【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

Haiku Column 「今月の秀句」❹

2017年06月17日 23時02分17秒 | 月刊誌「くまがわ春秋」
『くまがわ春秋』6月号!
〜俳句大学 Haiku Column 「今月の秀句」④〜

◆『くまがわ春秋』6月号が発行されました。
◆俳句大学 Haiku Column 「今月の秀句」③が掲載されています。
◆この企画によって、二行書きによる「切れ」と「取り合わせ」を取り入れたHaikuを提唱して行きます。
●選句:永田満徳/直訳:向瀬美音

Numero June de [Kumagawa shunnjuuくまがわ春秋」!
〜Les meilleurs Haikus du mois de Haiku Colum de Haiku Universite〜
◆Le numero de June de Kumagawa春秋 vient d'etre publie.
◆il contient les meilleurs haikus du mois selectionnes par M. Nagata.
◆Selon ce plan nous allons continuer a publier des haikus en deux lignes avec kire et toriawase.

The June issue of 「Kumagawa shunnjuuくまがわ春秋」!
〜Haiku Colum of Haiku University [Monthly best Haikus]〜
◆the June issue of Kumagawa春秋 has just been published.
◆It contains the best haikus of the month sekected by M. Nagata.
◆according to the plan, we will continue to publish 2 lines haikus with kire and toriawase.
●Selected and Commented by Mitsunori NAGATA/Translated by Mine MUKOSE


【今月の秀句】
Corail Berhaute Creuzet

bain de soleil
sur la plaine moussent les nuage
[Commented by Mitsunori NAGATA]
Cette personne prend un bain de soleil et voit les nuages monter. On ressent l’atmosphère riche de l’été.
コラリ

日光浴
雲の泡立つ平野の上
【永田満徳評】
日光浴を楽しんでいる目線の先には盛り上がり育ちつつある雲がある。「泡立つ」という措辞に豊かな夏のひと時が活写されている。

Nazarena Rampini

soffio di vento
da un ramo all`altro l`echo del cuculo
[Commented by Mitsunori NAGATA]
Suddently wind blew. The song of the cuckoo echoes in the mountain. We feel the nice silence of the deep forest.
ナザレーナ

一陣の風
枝から枝へ郭公の谺
【永田満徳評】
折からの風が吹いてきて、木の枝を飛び回っている郭公の声が谺している。いかにも奥深い森林の静けさが感じられて心地良い。

Gerard Dumon

sieste à la plage
vent tourne les pages du dernier roman
[Commented by Mitsunori NAGATA]
Au milieu de sa sieste, la page du roman est ouverte. Ce n’est pas une personne mais le vent qui va finir de lire le roman. C’est une expression extraordinaire.
ジェラルヂュモン

海岸の昼寝
風は小説の最後のページをめくる
【永田満徳評】
昼寝によって小説が読み掛けのままになっている。小説をめくり終わらせるのが風だという擬人的表現はなんとも心憎い。

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第19号【漱石漢詩】

2017年06月13日 21時36分32秒 | 総合文化誌「KUMAMOTO」

NPO法人 くまもと文化振興会
2017年6月15日発行

   《はじめての漱石漢詩》
     初出雑誌発見
                    永田 満徳
 晩年の漱石が漢詩の創作に熱心であったことはよく知られている。晩年の漢詩に注目されがちであるが、和田利男氏によれば、少年時代の作から英国留学の途に上る明治三十三年の秋までを第一期として、この期の漢詩には「従来の漢詩にはまったく見られなかった自由清新な発想によるもの」があると指摘している。
 そこで、明治二十九年四月第五高等学校赴任から明治三十三年六月英国留学までの、いわゆる漱石の熊本時代の新資料が熊本の新聞、雑誌などで発見できないかと渉猟してみた。
 その結果、「丙申五月。恕卿所居庭前生霊芝。恕卿因徴余詩。」(以下、「丙申五月」)云々の漢詩は熊本で発行されていた「九州教育雑誌」六百七十号(九州教育雑誌社)に明治三十年一月三十日刊に発表されていたことが分かった。また、明治三十年二月十日刊の「龍南会雑誌」の〔文苑〕欄に転載されていることが分かったのである。

 一 『漱石全集十八巻 漢詩』の定稿

丙申五月、恕卿   丙申五月、恕卿の居る所、
所居、庭前生霊   庭前に霊芝を生ず。恕卿
芝。恕卿因徴余   因って余が詩を徴す。余、
詩。余辞以不文。  辞するに不文を以てす。
恕卿不聴、賦以   恕卿聴かざれば、賦して
為贈。恕卿者片   以て贈と為す。恕卿なる
嶺氏、余僚友也。  者は片嶺氏、余の僚友なり。

五首 明治二十九年十一月十五日
〔其一〕     〔其の一〕
階前一李樹   階前の一李樹
其下生霊芝   其の下に霊芝を生ず
想当天長節   想うに天長の節に当る厥厥
李紅芝紫時   李は紅に芝は紫なる時
〔其の二〕    〔其の二〕
禄薄而無慍   禄薄くして而も慍る無く
旻天降厥霊   旻天 厥の霊を降す
三茎抱石紫   三茎 石を抱いて紫に
瑞気満門庭   瑞気 門庭に満つ
〔其三〕     〔其の三〕
朱蓋涵甘露   朱蓋 甘露を涵し
紫茎抽緑苔   紫茎 緑苔より抽きんず
恕卿三顧出   恕卿 三顧して出で
公退笑顔開   公退 笑顔開く
〔其四〕    〔其の四〕
茯苓今懶採   茯苓 今採るに懶く
石鼎那烹丹   石鼎 那ぞ丹を烹んや
日対霊芝坐   日に霊芝に対して坐せば
道心千古寒   道心 千古に寒し
〔其の五〕    〔其の五〕
氤氳出石罅   氤氳として石罅より出で
幽気逼禅心   幽気禅心に逼る
時誦寒山句   時に寒山の句を誦し
看芝坐竹陰   芝を看て竹陰に坐す

 『漱石全集十八巻 漢詩』の定稿は漢詩人本田種竹の添削に従っている。なお、本田が添削した詩稿は『夏目漱石遺墨集』第一巻(求龍堂・昭和五十四年五月)の写真版で見ることができる。
 この時期の後半、正岡子規を介して本田に添削を依頼したり、後に同僚の長尾雨山に批点を受けたりすることもあったが、もっぱら自作の漢詩を子規に示して、批評を聞く程度であった。子規と親しかった本田種竹への添削依頼は子規を介してとはいえ、漱石自らが希望したものである。本田種竹は京都で漢詩を学び、長尾とともに「日本」新聞に拠って、森海南らと対立していた。
 ところで、この詩稿が「九州教育雑誌」、さらには「龍南会雑誌」に発表されていたのである。漱石は「九州教育雑誌」・「龍南会雑誌」掲載の漢詩に本田が添削した詩稿通りに掲載している。漱石の本田種竹への信頼の証がみてとれる。

 二 「九州教育雑誌」、「龍南会雑誌」への転載

 「九州教育雑誌」の〔文藻〕欄には片嶺芝園(芝庭改)、本名片嶺忠編集の「随蒐錄」の中に収められ、その冒頭に掲載されている。「丙申五月」の漢詩は「先頃学校の教務掛の庭に霊芝とか何とかいふものが生たと申すにより小生に其詩を作って呉れと申し来り候」という子規宛書簡(明治二十九年十一月十五日付)にあるように、第五高等学校の教務係片嶺からの依頼で作られた。従って、片嶺忠は、「九州教育雑誌」に掲載するのを前提にして、明治二十九年四月第五高等学校に着任して半年を越えたほどの漱石に漢詩創作を依頼したものと考えられる。もちろん、漱石が漢詩をよくする人物であることを知ってのことである。
 さらに、片嶺芝園は、明治三十年二月十日刊の「龍南会雑誌」の〔文苑〕欄に「随蒐録」そのものを転載し、「随蒐録 第五」として、この「丙申五月」の漢詩を掲載している。
 従って、「丙申五月」の漢詩の初出は「九州教育雑誌」〔文藻〕欄ということになる。ただ、片嶺芝園は、「龍南会雑誌」の〔文苑〕欄に「随蒐録」を設け、計6回掲載しているので、「随蒐録」は「龍南会雑誌」〔文苑〕欄が主であって、何らかの関係で、「丙申五月」の漢詩を含む「随蒐錄」を「九州教育雑誌」に先行発表したのであろう。
 「龍南会雑誌」の〔文苑〕欄掲載の「古別離」「雑興」は五高の同僚で漢詩人の長尾雨山が添削していることから、片嶺芝園は、「九州教育雑誌」や「龍南会雑誌」の掲載を斡旋する役割であったものと考える。

 三 『漱石全集』の「丙申五月」の漢詩

 『漱石全集』の「丙申五月」の漢詩は、初出は「九州教育雑誌」六百七十号(九州教育雑誌社・明治三十年一月三十日刊)で、後に「龍南会雑誌」(第五高等学校校友会誌・明治三十三年二月十八日発行)の「文苑」に転載されたものである。
なお、詳細な論考は拙論文(『方位』第二十七号、2009年11月刊)参照。
              (ながた みつのり/熊本近代文学研究会会員)

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菅野隆明句集『トンカラリン』跋文

2017年06月05日 07時56分01秒 | 句集序文・跋文

   魂の一行詩に向かって
                           永田満徳

 『トンカラリン』は菅野隆明氏の第一句集である。全てで四六二句を数え、菅野氏渾身の句集である。どの句にも心が通っていて、読み応えのある句群である。
 菅野氏とは句会を友としている関係で、句会の折に心を留めた句があり、旧知にあった気がする。
   春羅漢さまざまの貌なつかしき
   蝸牛の道のなかばで行き暮れて
   目瞑れば闇の花咲く西行忌
 「羅漢」に親しみを持ったり、「蝸牛」に心を寄せたり、「西行」に思いを寄せたりしていて、句集という一纏まりで読むと、菅野俳句の真骨頂を味わうことができる。
 菅野俳句は郷土に深く根差している。
阿蘇は世界最大級のカルデラや勇壮な五岳、広大な草原など、地球の素顔ともいえるスケールの大きな地である。
   大阿蘇の神々目覚む大初日
阿蘇は何よりも神の山である。阿蘇火山の活動は農作物に大きな被害を与えることから、人々は古来より火山を神として敬ってきた。
さらに、阿蘇は伏流水が多く、泉が湧き出ていて名水の宝庫である。
   若水の渾渾と阿蘇一の宮
特に南阿蘇方面には多くの湧水が存在し、阿蘇の恵みとして尊ばれている。
   奥阿蘇の湧水あまし新豆腐
年今年阿蘇の水湧く水前寺
また、阿蘇は有数の放牧地である。阿蘇の草原に放牧されている牛のほとんどが、子牛を生ませるための雌牛とその子牛である。
   春雷や子牛奔れる阿蘇の牧
   阿蘇谷の牛小屋守るちやんちやんこ
阿蘇に吹く風も風物詩の一つである。
   阿蘇谿の風さらさらと新豆腐
   阿蘇谷の風はいづくへ女郎花
   かなかなや阿蘇の木木より生るる風
いずれも阿蘇を吹き抜ける風を描いて、心地いい。
 阿蘇の野菜といえば高菜が有名であるが、
   大阿蘇や青首大根ぐいと引く
という大根もあり、〈大根引く阿蘇に大きな尻向けて〉の句は捨てがたい。
 球磨川は、熊本県南部の人吉盆地を貫流し、多くの支流を併せながら八代平野に至り不知火海に注ぐ一級河川で、日本三大急流の一つでもある。
   球磨川の水面揺蕩ふ盆の月
球磨川沿いの風景を〈暮易し球磨の渡しの独木舟〉と描いて過不足がない。
球磨川下りではなんといっても美しい自然を眺めながら、大小の早瀬を進むスリルが魅力である。
   川下り焼酎に酔ひ舟に酔ひ
   鶺鴒や球磨には早瀬かつぱ淵
 焼酎は「球磨焼酎」のことである。熊本県南部の人吉・球磨地方に産する焼酎の呼称で、米を原料とし、すっきりとした味わいが特徴である。
 このように、阿蘇、そして球磨の句には阿蘇、球磨の風物が余すところなく詠みあげられている。
   トンカラリン抜ければ古代秋の蝶
 句集の題は末尾の連作である「トンカラリン」から採られている。トンカラリンは熊本県和水町にある古代の隧道型の遺構で、未だに用途は不明である。題そのものが郷土の風物に対する作者の愛情を物語るものである。
 ところで、郷土・風土への関心は遍路の句に表現されている信仰心と不可分の関係にある。句集「トンカラリン」の副題は「果てなき遍路みち」となっていて、作者の作句姿勢が如実に現れている。
   重き荷の肩に食ひ込む遍路みち
   補陀落の海遥かなり遍路みち
など、人生を「遍路」とみている句を抜き出すのはそう難しくない。日常的に〈大寒のひとり経読む仏間かな〉の状態であり、〈隠岐や今御霊鎮まる雲の峰〉という後鳥羽上皇への鎮魂の句など、枚挙に遑がない。
 この宗教に対する言及の根源には、余人の伺うことの知れない心の闇の存在があることを忘れてはいけない。
木枯らしの我が影ととも海に入る
 この「影」は見たままの影ではない。「木枯らし」はまさしく心象の句である。そう思うのは「影」と類縁の「闇」の語が頻出するからである。
   闇の遍路明王鈴をよすがとし
   身のうちの修羅とき放つ五月闇
心の闇を凝視した句からは作者の心の底の深さを思い計ることができる。もちろん、〈海鼠腸を舐めつつ酒を呷るかな〉の句にある通り酒を好み、旅にあれば〈みちのくのどぶろく重ね一句なす〉〈熱燗や熊襲の裔の集ふ句座〉というふうに酒は傍らにあるににあるとしても、あくまでも酒は〈どぶろくや背の矜恃つと解けり」と心を解放するものでしかない。
 菅野隆明氏の俳句は単なる写生の具でなく、生き方そのものが俳句である。ここに、魂の一行詩を標榜する「河」の同人たるを疑わない。
  平成二十九年四月

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