漱石忌法要俳句大会
平成29年12月10日(日)、夏目漱石第三旧居で「夏目漱石の生誕一五〇年」を記念して、くまもと漱石倶楽部主催の「漱石忌法要俳句大会」が行われた。
「漱石忌」200句、「雑詠」256句、計456句、93名の投句があった。
俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)の講話の表題は「漱石俳句と『草枕』」。漱石みずから『草枕』のことを述べている「俳句的小説」という言葉は従来触れられることが少ないが、文字通りの意味と重みを持っている。寺田寅彦などの門下生が標語している『漱石俳句研究』(岩波書店、一九二五、七)に見られる「俳句の方法」が『草枕』に応用されている。例えば、『草枕』のキーワードである「非人情」は「写生」から来ていること、各章がどこから読んでもよいように一句の独立世界であり、章末は「省略」が用いられていること、画工と那美の関係は「同化」で読み取れること。春の「季語」の多用、「取り合わせ」、「連想」などなど。言われてみれば、なるほどそんな所もあったなと思いながら傾聴することができた。
特選・秀逸・佳作の表彰に続いて、選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「十六年添ヒシ猫死ス漱石忌 荒尾かのこ」については、猫の死亡通知はがきを出した漱石よろしく、愛猫の死亡電報仕立てがいい。後援者賞のくまもと漱石倶楽部賞の「良夜かな死にとうないと往生す 加藤知子」については、漱石忌法要にふさわしく、死に向かう人の気持ちを思い、「良夜」という季語で救っている。熊本日日新聞社賞の「猫なでて餅食ふ髭のよく動く 児玉文子」は、猫を可愛がっている人を細かく、面白く切り取っている。「俳句界」文學の森賞の「漱石忌本に値を付け客を待つ 河島一夫」は、自信を持って推奨できる本を前にした古書店主の姿から、給料の大半を書籍購入に費やした熊本時代の漱石が偲ばれる。
選者賞 「漱石忌」
特選
十六年添ヒシ猫死ス漱石忌
荒尾かのこ
秀逸
タグ付けしままの赤シャツ漱石忌
小室 千穂
漱石忌本に値を付け客を待つ
河島 一夫
陽だまりの黒猫孤高に漱石忌
坂本 真二
草語樹語猫語に鳥語漱石忌
仁田尾俊子
選者賞 「雑 詠」
特選
良夜かな死にとうないと往生す
加藤 知子
秀逸
猫なでて餅食ふ髭のよく動く
児玉 文子
かにかくに上辺じやないと海鼠言ふ
菅野 隆明
世は暗し明月に家の欲しきなり
田島 三閒
まだ知らぬ君の体温毛糸編む
向瀬 美音
明治三十(一八九七)年、正岡子規が新聞「日本」に「明治二十九年の俳句界」を書いた。その中で、漱石については意匠の斬新、滑稽思想などを特色としていると称揚した。漱石がその年の九月から翌年三月まで住んだのが夏目漱石第三旧居である。漱石が明治三十年の大晦日に「草枕」の旅へ同僚の山川信次郎と出かけたのはこの家からである。
夏目漱石第三旧居は熊本に現存する他の旧居(第五・第六)に比べて、質素な感じのする平屋であるが、漱石はたいそう気に入り、長く住みつづけるつもりであった。ところが、家主の落合東郭(のち大正天皇侍従)が漱石と同じ第五高等学校教授として帰熊することになり、転居せざるを得なくなった。
熊本の新派俳句の推進者・夏目漱石の未練が残っている第三旧居のなかで、「漱石忌法要俳句大会」が50名近く参集し、八畳、四畳、六畳をぶち抜いて、裸電球の灯る下で行われたことは、これで浮かばれると、泉下の夏目漱石もひそかに喜んでいるのではないか。
(レポート・古賀一正)
平成29年12月10日(日)、夏目漱石第三旧居で「夏目漱石の生誕一五〇年」を記念して、くまもと漱石倶楽部主催の「漱石忌法要俳句大会」が行われた。
「漱石忌」200句、「雑詠」256句、計456句、93名の投句があった。
俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏(「未来図」同人)の講話の表題は「漱石俳句と『草枕』」。漱石みずから『草枕』のことを述べている「俳句的小説」という言葉は従来触れられることが少ないが、文字通りの意味と重みを持っている。寺田寅彦などの門下生が標語している『漱石俳句研究』(岩波書店、一九二五、七)に見られる「俳句の方法」が『草枕』に応用されている。例えば、『草枕』のキーワードである「非人情」は「写生」から来ていること、各章がどこから読んでもよいように一句の独立世界であり、章末は「省略」が用いられていること、画工と那美の関係は「同化」で読み取れること。春の「季語」の多用、「取り合わせ」、「連想」などなど。言われてみれば、なるほどそんな所もあったなと思いながら傾聴することができた。
特選・秀逸・佳作の表彰に続いて、選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「十六年添ヒシ猫死ス漱石忌 荒尾かのこ」については、猫の死亡通知はがきを出した漱石よろしく、愛猫の死亡電報仕立てがいい。後援者賞のくまもと漱石倶楽部賞の「良夜かな死にとうないと往生す 加藤知子」については、漱石忌法要にふさわしく、死に向かう人の気持ちを思い、「良夜」という季語で救っている。熊本日日新聞社賞の「猫なでて餅食ふ髭のよく動く 児玉文子」は、猫を可愛がっている人を細かく、面白く切り取っている。「俳句界」文學の森賞の「漱石忌本に値を付け客を待つ 河島一夫」は、自信を持って推奨できる本を前にした古書店主の姿から、給料の大半を書籍購入に費やした熊本時代の漱石が偲ばれる。
選者賞 「漱石忌」
特選
十六年添ヒシ猫死ス漱石忌
荒尾かのこ
秀逸
タグ付けしままの赤シャツ漱石忌
小室 千穂
漱石忌本に値を付け客を待つ
河島 一夫
陽だまりの黒猫孤高に漱石忌
坂本 真二
草語樹語猫語に鳥語漱石忌
仁田尾俊子
選者賞 「雑 詠」
特選
良夜かな死にとうないと往生す
加藤 知子
秀逸
猫なでて餅食ふ髭のよく動く
児玉 文子
かにかくに上辺じやないと海鼠言ふ
菅野 隆明
世は暗し明月に家の欲しきなり
田島 三閒
まだ知らぬ君の体温毛糸編む
向瀬 美音
明治三十(一八九七)年、正岡子規が新聞「日本」に「明治二十九年の俳句界」を書いた。その中で、漱石については意匠の斬新、滑稽思想などを特色としていると称揚した。漱石がその年の九月から翌年三月まで住んだのが夏目漱石第三旧居である。漱石が明治三十年の大晦日に「草枕」の旅へ同僚の山川信次郎と出かけたのはこの家からである。
夏目漱石第三旧居は熊本に現存する他の旧居(第五・第六)に比べて、質素な感じのする平屋であるが、漱石はたいそう気に入り、長く住みつづけるつもりであった。ところが、家主の落合東郭(のち大正天皇侍従)が漱石と同じ第五高等学校教授として帰熊することになり、転居せざるを得なくなった。
熊本の新派俳句の推進者・夏目漱石の未練が残っている第三旧居のなかで、「漱石忌法要俳句大会」が50名近く参集し、八畳、四畳、六畳をぶち抜いて、裸電球の灯る下で行われたことは、これで浮かばれると、泉下の夏目漱石もひそかに喜んでいるのではないか。
(レポート・古賀一正)
漱石忌□△ヒフミヨに (「草枕」三)
漱石忌渦になりきりヒフミヨに (「草枕」一)
青柳水自茫茫岸と岸 (「十牛図」)