学生から始めている千穂さん、高穂さんにとっては長年に渡る俳句歴であり、俳句で辿る成育歴である。

句集「俳壇坂本の会」によって、家族の日常が俳句と言う形で思い出に刻まれ(節子)、何でもない毎日を俳句に詠むことで、家族皆で歩んできた道が解る(千穂)ものになっている。ここに、俳句で繋がり、結びつき、家族が一体となった姿をみることができる。

その意味で、坂本一家は、個人句集を出すことなど考えられず、家族単位で出してこそ、意味があったのである。

 

  二 個人句集評

 

 【小室日和句集】

句集『俳壇坂本の会』の掲載句のなかでは日和さんの句が最も多く、二〇一句である。この句数であれば十分個人句集として上梓してもいい分量である。坂本家の小室日和句集に掛ける思いが伝わってくる。実際読み通してみたら、その期待に違わない内容の句群であることが理解できるだろう。

幼稚園年長の時に、図書館で俳句の絵本を借りてきたことがきっかけから俳句を始め、「もう投句しない!辞める!」と言ったことがないという。自分の句が俳句の本に載ったり、選評に採られたりする喜びの方が大きいからである。

巻頭句二句から、俳句の特性を生かした作り方が見られる。

ドライヤーしたくないのにかけられる

ようちえんつかれたけれどすぐねない

一句目「ドライヤーしたくない」ので「かけられない」、二句目「つかれた」ので「すぐにねむる」のように、順接にすると、当たり前の句になる。しかし、「のにかけられる」、あるいは「けれどすぐねない」という、逆接の表現になると常識感が払拭される。一句目は初めて俳句を作ったときの句というから驚きである。すでに、俳句はただ単に素直に詠んでも面白くないことを知っている。

かたつむりさわりたいけどとおくだよ

逆接の「けど」を使って、「かたつむり」に象徴される、手に入れがたいものへの渇望感をみごとに描いている。

しかし一方、素直な叙述も、感覚の鋭さがあって、天性の詩的センスが垣間見られる。

みずたまりたのしいなぴちゃつゆすきだ

「つゆ」(梅雨)の頃、雨上がりの水溜りにわざと足を踏み入れて遊んだ経験があるが、「すきだ」とあるように、確かに心地よい。

スケートのくつがおもくてよくころぶ

かきごおりいえでつくるといまいちだ

学校でそだてたトマトすっぱっぱ

さくらもち葉っぱ食べるの食べないの

素直な思いがそのまま俳句になった。実感が伴った句である。

お父さんこんな時間にアイスくう〉は「え?こんな時間に?」と思い、〈テーブルにはだかの弟すわってる〉はテーブルの上の弟を「「えー⁉」と思ったことから生まれた句であるという。芭蕉の言葉に「俳諧は三尺の童にさせよ。初心の句こそたのもしけれ」がある。純真無垢な視線を、そして感動に敏感な心を失うなと諭した言葉であるが、日和さんの句を詠むとその感を強く感じる。

むしたまごむくのがあついはる日和

いわしぐも電車にのったおすもうさん

真っ白で熱い「たまご」とそれほど暑くなく明るい「はる日和」。実りの秋の象徴である「いわしぐも」と健康そのものの「おすもうさん」。いずれの取り合わせも、俳句は季語の文芸であるところの季節感をうまく掴んでいる。

おとうとのおやつをもらって春来る

おしいれでわたしと弟春ねむし

長女らしい視線で詠まれていて、微笑ましい。それ以上に、季語を下五に据えて決めた詠みぶりに季語の機能が充分に生かされている。季語は『子ども歳時記』を主にして、『ホトトギス歳時記』を使うこともあるらしいが、何より、季語と遊んでいるところがいい。

花ふんしょう玉ねぎ切るとなおりそう

サングラスかけるとみんな黒くなる

発想がおもしろく、つい納得させられる。

あげ羽ちょうよう虫の時食べれそう

れいぞうこあけたらおなか空いてくる

これらの句なども、そうだ、そうだと思わず頷いてしまう。日頃気付かないことを気付かされる俳句こそ上質な俳句といえる。

オノマトペも巧みで、素材を効果的に浮かび上がらせている。

せんべいのぼりぼぼりぼりかりかりだ

スクーターガーガーけってはつもうで

次の句の擬人化には目が鱗になった。「くも」の見立てとして、これほど斬新に詠んだ句を見たことはない

あられっていたずらくものたべこぼし

このように、日和俳句の特色を挙げると枚挙に暇がない。

どうしてこれほど俳句のレトリックを駆使できるのか、実に不思議でならない。その種明かしはあとがきの「俳句の作り方は、まず日記みたいに文を書いて、『これはいる、これはいらない』といらない所をけずって、五七五におさめます。季語は『子ども歳時記』を見て決めています」にある。ここには専門俳人と呼べるほどの作句姿勢がみられる。

ところで、日和さんの俳句の熱意はどこから来るのであろうか。結社誌を誰よりも先に手にして、自分の句や句評を読むのを楽しみにしているという。この楽しみを今日まで続けていることこそが、俳句が子どもの興味にありがちな一過性でないことを示している。何より、日和俳句を見守る坂本一家の環境こそ、重要であることはいうまでもない。祖母の節子さんによると、「千穂や私たちの句作の様子を見ていて自然に俳句作りを始めたような気がする。娘婿が選句をしてくれている」ということである。

幼稚園の時の担任の先生が今でも俳句をしている事を覚えていて、「俳句どお?」と聞いてくるという。自分に誇れるものを一つでも持っていることは強い。

今後は日々の楽しかった事、うれしかった事を詠みたいと思っている。俳句という武器を手に頑張ってほしい。

 

【小室千穂句集】

千穂さんは中学三年間、生活日誌に一日一句を綴っていた。それによって、妊娠、出産、子育ての大変な時期も俳句を続け乗り越えてきたのである。

小学六年生の夏休みの宿題で提出した俳句「オルゴール鳴らしてみれば夏の唄」が「草枕俳句大会」に入賞したのを機に始めた俳句は今年で二十五年になる。本人は長続きしない性格だが、一人でできる俳句は好きだという。句歴の長さでは新人とは言えない。

万緑や覗いてみたるドーナッツ

裸子を追ふ我もまた裸なり

「万緑」と「ドーナツ」とを大胆に取り合せた句にしても、「裸子」の句にしても、一読して、微笑みたくなるような、どこかユーモアを感じるところに、千穂俳句の特色がある、

炬燵より出でし足あり雪女郎

炬燵から出ている「足」とは誠にユーモラスな日常の風景であるが、「雪女郎」との取り合わせによって俄かにおどろおどろしい内容に変容する。取り合わせの妙味を味合わせてくれる句である。

押入れに秘密基地ありこどもの日

洗濯機ころころ木の実洗ひけり

娘に机買ふや勤労感謝の日

寒鴉家電各々音を出す

「炬燵」の句もそうだが、「押入れ」「洗濯機」「机」などの家財道具が数多く取り入れられていて、「家電」に至っては現代の家庭の風景がみごとに切り取られている。どの句も無機物の家財道具が生き生きと描き出されている。

 特に、第二章における、子育て中心の生活では素材が限られることは致し方がない。千穂俳句は少ない素材に悪びれることなく、積極的に子育てを句材に取り込んでいる。

啓蟄や手足伸ばして吾子の泣く

春夕べこねこね粘土飽きもせず

みたらしの口はおしやべり夏祭

吾子乗れば電車になりぬ藺座布団

限られた現場から切り取られる子どもの姿態が実におもしろく詠み込まれている。子どものあどけなさがありありと思い浮かべられる。

凍解や娘は泥棒を演じ切る

水を打つ濡れたいだけの子に呼ばれ

また吾子の泣きて麦茶もまた沸けり

これらの句は子どもにべったりの子供俳句とは違う。子どものしぐさが適度の距離を置いて捉えられている。

雲の峰吾子には象に見えるらし

花のごとむけたと吾子の青蜜柑

冬雲や晴れ食べてると言ふ息子

子どもの立場で詠んだ句はことに心惹かれる。子どもの純真な心に寄り添い、子どもの眼差しを共有している。確かに、子どもの視線に立てば「雲の峰」、「青蜜柑」、「冬雲」も物珍しいものであろう。

ごろんごろん子宮の人の夜長かな

餅喰ひて乳やり寝ぬる産褥期

育児の日常を詠むにしても、少しも力むことない。自然に「ごろんごろん」「餅喰ひて」などと表現して、何とも言えないユーモラスな感じを醸し出している。

母の日やだいたいいつも仏頂面

自分自身を突き放しているところが小気味よく、「仏頂面」と言うのはなかなか勇気のいることである。

春塵やふくれつ面の母と娘よ

「母」の表情が「娘」に受け継がれているのが「ふくれつ面」だと詠み、何の衒いもなく言ってのける。千穂さんの人柄がよく出ている句である。

さて、一見突き放した詠みぶりでありながら、読み手に訴える俳句を作ることができるのは一つの才能であり、千穂俳句の特色である。

鰺の骨一人静かに取る昼餉

小春日やエコーに背骨だけ見せて

対象に溺れることなく、自己客観視した句である。対象を客観的に見る態度こそが単なる報告に留まらず、共感性の高い秀句を生み出している原因である。

家庭の大変さを詠んだ句は正しく主婦として、母としての生活の真っ只中にいることを実感させる。

スーパーを東へ西へ年の暮

かにかくに乳飲ませつつ去年今年

「スーパー」にしても、「かにかくに」にしても、純然たる自然詠は一つもない。ここに小室千穂俳句の真骨頂がある。

子との水遊び。夏祭りの食べ物。いずれも、日常生活をうまく取り込んで、しかも些末的な日常詠に終わらないところに、千穂俳句の未来がある。

 

【坂本高穂句集】

坂本高穂さんと俳句との関わりは、あとがきに「なんだかいつの間にか母と向かい合って俳句を作っていた」とあるように、母親の節子さんの存在を抜きにしては考えられない。

車椅子押す手にとまる糸蜻蛉

そんな節子さんへの親孝行の句。節子さんの乗る車椅子を押す手に止まった「糸蜻蛉」が母を支える優しい高穂さんそのものに思えてくる。

「今回、句集をつくるにあたり、過去の句を見直して、この頃はこんなことをやっていたのかと思い出すことができることもよかった」と言っていることからも分かるが、俳句によって、一人の成人までの成長の跡を辿ることができる。

うとうとと炬燵でつぶやく英単語

まったくやる気がしない「英単語」暗記は眠気を誘うもので、「炬燵」の温もりが眠りをさらに誘う。この句には、受験期の学生の一齣が詠まれていて、微笑ましい。

風薫る射撃大会新記録

「風薫る」と「新記録」との取り合わせで、新記録を打ち立てた、晴れやかな気持が表現されている。高校時代の部活動ではライフル射撃部に所属し、現在も続けている。国体出場の経験もあり、ライフル射撃の名手である。

陽炎を目指し走らす仮免許

自動車の免許取得は大人の仲間入りという気分的昂揚感がある。「仮免許」を取得した喜びが「陽炎」に突き進む姿勢に表されている。

休講の喜びまじる雪礫

大学の休校は心躍るものであるが、その喜びを「雪礫」にして投げ合う雪合戦に込めている。

記念樹の紅梅眺め旅立てり

いよいよ、社会人としての旅立ちである。「記念樹」は成長の証として植えられた木で、成長の跡を見守ってくれた木でもある。生家を後にするときに眺めた「紅梅」は、さぞかし、感慨深いものがあったろう。

結婚句三部作。

寄り添ひて結婚準備冬日和

あれこれと相談し合いながら「結婚準備」をしている、微笑ましい情景である。

手紙書く紙婚式や紀元節

「紙婚式」は結婚一周年目の記念日のこと。結婚記念日にその年に因んだ物をお互いに贈り合っているという。例えば、紙婚式では手紙 花婚式では花など。「手紙」のやり取りで、互いの気持を確かめ合った恋愛中の気持が蘇ってきたことだろう。取合せの季語「紀元節」であるが、「建国記念の日 入籍。この特別な日は毎年『建国記念の日』『紀元節』の季語を使い俳句を作っている」(「あとがき」)ということである。

新米の際立つ妻のレパートリー

妻の手料理も本格的になっていく結婚生活の充実感が詠み込まれている。今年も無事に収穫できたというような喜びの思いのある「新米」とうまく取り合わせている。

歳時記も枕になりて春炬燵

歳時記をめくる妨げ扇風機

感心するのは、働き盛りで、仕事も大変忙しいのに、片時も俳句を手放さなかったことである。時に「歳時記」が「枕」になったり、「扇風機」が「めくる妨げ」になったりしたとしても、残業続きの仕事を抱えたサラリーマンの日常の傍らに『歳時記』があって、生活に潤いをもたらすものとなっている。

休日の昼寝用にと茣蓙を敷く

あと五分毛布の誘惑はねのくる

つらい日々が垣間見られる句である。寸暇を惜しんで、睡眠不足を解消しようとしている勤め人の日常が切り取られている。「茣蓙」を持ち出してでも、「昼寝」をしたいという痛ましい限りの努力は読み手の心を打つ。

舞ひ上がる図面を押へ春一番

八尺の建材煽る大南風

両句には、作業風景がありありと描き出されている。強風であるものの、春の到来を知らせる「春一番」は、「図面」を広げて仕事をする者にとっては辟易させられるものでしかない。外で仕事をする者にとって、風は迷惑至極な存在で、いい悪いもないのである。

一般に、仕事の現場を詠んだ句が少ない。高穂俳句は貴重な仕事俳句の見本になるだろう。「忙しい中でも俳句の題材を探すので、視野が広くなり、気持ちに余裕が持てるようになっている」と言っていることは、俳句を創作しようとする現役世代に対する有益なアドバイスである。俳句が生き方にプラスになっているのである。

今後は、仕事中の俳句が多かったので、見たままの景色やふと思いついた気持などを表現して行きたいと考えている。

新たな俳句の世界を見せてくれるのを期待したい。

最後に共鳴句。

冬の朝かべにうつったうすいかげ(小4)

空へ向く阿蘇路一本秋暑し

彫刻の馬の鼻より霜雫

鼻唄の混じる大根おろしかな

冬瓜に目描き口描き名前付く

 

【坂本節子句集】

節子さんはもともと高校時代から文系で俳句に興味を持っていた。千穂さんの俳句が入選し、「草枕俳句大会」に参加したことで、昔の文学への思いが蘇って、早速、生涯教室で俳句を学び始めている。四〇代で、子どもの俳句をきっかけに文学の夢を取り戻したのである。

それ以後、二十五年間、思春期の子供達が小、中、高、大学と進む中で、子は母に付き合い、母はよく子に付き合い、家族が俳句で結びつき過ごしてきた。家族が投句している俳句雑誌を読み返すと、当時の子ども達の心を改めて知る思いがするという。つまり、節子さんは家族それぞれの俳句によって、その時々の家族の思いを全面的に受け入れ、子の成長とともにあったというべきである。

節子さんの句集をみると、それぞれの子の成長の記録として貴重である。それ以上に、家族俳句における節子さんの位置がよくわかる。坂本一家の俳句の要、取り纏め的な役を荷っていると言える。

足形の残りし床や天花粉

冒頭はこの子育て俳句から始まる。

眠るまで絵本読みやる菊月夜

すやすやの寝息毛布につつみこむ

同じ本を何回もせがまれ読むうちに気づけば寝入っている、その寝顔を見る時の至福の瞬間が切り取られている。穏やかな「菊月夜」、「眠るまで」の二つの語句に母の愛情の深さが感じられる。この両句には、この寝顔を見守り、大切に育てようとする姿勢が痛いほど分かる。

神の留守風が迎へる宮参り

高千穂の天岩戸神社の「宮参り」の句。お宮参りは健やかな成長を願う行事である。「風が迎へる」という措辞によって、その願いをよく描いている。

この句には坂本一家の歴史が凝縮されている。高千穂峡は、夫婦の出会いの地であり、千穂・高穂、両名の名前の由来の地でもある。結婚記念日、七五三参りには度々訪れ、孫が生まれて新しい家族ともまずはここへお参りしているという。しかも、この句によって、子どもの俳句をきっかけに「草枕俳句大会」を知り、初投句し、初入賞している。言わば、家族を詠む節子俳句の原点になった句である。

プラカード掲ぐ娘の夏帽子

高校総体の開会式の入場行進の時、千穂さんは学校のプラカードを持つことになった。千穂さんの行進と夏帽子がまぶしく嬉しかったという。「プラカード掲ぐ娘」の晴れ姿に頬も緩み、子の成長に安堵を覚えているところがいい。

玉の汗光る眼をして子が帰る

小学生の下校時間は日の盛りで、目深に帽子を被った高穂さんの額からは汗が流れ落ち、爛々と光る眼で玄関に立っていた情景である。額の「汗」に焦点が当てられ、学校生活を送る我が子の日常がうまく切り取られている。

巣立鳥もう決めたよと言ふ息子 

遂に、「巣立ち」の時を迎える。「もう決めたよ」の一言が一人立ちの合図で、どの親もこの言葉をどんなに待ち望んでいることか。それは、「巣立鳥」という季語に込められた思いでもある。

居るやうで居らぬ子の部屋四月尽

子育てが一段落した気持が表されていて、「居るやうで居らぬ子」に親離れする子への寂しさがしみじみと感じられる句である。

阿蘇出水避難暮らしも夫と笑む 

八年間の阿蘇暮らしで、九州北部豪雨、熊本地震と二度被災し、避難所生活を経験した。「夫と笑む」には、避難所で迎える朝も二人でいたからこそ笑っていられたという、感謝の気持が込められている。

父の日や自分を誉めてみるも良し

「父の日」だからこそ、坂本一家を支えた、穏やかで、淡々としている夫・真二さんへ「たまには自分を誉めていいんだよ」と声を掛けて挙げたい気持を一句に認めている。

定年の夫の花束春の色

「夫」は三八年の教師生活のピリオドを好きな阿蘇で迎えることができた。「春色」の「花束」には労いと感謝の気持が込められている。ここに、夫の「定年」で、坂本一家はようやく安堵の日々を迎えることになる。

縁ありて家族となるやあやめ葺く

「縁ありて」という一語に、夫と出会い、子どもが生まれて親になる不思議が詠み込まれている。さらに、子どもの結婚によって、家族が増え、その繋がりで、俳句の集団が形成される。俳壇坂本家という母集団に新たなグループができることで、俳句を介した坂本家の弥栄が見えて、喜ばしいかぎりである。

小さき指折りて五歳は夏を詠む

日和さんは幼稚園児だったが、乳飲み児を膝に句作する母・千穂さんを見て育ったせいか、日常の暮らしに俳句があった。お絵描き感覚で俳句に親しんでいる。五歳の時、ふとした出来事から五七五の指折る仕草をして驚かせている。家庭環境の影響の大きさを感じさせる句である。

かはりばえなき主婦の日や春が来た

ため息はどこから来るの小春の日

主婦業の引退したき十二月

時に平穏な暮らしに倦むことがある、しかし、「春が来た」「小春の日」という季語から分かるように、それほど深刻な内容ではない。

ものの芽や折々の句の生るる里

「ものの芽」と「「句の生るる」との取り合わせによって、俳句に対する基本姿勢が示されている。俳句を始めてから心が軽くなったという。わずか五七五の音数であるが、なぜか心の中の思いを託せられ、俳句に思いが表わせたことで自己肯定感となり、心が癒される気がするのである。

母の歳越え解ること冬日向

平穏な暮らしこそ、素晴らしいのである。今後は夫婦仲良く、恙ない暮らしが始まる。家族俳句を見守り、育てていってほしい。

他に惹かれた句を挙げておきたい。

布団干す平凡な日よ軍機飛ぶ

見えぬもの運ぶごとくに花筏

なるやうにしかならぬこと野分明く

 

【坂本真二句集】

家族の中では娘の千穂さん、息子の高穂さん、妻の節子さんに次いで、最後に俳句を始めたのが真二さんである。真二さんは天草で生まれ育ち、小学校から天草の自然と歴史について学ぶ機会があったという。俳句の素材が身の回りにふんだんにあったことが俳句を詠むのに役立っていることは間違いない。

教師だからと言うわけでもないが、真二さんには人事句が多く、その句に特色がある。

しつけ糸つけたるままの入学子

期待と不安が入り混じる「入学」。「しつけ糸」をしたままで「入学式」を臨んだ生徒に、一抹の不安と健やかな成長を祈らずにおられない気持が表現されている。

箸置きの減りて娘の巣立ちゆく

千穂さんが大学を卒業し、就職先に引っ越した時の句。自宅の食卓には一人分の配膳が減り、娘の自立もどこか寂しい気持を食卓の「箸置き」に込めている。

「しつけ糸」と言い、「箸置き」といい、ものに象徴させて、人事をうまく詠んでいる。

胎の子と娘帰り来寒の梅

里帰り出産のため久しぶりに自宅に帰ってきた千穂さんを迎えた喜びが「寒の梅」に託されている。「寒の梅」は子どもの成長の節目に植えた木である。寒さに耐えて花を咲かせる「寒の梅」は千穂さんそのものといってよい。

母乳にはスイッチあるや黄水仙

初孫・日和さんの誕生は祖父としては手放しでうれしいものである。日和さんは母乳で育った。黄水仙のラッパのような口で母乳に吸い付く日和さんのしぐさほど愛くるしいものはない。

鬼は外孫は干し物蹴散らかし

日和さんの弟・凛人さんを詠んだ句。何事にも興味津々。台所で包丁を取り出したり、豆撒きでは走り回ったりして、畳んだ洗濯物も蹴っ飛ばすほどの元気ぶりを発揮する。

「母乳には」にしても、「鬼は外」にしても、孫であれば、何をやっても大目に見ることができるし、なにより元気で育っていってほしいとの願いが滲み出ている。

着流しにハットの息子春来る

高穂さんの成人式の出で立ち。和服にハットは目を引いたのか、熊本のタウン誌の取材を受け、写真まで掲載されることとなった。お洒落さんであった息子の将来を「春来る」に託している。

栗剥くや肩凝る妻の黙々と

節子さんへの労いと感謝の句。真二さんは誰もが知る愛妻家である。

避難所へ妻を乗せ行くゴムボート

阿蘇へ転勤して三カ月後、九州北部豪雨に遭う。真二さんであれば、松葉杖の節子さんを背負うはずであったが、水位が高すぎて、エアベッドをボート代わりにして隣のアパートの踊り場まで避難する。節子さんは、この時ほど、真二さんを心強く思ったことはないだろう。

身に入むや妻の本音の独り言

昼寝して、寝ているような、起きているような時によく聞こえてくるのが節子さんの独り言。確かに正論なのだが、聞かなかったことにするのが真二さんである。節子さんへの気遣いの深さは誰も真似できるものではない。坂本家は絆が強く、その結束力には定評がある。その基盤は人の羨むほどの夫婦仲のよさである。

くつわ虫帰宅は今日もこの時刻

家庭科の男先生針供養

帰宅の遅い真二さんは、中学校では技術・家庭科を担当した。家庭科と特別支援の免許も取得し、当時県内の家庭科の男性教員はたぶん一人だったという。俳句指導をよく行い、その中から出来た俳句は俳句大会や俳句コンクール、「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」にも入賞させている。

教師の日々も詠み込まれている。

掃除の子大蟷螂を遠まきに

半夏生登校渋る子の迎へ

両句に見られる生徒への眼差しは限りなく優しい。いずれも、生徒思いの、教育熱心な教師像が浮かび上がってくる。

大黒柱の真二さんは坂本一家が俳句を通して共通の話題が持てているのを何よりも代えがたいことだと思っている。

子ども達が自立した今は、節子さんと二人のドライブは句作の機会になり、夫婦の共通の趣味となっている。俳句を仲立ちにしながら末永く仲良く過ごして行ってほしい。

他に惹かれた句を挙げる。

綿虫や意志の無さそで有りさうで

筍のてつぺんが好き山が好き

朝なさな雲雀は空を疑はず

芋水車明日はこの身を廻さうか

木下闇ライダー来ては水をくむ

震災忌皿をはみ出すチキンカツ

 

三 家族融和の証としての俳句

 

句集『俳壇坂本の会』の上梓は我が事のように喜ばしい。坂本真二夫妻の結婚式の立会人を務めた縁で、坂本一家の成長の一部始終を見てきたからである。

では、家族総出で俳句を詠むことにはどんな意義があるのだろうか。

その一は、家族それぞれの気持が分かることである。子育ての頃から現在も、子どもの気持ちが俳句の中でそれとなく感じられるという。たしかに、この句集の句をみると、日常の出来事が手に取るように分かる。俳句は写真と違って、詠んだときの気持も含まれるからである。

その二は、俳句を通して共通の話題が持てることである。子どもの成長につれ、反抗期が訪れ、親子関係がギクシャクするものであるが、高穂さんの「あとがき」に「母と対面授業のような形で俳句を作っていた」とあるように、最初の頃は母親と半ば喧嘩をしながらでも作っていたことで、家族内での会話もあったという。俳句が家族融和に役立っているのはおもしろい。そのため、大きな反抗期がなかったとは、俳句の思わぬ効用で、家族俳句のすすめの実例として、この句集が見本となるであろう。

さらに、意義のあることは、子どもがそれぞれに家庭を持つことで、相手方の家族にも俳句への関心が広がっているということである。例えば、千穂さんの義母様はご自身でも俳句を詠まれ、高穂さんの義祖母様も地元の俳句教室に通い、俳句を通して心豊かで前向きな老後を過ごしておられる。

家族ぐるみで俳句をやるということは、千穂さんが「あとがき」で「夫は私と娘の句の選者でもある」と述べているように、妻と娘の選句を手伝い、妻や娘の俳句の暮しを支え、協力してくれる夫が現れることである。

結社誌が届くと、いち早く五人それぞれの句を探し楽しんでいるという。確かに、『俳壇坂本の会』を読むと、お互いを詠み合い、家族に目に写った自分を読める楽しみ方がある。

日和→聡  よそ見したパパにいっぱいゆきなげた

 千穂→高穂 父の背を越えし弟ラムネ抜く

 高穂→真二 冬瓜や赤子のごとく父が抱く

 節子→凛人 よちよちのお尻も軽く夏に入る

 真二→節子 子の帰省妻は母へといそいそと

そこに、坂本一家の合同句集の面白さがある。

俳句という文芸を通して、「俳壇坂本の会」の和気藹々とした語らいと賑わいが今後さらに家族の絆を深め、それぞれの俳句が個性を開花していってくれることを願ってやまない。

 



 

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ネット時代における俳句の発信

2022年02月04日 12時10分50秒 | 俳句

『熊本俳句(第52号』(熊本県俳句協会)  

 

ネット時代における俳句の発信

                   永田満徳

井上微笑の「白扇会報」が日本の近代俳句史上で特筆されるのは、会員の中に近代俳句を推進した人々が名前を連ねていることである。選者、寄稿者を列挙してみると、夏目漱石・高浜虚子・河東碧梧桐・内藤鳴雪・阪本四方太・石井露月・松瀬青々・野田別天楼・寒川鼠骨等。これらの人物はいわゆる子規派、新派俳句と称される人々である。微笑は漱石に依頼して、上記の人々に選句、俳句の寄稿を頼んでいる。漱石自身が依頼に応じられない場合は高浜虚子、河東碧梧桐らを紹介している。一地方誌に過ぎなかった「白扇会報」を中央俳壇に押し上げてくれたのは夏目漱石だと言わざるを得ない。

しかし、それ以上に、「白扇会報」の発行で浮かび上がってくるのは、微笑の熱意に夏目漱石が振り回された格好であるが、微笑の「白扇会報」の発行に対する熱意であり、相手の再三の断りも意に介さないほどの情熱である。

私が熊本在住ながら、全国にはネットやSNSの句会を運営する「俳句大学」を設立し、また、世界には国際的な句座を提供するFacebook「Haiku Column」を立ち上げて、インターネットによる俳句の発信を心掛けているのは、明治時代に熊本の湯前という僻遠の地で、漱石を引き入れて、俳誌「白扇会報」を発行した井上微笑の熱意、情熱に共鳴するからである。

ところで、2022年一月、月刊「俳句界」文學の森では俳句大学の「ネット時代の俳句の可能性を探る」取組みに共鳴し、『文學の森』ZOOM句会と名付けられた句会を本格的に始めた。句座の地位に着きつつあるzoom句会を催すことによって、俳句興隆の一助にしたいとの思いで、企画されたものである。ハンガリーや台湾の参加者もいるこの企画に、俳句大学は立ち上げの段階から今日まで協力している。

俳句大学は、ネット時代を迎えた現今、全国へ、世界へ、リアルタイムなネット句会を通した俳句の可能性を熱意と情熱をもって展開し、ウイズ コロナ、ポスト コロナ社会を見据えた国内外の俳句文化の更なる発展に寄与していきたいと考えている。

(俳人協会本県支部長・俳句大学学長・「火神」編集長・「秋麗」同人 永田満徳)

 

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地域の(文化)ボスの形成!

2022年02月04日 00時59分00秒 | 俳句
地域の(文化)ボスの形成!

〜こうしてボスが作られる〜

①ボスには力がある。
※力とは勢力・能力(これがないのはもっと困る)。
②このボスなしでは事は進まない。
③公的な仕事をどんどん任される。
※このボスしか他にいないと周囲が思い、そう思うことがボスをつけあがらせる。
④このボスは自分に歯向かうものを徹底的に排除する。
※歯向かったら、干される
※歯向かわないものにはいい顔する腹黒さがある
※歯向かうがキーワード
⑤このボスに誰も言えなくなるので、公的な文化行事、特に審査員を公私混同し、公平さがなくなって、独裁的になる。
⑥ここにボス支配が完成する

※この流れは一応書いてみただけで、今後補足していきます。

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永田満徳句集『肥後の城』を読む

2022年02月02日 12時17分31秒 | 第二句集『肥後の城』

「篠(すず)」2022年Vol.199 

永田満徳句集『肥後の城』を読む

山野邉茂

「秋麗」同人、SNSの俳句交流グループ「俳句大学」学長でもある永田満徳氏の第二句集である。二〇一二年から二〇二〇年まで八年間、三四四句が収められている。

この間、作者が住む熊本県は、二〇一六年四月の熊本地震、二〇二〇年七月の作者の故郷人吉市を中心とした水害という大きな自然災害にみまわれた。作者自身も被災者となり、その体験は否応なく本句集の柱になった。私は、作者が震災被害の只中にあって、「俳句大学」のネット投句欄に日々の体験や心境を吟じていたことに感銘を受けたことを思い出す。俳句が、図らずもこうした大災害を記録、伝達するドキュメンタリーとして機能する証になることを示した貴重な句集といえるだろう。

  こんなにもおにぎり丸し春の地震

  本震のあとの空白夏つばめ

  石垣の崩れなだるる暑さかな

  一夜にて全市水没梅雨激し

  むごかぞと兄の一言梅雨出水

 震災句、水害句、どちらも当事者としての体験がリアルに伝わってくる。読者は、災害句のインパクトに注目しがちだが、私は、作者が災害体験から改めて生への強い意志を表明した句集として読んでみた。本句集は、

  肩書の取れて初心の桜かな

 という定年退職後の生活が始まる春の句を冒頭にして、

  冬麗のどこからも見ゆ阿蘇五岳

  寒日和窓てふ窓に阿蘇五岳

など、冬の阿蘇を詠んだ四句で終わっている。初頭の句は第二の人生への所感だが、締めの四句は、「生きる」決意をいまそこにある阿蘇に託す、そんな生への強い意志が感じられる。震災前の日々を詠んだ前半の句には、どこか傷んだ翅を休めるような生活ぶりが垣間見える。

  風あればさすらふ心地ゑのこ草

  悴みて身の置き所なき世かな

そして、故郷の自然に包まれた幸福を大らかに詠む。

  曲がりても曲がりても花肥後の城

  ふるさとは橋の向かうや春の空

年迎ふ裏表なき阿蘇の山

 それが、二つの災害で変わった。後半の句には取り戻しつつある日常を、精一杯生きる息遣いが聞こえてくる。

  昼寝覚われに目のあり手足あり

  尺取の身も世もあらぬ身を上ぐる

 そして、そこに生きる生き物たちの健気な姿への優しいまなざしが、読者を共感へと誘うだろう。

  大鯰口よりおうと呼びかけり

  雨垂れの落し子なるや青蛙

  鯊跳ねて雲一つなき有明海 

 多くの人に読んでほしい句集である。

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句集紹介14 『若葉 鹿児島』NO.17

2022年02月02日 00時52分02秒 | 第二句集『肥後の城』

句集紹介14 『若葉 鹿児島』NO.17 令和4年31日発行

 

大川畑光詳

(編集長・俳人協会鹿児島県支部事務局長)

 

永田満徳『肥後の城』

 

永田満徳氏は1954年、人吉市生まれ。1987年「未来図」入会、鍵和田秞子に師事し、現在は「秋麗」(藤田直子主宰)同人である。また俳人協会熊本県

支部長をはじめインターネットを利用した俳句大学学長、日本俳句協会副会長など幅広く活動しておられる。

『肥後の城』は『寒祭』に次ぐ第二句集である。

劈頭に置かれた一句はわが身と重なり、共感した。

 

肩書の取れて初心の桜かな

 

永田氏も長く高校の国語教師として務められた。私自身、三月で退職し、改めて初心に返り、新たな人生へ歩み出す。桜は俳諧の花であり、「初心の桜」と据えたところに自らの句境を深めていこうという覚悟が感じられる。

永田氏の作品には物の描写によって対象を見る者の心理が描かれて、深い味わいがある。

 

さへづりのつふだちてくる力石

衣擦れのして運ばるる夏料理

年の瀬や雑誌の文字の裏写り

争ひの双方黙る扇風機

制服をどさりと脱ぐや卒業子

 

一句目、「つぶだって」ではなく「つぶだちて」と表現したことで全身に込める力が韻律でも感受される。二句目、衣擦れは仲居さんのきびきびとした所作の発する音であり、夏料理の涼しさと通い合う。三句目、年の瀬の慌ただしさが文字の裏写りに象徴される。新鮮な句材が生かされている。四句目、先ほどまでの激しい口論の後の沈黙に置かれた扇風機が絶妙である。四句目、「どさりと」と重苦しかった学校生活が脱ぎ捨てられる。具象を通して心理が巧みに詠まれている。

小動物にも凝視による的確な把握がなされ、読者にも対象の身体感覚まで感じられるほどだ。

 

あぶれ蚊の寄る弁慶の泣きどころ

ペンギンのつんのめりゆく寒さかな

老犬の背より息する残暑かな

 

永田氏の住む態本は地震、豪雨と災害に相次いで見舞われた。それらの作品は本句集の中核をなす。

 

夏蒲団地震の伝はる背骨かな

「負けんばい」の貼紙ふえて夏近し

梅雨出水避難の床にぬひぐるみ

 

困難な境涯に遭ってもなお詠まざるを得ないのは俳人としての性である。それが社会に及ぶのも永田氏の俳句の懐の深さである。

 

春雷や自殺にあらず諌死なり

 

財務省の文書改竄に関係する事件を想起させるが、諌死は古代中国から見られ、ある意味忠義の証とも言える行為だ。すぐに止んでしまう春雷が切ない。

(文學の森 2121年9月27日刊)

 

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