「湧水」32号
くまもと文学・歴史館友の会 2024年12月発行
エッセイ Ⅰ 古典との対話
雷連れて白河越ゆる女かな 鍵和田秞子『武蔵野』
永田満徳(みつのり)
小林秀雄は何事も「まず、まねよ」だったという。最も強い口調で語ったのは「モオツァルト」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第15巻)の中における、「模倣は独創の母である、唯一人のほんとうの母親である」という一節である。小林秀雄はまた、「伝統について」では、「伝統の力が最大となるのは、伝統を回復しようとする僕等の努力と自覚においてである」「伝統は、見付け出して信じてはじめて現れるものだ」(新潮社刊『小林秀雄全集』第7卷)と述べている。「模倣」といい、「伝統」といい、いずれも、古典とどう向き合い、古典の言葉をどう生かすかについて考えるときに示唆に富む言葉である。
そこで、私の俳句を例に挙げてみたい。「皿洗ひわぎももこもこ蜜柑剥く」の「わぎも」は吾妹と書く。万葉の古語を使って、今を生きる妻を「わぎも」という古語で労ったつもりである。「恋すてふわが名なき頃夏の夜」は壬生忠見の和歌・上の句「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」の語句を借用し、初恋に悶々とした頃を思って詠んでいる。「定家忌の波に入日の乗りて来る」は忌日に託して、「入日」に華やかで頽廃的な王朝文化を偲んでいる。このように、古典の語句の一部を使うか、言い回しを真似るか、古典の世界の雰囲気を漂わせて作るか。いずれにしても、古典を意識して詠んだ俳句である。
ところで、本歌取りは有名な本歌(古歌)の一句もしくは二句を自作に取り入れて作歌を行う方法。過去、あるいは古典の作品を生かすという点では有効である。しかし、本歌取りの手法はややもすれば類想、果ては盗作の問題にまで発展しかねない。例えば、寺山修司は中村草田男の「燭の灯を莨(たばこ)火(び)としつチェホフ忌」を「莨火を床にふみ消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優」に改作したとして非難されている。修司の有名な「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」は冨澤赤黄男の俳句の「一本のマッチをすれば湖は霧」を下敷きにしている。修司の短歌は赤黄男の俳句の核心部分をそのままコピーしていて、パクリとされている。しかし、一首全体として赤黄男の作品とはまったく別の世界を作り上げているということで評価が高い。
藤田直子著『鍵和田秞子の百句』によれば、鍵和田秞子は古典の世界を現代の俳句に再現することに極めて意識的であり、積極的であったという。藤田直子は、秞子の「夕波のさねさし相模初つばめ」(『胡蝶』)を挙げて、「さねさし」は相模にかかる枕詞、『古事記』に登場する弟橘比売命の「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」の歌で知られていて、下五の「初つばめ」に関しては、秞子の「あはぢしまかよふ燕とおもひ寝る」(『風月』)が源兼昌の「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」を連想させるとし、「歴史の流れの中に己を立たせて詠んでいる」と述べている。確かに、わずか五七五の中に古典の背景を背負った「さねさし相模」「つばめ(燕)」をうまく詠み込んでいる。
掲句の「雷連れて白河越ゆる女かな」は雷神図屏風から飛び出してきたような女性の勇ましい姿を髣髴とさせる。「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」と記した『おくのほそ道』の芭蕉の白河越えを踏まえている。古典との距離感がほどよく、古典の世界を超えて、古典をうまく生かしている。
鍵和田秞子は小林秀雄に倣っていえば、模倣の域を脱して、伝統なる古典の世界を見付け出し、日に新たに救い出した俳人だったといえる。
(「特集・古典との対話 一句鑑賞」『俳壇』2024年6月号に加筆したものである)