【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

Facebook「華文俳句社」 〜【俳句界】2024年2月号〜

2024年01月31日 10時03分20秒 | 「俳句界」華文俳句

俳句大学国際俳句学部!

 

Facebook「華文俳句社」
〜【俳句界】2024年2月号〜

 

◆2024年『俳句界』2月号が発行されました。
◆華文圏に俳句の本質かつ型である「切れ」と「取り合わせ」を取り入れた二行俳句を提唱して行きます。
◆2020年1月からは月刊『俳句界』に「華文俳句」の秀句を連載しています。
◆どうぞご理解とご支援をお願いします。

俳句大學國際俳句學部的通知!

~Facebook 「華文俳句社」Kabun Haiku  2024・2〜

◆2024年『俳句界』2月號已出版。
◆於華文圏提倡包含俳句的基礎「一個切」和「兩項對照組合」的二行俳句。
◆請各位多多支持指教。

華文俳句【俳句界】2024,2月号
永田満徳選評・洪郁芬選訳


 
魯凱勇士迎賓的盾牌舞
黑米祭

黃士洲
〔永田満徳評論〕
「黑米祭」是台灣冬季的季語,是魯凱族獨特的儀式。人們攜帶黑色小麥、蕃薯、芋頭、河中的魚等供品到族長的家中。通過將這些供品分給族長和族人,展現了整個部族共享的精神。與「黑米祭」相結合的是魯凱族獨特的「勇士之舞」,這種舞蹈雖然低調,卻不斷傳承,頌揚著這一傳統。
 
 
ルカイ族の勇士の踊り黒米祭

黃士洲
〔永田満徳評〕
「黒米祭」は台湾の冬の季語で、ルカイ族独特の祭典である。黒い小麦、さつまいも、タロイモ、川の魚などの供物を族長の家に持参する。族長、および族人に分け与えることで、部族全体の共有の精神を示す。「黒米祭」との取合せで、ルカイ族の独特「勇士の踊り」がひっそりながらも途絶えることなく、受け継がれていくことを詠んでいる。
 

週日早晨  
街角爆米香

穆仙弦
〔永田満徳評論〕
「爆米香」是台灣的冬季季語,對於台灣人來說,它是童年時代最令人懷念的點心之一。當大家聽到熟悉的壓力鍋爆炸聲響起,並且散發出美味的香氣時,人們就知道爆米香來了。通常,它在寒冷的季節出現是因為在製造時的溫度影響了它的口感。文中生動地描繪了充滿童趣的場景,就是孩子們在「週日早晨」奔向爆米香的情景。
 
日曜の朝街角の爆米香

穆仙弦
〔永田満徳評〕
「爆米香」は台湾の季語で、台湾人にとって子供時代の最も懐かしい駄菓子の一つ。馴染みのある圧力鍋の爆発音がし、おいしそうな香りが漂い始めると、人々は爆米香が来たことを知る。通常、寒い季節に現れるのは製造時の温度がその食感に関わるからである。子供たちが爆米香に駆け寄ってくる「日曜の朝」の情景がうまく切り取られている。
 
 

親友間的嫁娶吉祥話
打米程

雨靈
〔永田満徳評論〕
「打米程」是台灣的季語,是一種使用爆米花和糖製作的手工藝品。它不僅是秋冬季節裡味覺上的享受,也是充滿童年回憶的風味。米程承襲了客家傳統,婚嫁時客家新娘習慣携帶米程來表達對夫婦幸福和繁榮的象徵。採用「親友間的嫁娶吉祥話」這樣的措辭,蘊含著對幸福充實生活的期望。
 
親友の結婚話打米程

雨靈
〔永田満徳評〕
「打米程」は台湾の季語で、米と砂糖を使って作られるおかしの一つ。秋冬の季節における味覚の楽しみだけでなく、子供時代の思い出の味わいでもある。米程は客家の娘が結婚する際に持参金を用意する伝統を受け継ぎ、夫婦の甘さと繁栄を象徴している。「親友の結婚話」という措辞には幸福で満ち足りた生活への期待が込められている。

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俳句のレトリックとは何か ~漱石俳句と『肥後の城』のレトリック~

2024年01月21日 17時59分09秒 | 文学講座

くまもと・歴史館友の会機関誌 「湧水」第31号(2024年1月20日発行)

 

俳句のレトリックとは何か

 ~漱石俳句と『肥後の城』のレトリック~

 

             「火神」主宰 俳句大学学長 永田満徳

 

はじめに

第十五回「文學の森大賞」の第一次選考委員の望月周が「心の表現に適う修辞を自覚的に探りながら、郷土・熊本への熱情を多彩な詩に昇華しており、強い印象を残す。」と述べて、永田満徳の第二句集『肥後の城』(文學の森、2021年)における「修辞」(レトリック)の効果を高く評価している。

私は「文學の森大賞」受賞の言葉(月刊「俳句界」2023年5月号)に、「夏目漱石の言葉とされる『俳句はレトリックの煎じ詰めたもの』に倣い、連想はもとより、オノマトペ・擬人法・同化などを駆使して、多様な表現を試みました。」と書いているだけに、望月周の選考評は我が意を得たりでうれしかった。

「レトリック」という語は修辞学、あるいは修辞法、修辞技法などと訳される。〈文彩〉、または単に〈彩〉。言葉の効果的な使い方や表現技法で、説得力や感情的な効果を高めるために使用される。比喩、擬人など、さまざまな技法がある。

 

1.漱石の俳句観 

夏目漱石の俳句観を端的に示すのは、寺田寅彦が「夏目漱石先生の追憶」(昭和7年12月)のなかで、漱石の言として残っている言葉である。

 ○ 俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。

 ○ 扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。

そもそも、漱石のレトリックへの傾倒は俳句だけではない。修辞学者の佐藤信夫が漱石の文学作品においても、「並はずれた修辞的表現者だった」、「徹頭徹尾修辞的に書く、という散文は、漱石以後、《継承》されることがなかった。」(『わざとらしさのレトリック 言述のすがた』(講談社学術文庫)とまで言い切るほどである。

もともと、俳句の根本的なものは「写生」である。写生とは西洋画家中村不折に教わった正岡子規が俳句に応用したものである。写生が意味を持つのは、子規が長編時評「明治二十九年の俳句界」で説いているように、「非情の草木」や「無心の山河」には「美を感ぜしむる」ものがあるからである。

それに対して、漱石の写生観を「自然を写す文章」(『漱石全集』第25巻)に当たってみると、「自然を写す――即ち叙事といふものは、なにもそんなに精細に微細に写す必要はあるまいとおもふ。」「一部一厘もちがはずに自然を写すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した価値のある事でもあるまい。」といい、写生に必ずしも重きを置いてはいない。むしろ「自然にしろ、事物にしろ、之を描写するに、その連想にまかせ得るだけの中心点を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。」と述べ、「連想にまかせ得るだけの中心点を捉へ」ることを推奨している。「中心点」といい、「集注点」といい、「俳句のレトリック」を「扇のかなめのような集注点を指摘し描写」するものだという俳句観と同じである。ここでおもしろいのは、師の正岡子規に異を唱えるように、いくら写生に徹して「細精でも面白くなければ何にもならん」と言っていることである。

「自然を写す文章」は写生文についての言及ではあるが、俳句もまた、「自然を写す」のに「細精」であるよりも、「面白く」詠むべきだという考えを披歴していると言ってよい。

その点で注目すべきは、正岡子規が「明治二十九年の俳句界」のなかで、漱石の俳句を「活動」と二字で評価して、「意匠極めて斬新なる者、奇想天外より来たりし者多し。」と述べていることである。首藤基澄は「子規と漱石――写生と連想――」(『近代文学と熊本』、和泉書院)のなかで、「活動」と評したことに対して、「具象から抽象まで、連想法によって自在な世界構築が試みられようとしていたとみていい。その時、対象や方法を限定することなくいかようにも『活動』できる幅があった」と述べている。

明治30年2月の〔子規へ送りたる句稿二十三〕(『漱石全集』第17巻・岩波書店)をみると、「俳句のレトリック」をこれでもかこれでもかと使っている。番号は掲載順で、私が都合のいいように、「俳句のレトリック」を使った句だけを抜き出した訳ではないことを断っておく。

 1066 ○○ 人に死し鶴に生れて冴返る    空想

 1067    隻手(せきしゅ)此比(ひ)良目(らめ)生捕る汐干よな   見立て

 1068    恐らくば東風(こち)に風ひくべき薄着 

 1069 ○○ 寒山か拾得か蜂に螫(さ)されしは   連想 

 1070 ○○ ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり 比喩

 1071 ○○ 落ちさまに虻を伏せたる椿哉(かな)   擬人化

 1072    貪りて鶯続け様に鳴く      擬人化

 1073  ○ のら猫の山寺に来て恋をしつ   擬人化

 1074 ○○ ぶつぶつと大な田螺(たにし)の不平哉   オノマトペ・擬人化

子規の添削・評は句頭の○である。子規が漱石の句を高く評価しているのはいずれも「俳句のレトリック」を用いた「空想」「連想」「比喩」「擬人化」「オノマトペ」である。子規は子規で、夏目漱石の俳句の特色、あるいは魅力が「俳句のレトリック」の応用にあることを的確に掴んでいるのである。ここに漱石の俳句を「活動」と評した所以があると言わなければならない。

 

2.漱石俳句のレトリック

夏目漱石の熊本時代の千句余りの俳句を調べてみて分かったことは、「写生」「季語」「取り合せ」「省略」という俳句の基本的なレトリックはむろんのこと、「デフォルメ」「連想」「擬人化」「同化」などに及び、あらゆる「俳句のレトリック」を使っていることである。

その際に参考にしたのは、漱石俳句に対して門下生と呼ばれる寺田寅彦・松根豊次郎・小宮豊隆が標語している「漱石俳句研究」(一九二五年七月、岩波書店)である。

比喩=あるものを別のものに喩える          

   日当りや熟柿の如き心地あり 漱石 

  熟柿になつた事でもあるような心持のある所が面白い(小宮蓬里雨)

擬人化=人間でないものを人間に擬える         

   叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな 漱石

  此処では木魚を或意味で人格化している(蓬里雨)

連想=季語の内包する美的イメージを表す    

   寒山か拾得か蜂に螫されしは 漱石

  絵の表情から蜂に螫されたといふ架空の事実を連想した。(寺田寅日子)

空想=現実にありそうにもないことを想像する  

   無人島の天子とならば涼しかろ 漱石

  思ひ切つた空想を描いた句。(寅日子)

デフォルメ=対象を強調する          

   夕立や犇く市の十萬家 漱石

  十萬家といふ言ひ現はし方かの白髪三千丈の様ないささか誇大な形容(松根東洋城)

オノマトペ=音や声、動作などを音声化して示す 擬音語、擬声語、擬態語の3種類

   ぶつぶつと大いなる田螺の不平かな 漱石 大いなる→大な 〔句稿二十三〕

  先生の所謂修辞法の高頂点を示す(寅日子)

このように、私のみならず、漱石の門下生がどう標語しているかを例示することによって、漱石がどれだけ「俳句のレトリック」に習熟していたかということを示しておきたい。

 

3.『肥後の城』の俳句レトリック

私は代表を務める「俳句大学」で、インターネットの「俳句大学ネット句会」、あるいはFacebookの「俳句大学投句欄」における、講師による「一日一句鑑賞」、会員による「一日一句互選」や週ごとの「席題で一句」「テーマで一句」「動画で一句」、特別企画の「写真で一句」などに投句し、講師として選句も担当してきた。そこで、私が提出する兼題には必ずオノマトペを出すことにしているので、当然、『肥後の城』においてはオノマトペを使った俳句が多くなる。

今村潤子は、「特集 永田満徳句集『肥後の城』」(「火神」75号)のなかで、

  春昼やぬるんぬるんと鯉の群

  しやりしやりと音まで食らふ西瓜かな

  湯たんぽやぽたんぽたんと音ひびく

を取り上げて、「擬声語、擬態語が大変旨く表現されている。このようなオノマトペを使った句は他にもあるが、そこに作者の詩人としての感性が匂ってくる。」と述べている。

また、金田佳子は、「自在なオノマトペ」(「火神」75号)と題した文章で、『肥後の城』における「オノマトペ」が「気になった」こととして、

 一章 城下町  なし

 二章 肥後の城 ぽたり、だりだり、ごろんごろん、とろり

 三章 花の城  どさり、ぬるんぬるん、ひたひた、ぼこぼこ、しゃりしゃり、ぱっくり、ぱんぱん       

 四章 大阿蘇  とんとん、ぐらぐらぐんぐん、もぞもぞ、ゆったり、じっくり、ぽたんぽたん              

などを抜き出し、「オノマトペが印象鮮明、途端に句が生き生きとし、動詞や形容詞、形容動詞で説明されるよりずっと体感する」と述べて、オノマトペのよさを指摘している。ちなみに、オノマトペを使った句を例示すると、「さみだれの音だりだりとわが書斎」「寒風にぼこぼこの顔してゐたり」「もぞもぞとなんの痛みか長崎忌」などである。

『肥後の城』第四章の「大阿蘇」のなかの、

  ぐらぐらとどんどんとゆく亀の子よ

という句の場合、一句の中に「ぐらぐら」と「どんどん」というオノマトペを使うことによって、「左右に揺れながら一心に進んで行く」といった内容の長い文章を五七五の短い表現にできる。

オノマトペは世界一短い定型詩である俳句にとって非常に効果的であると考えてよい。

続いて、比喩は、譬えとも言うが、何かを表現したり伝えたりする際に、あえて他の事柄にたとえて表現する技法のことである。今村潤子は同じく「特集 永田満徳句集『肥後の城」(前述)において、

  春の雷小言のやうに鳴り始む

  ストーブを消して他人のごとき部屋

  熱帯夜溺るるごとく寝返りす

を取り上げて、「一句目は、春の雷は夏の雷と違ってごろごろと弱く鳴っている。その様を『小言のやうに』譬えた所、二句目は『ストーブを消し』た部屋を『他人のごとき』と譬えた所に作者ならではの独自性がある。三句目は寝苦しい熱帯夜に輾転反側している様を『溺れるように』と譬えた所に、熱帯夜が唯ならぬものであることが感受できる。」と述べて、「譬えが句の中で精彩を放っている」       と指摘している。

比喩は当たり前の表現をおもしろくしたり、分かりにくいものでも分かりやすくしたりする利点がある。

更に、擬人化について触れると、『肥後の城』の第一章の「城下町」だけでも多く取り出せる。

  いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ

「いがぐり」があちらこちらの散らばって落ちている様を詠んだもので、人間以外の「いがぐり」を「やんちや」坊主という人間に見立てた句である。

  さつきまでつぶやきゐたるはたた神 

  極月の貌を奪ひて貨車通る     

  どんどの火灰になるまで息づけり

擬人化は意外性のある句を作ることのできる魅力的な手法であるとともに、わかりやすさ、納得しやすさという点で修辞法の代表といえる。

最後に象徴であるが、象徴は抽象的な思想・観念をわかりやすく、別の具体的な事物によって理解しやすい形で表現する方法で、近年、特に注目している「俳句のレトリック」である。

   かたつむりなにがなんでもゆくつもり

「かたつむり」がどこまでも進んでいく様子を表現している。自分のペースで進み続けることで、どんなに遠くても目的地に到達する「かたつむり」を「独立独歩」の象徴として読み取ることができる。

  あめんぼのながれながれてもどりけり 

  こんなにもおにぎり丸し春の地震  

「あめんぼ」の句にしても、「おにぎり」の句にしても、「あめんぼ」が「不屈」、あるいは「おにぎり」が「真心」といった具合に、物と人間の深奥とを重層的に表現していると言うことができる。

物そのものを詠むのが俳句の骨法であるが、具体的でありながら抽象的な概念を詠み込むことができる象徴化という表現技法は「俳句のレトリック」の極北である。

『肥後の城』全体を通してみても、オノマトペに限らず、その他のレトリックの句にも好意的な評価が多かった。

 

4.俳句のレトリックの可能性 

「俳句のレトリック」に対する評価は必ずしも肯定意見ばかりではない。俳句に限らず、レトリックは一般的に評判が悪い。表現上の小技にすぎないと軽んじ、遠ざける傾向がある。特に俳句においては、古くは松尾芭蕉が高山伝右衛門宛ての書簡で作句五か条の一つとして「一句細工に仕立て候事、不用に候事(細工をしないこと)。」を記し、近年は高浜虚子の客観写生、すなわち写実的描写を重視してきたことの影響もあるのだろう。見たままをそのまま句にするのが写生であるから、当然と言えば当然である。確かに、オノマトペを含むレトリックは、例えば、擬人化の発想というのは、どうしても似たり寄ったりになりがちで、ありふれた発想、表現になることが多く、月並みに陥りやすいという欠点がある。擬人法を安易に使うと、気取った作意が透けて見え、陳腐で、薄っぺらな句になってしまうものである。

しかし、金子兜太は俳句という定型の音律形式がオノマトペを使いこなすのに格好のものであると述べている。また、漱石の「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」という言葉に触発されて俳句を始めた首藤基澄は句集『魄飛(はこび)雨(あめ)』(北溟社)の「あとがき」において、「片仮名語・擬音(態)語・方言・俗語・仮構・片言など、現在(いま)を生きる一人の人間の世界を少しでも浮かび上がらせるものであれば、それはそれでいいのではないか。」と言い、俳句表現の幅を広げるためには擬音(態)語・仮構も必要との考えをしている。

「俳句のレトリック」は言葉の力を最大限に引き出すための表現手法として重要な役割を果たす。レトリックは俳句という短詩型にとって有効な表現手段である。俳句は究極的には「レトリック」の固まりと言ってよい。作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るために、もっと積極的に取り入れてよいのではないか。

 

終わりに

正岡子規没後、高浜虚子を中心とする「ホトトギス派」と、河東碧梧桐を中心とする「新傾向俳句」に分かれる。「新傾向俳句」が五七五調や季題にとらわれない新しい句作を提唱したのに対し、「ホトトギス派」は五七五の定型調や季題といった伝統を守り、客観写生を深めることを主張した。その後、大正、昭和初期には客観写生派の「ホトトギス派」が俳壇の主流となり、今日に至っている。

しかし、その一方で、熊本にて運座(句会)を開き、正岡子規の新派俳句を熊本にもたらした漱石俳句の継承者は全国的にみてもいない。そこで、私は漱石の俳句を俳句の「技巧派」と名付けて、漱石派の後継者を自認することを表明したい。

(令和5年度第1回湧水講演 令和5年年10月14日 熊本県立図書館3F大研修室)より文字起こし

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〜 季語で一句 (50】 〜 『くまがわ春秋』2024年1月号(第94号)

2024年01月04日 00時59分12秒 | 月刊誌「くまがわ春秋」
俳句大学投句欄よりお知らせ!
 
〜 季語で一句 (50】 〜
 
◆『くまがわ春秋』2024年1月号(第94号)が発行されました。
◆Facebook「俳句大学投句欄」で、毎週の週末に募集しているページからの転載です。
◆お求めは下記までご連絡下さい。
・info@hitoyoshi.co.jp 
 ☎ 0966-23-3759
 
永田満徳:選評・野島正則:季語説明
 
季語で一句(R6.1月号)
 
炭(すみ) 「冬-生活」
中野千秋
子に託すものの幾つか炭をつぐ
【永田満徳評】
炭起こし、炭つぎのある生活は丁寧に暮らす日本文化そのものだった。ご先祖が「炭をつぐ」ように、家風を代々引き続きながら、次に「子に託すものの幾つか」をしみじみと考えているところがいい。 
【季語の説明】
「炭」は木炭のことで、木材から水蒸気やガスが抜けて炭素のみが残ったもの。炭を起こすことを〈つぐ〉という。火の種が途切れないように継ぐのである。石油や都市ガスなどが普及するまでは木炭・練炭・炭団などが火鉢・炬燵などの暖房火源であった。上質炭が用いられる茶道の炭には枝炭、花炭などがある。
 
おでん(おでん)      「冬-生活」
古賀寛昭
ぶるるんとほろほろと食ぶおでんかな
【永田満徳評】
「おでん」はおでん屋や屋台が独自の味付けで人気を競っている。「ぶるるん」「ほろほろ」のオノマトペを有効に使って、大根やこんにゃく、ゆで卵などの具材をおいしく食べている様子がうまく表現されている。       
【季語の説明】
「おでん」は日本料理のうち、煮物の一種で、鍋料理にも分類される 。鰹節と昆布でとった出汁、種と呼ばれる様々な具材を入れて長時間煮込む。おでん種としては薩摩揚げ、はんぺん、焼きちくわ、つみれ、こんにゃく、大根、芋、がんもどき 、牛すじ、ゆで卵、厚揚げなどの他、地域の特色のあるおでん種、味付けがある。
 
冬木(ふゆき)       「冬―植物」 
Anikó Papp(ハンガリー)
親密な静寂の中に冬木かな
【永田満徳評】 
「冬木」と言ったら、葉の落ちた木のほうが冬木の感じが色濃い。葉を落ち尽くし、錯綜とした枝だらけの状態は「親密」であり、物音の途絶えた森閑とした冬木立の周辺の様子は「静寂」そのものである。           
【季語の説明】
「冬木」とは常緑樹、落葉樹を問わず、樹木の冬の景。しんと静まりかえった冬木立だけの世界は冬ならではの風景である。俳句ではどちらの樹木でも冬木、冬木立として詠む。葉をすべて落とした落葉樹は寒々しくもあり、淋しくもある。葉をつけたままの常緑樹は鬱蒼とした姿で冬を乗り切る姿が凛々しく見える。
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Facebook「華文俳句社」 〜【俳句界】2024.1月号〜

2024年01月03日 13時36分45秒 | 「俳句界」華文俳句
俳句大学国際俳句学部!
 
Facebook「華文俳句社」
〜【俳句界】2024.1月号〜
 
◆2024年『俳句界』1月号が発行されました。
◆「俳句四季」11月号(2023年)に於いて、菫振華氏はいみじくも「漢俳」について「日本の俳句とは別物だ」と述べています。
「漢俳」とは五·七·五の形と漢字で綴られた三行詩。
     趙朴
緑蔭今雨来     緑陰に今雨来たり
山花枝接海花開   山花、枝接ぎて海花が開く
和風起漢俳     和風 漢俳を起こさん
◆そこで、「華文俳句」では華文圏に俳句の本質かつ型である「切れ」と「取り合わせ」を取り入れた二行俳句を提唱しています。
◆2020年1月からは月刊『俳句界』に「華文俳句」の秀句を連載しています。
◆どうぞご理解とご支援をお願いします。
 
俳句大學國際俳句學部的通知!
~Facebook 「華文俳句社」Kabun Haiku 2024・1〜
◆2024年『俳句界』1月號已出版。
◆於華文圏提倡包含俳句的基礎「一個切」和「兩項對照組合」的二行俳句。
◆請各位多多支持指教。
 
華文俳句【俳句界】2024年1月号
永田満徳選評・洪郁芬選訳
 
互傳訊息的鍵盤聲
星月夜
黃士洲
〔永田満徳評論〕
「星月夜」指的是因為空氣清澈,沒有月亮的晴朗夜空中星星如同撒在其中一樣美麗,猶如閃耀的月亮一般。在如此美麗的夜空中,人們不禁陶醉其中,因此通過將浪漫的「星月夜」與之搭配,成功地捕捉到了只聽得見「鍵盤聲」的夜晚,戀人之間交流「消息」的場景。
 
メッセージ交はすキーボードの音
星月夜
黃士洲
〔永田満徳評〕
「星月夜」とは空気が澄んでいるため、月のない晴れた夜空に星がばらまかれたように美しく、まるで月のように輝いて見えること。あまりにもきれいな夜空に見惚れてしまうほど、ロマチックな「星月夜」と取り合わせることによって、「キーボードの音」だけが聞こえる夜に、恋人と「メッセージ」を「交はす」情景がうまく切り取られている。
 
卸妝後的女伶
秋思
鄭如絜
〔永田満徳評論〕
「女優」即使外表再美,如果沒有演技,就無法成名;而要提升演技,每天都需要不懈努力。一旦名聲大噪,私人生活也就漸漸消失。女優是一個光彩奪目的職業,但各種困擾也是常有的。在平時的拍攝中,人們很難看到女優真實表情下的「秋思」,也就是成功地表達了秋天的淡淡憂傷。
 
秋思かなメイク落とせし素の女優
鄭如絜
〔永田満徳評〕
「女優」は見た目にいくら美しくても、演技力がなければ有名にはなれないし、演技力を磨くには日々の努力が欠かせない。名前が売れると、プライベートがなくなる。女優は華やかな職業であるが、なにかと気苦労が多い。通常の撮影中では見ることが出来ない女優の素の表情にふと現れる「秋思」、つまり秋の物悲しさを的確に捉えている。
 
忙著包裝的巫婆臉
萬聖節
蕎禾
〔永田満徳評論〕
充分發揮「萬聖節」的設定,選擇恐怖的服裝和妝容,打造出最可怕的女巫形象。為了裝扮,需要一些必要的道具,如披風連裙、帽子等。如果時間緊迫,就得匆匆忙忙地完成「包裝」。著重描繪一位平日裡匆忙忙碌的「女巫」,突顯她的滑稽之處,為此俳句增添不少趣味。
 
包装を急ぐ魔女の顔ハロウィン
蕎禾
〔永田満徳評〕
「ハロウィン」という設定を生かして、服装もメイクも怖めにし、世にも恐ろしい魔女を演出する。仮装するにはマント付きドレスや帽子など、多くの道具が必要である。時間がないと、「包装」をそそくさと仕上げなければない。日常的な事に慌てふためいている「魔女」に扮する女性の「顔」に焦点を当てて、滑稽的に描いているところがいい。
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〜Facebook「Haiku Column」〜 ☆【俳句界】2024年1月号☆

2024年01月03日 13時23分49秒 | 「俳句界」今月の秀句
俳句大学国際俳句学部よりお知らせ!
 
〜Facebook「Haiku Column」〜
☆【俳句界】2024年1月号☆
 
【 戦争 】は季語というより、キーワードで括りました。
なぜなら、戦争の本質を詠んでいると思ったからです。
【 戦争 せんそう sensou / war / guerre 】
Zamzami Ismail(Indonesia)
darkness of war
they killed each other's inner God
ザンザミ イスマイル(インドネシア) 
戦争や互ひの神を殺し合ふ 
Zdenka Mlinar(Croatia)
colors of war
dust and ashes
boje rata
prah i pepeo
ズデンカ ムリナー(クロアチア)
戦争の色は埃と灰の色 
 
 
◆俳句総合誌『俳句界』2024年1月号が発行されました。
◆俳句大学 〔Haiku Column〕のHAIKUから選句・選評した句を掲載しています。また、「俳句界」2019年1月号から毎月連載しています。
※ 2021年の『俳句界』10月号から、優秀な作品が揃って来ましたので、1ページ増えて、3ページに渡って掲載しました。
◆R 2・12月号から作者の国名を入れています。
◆どうぞご理解ご支援をお願いします。
 
The January issue of 「HAIKUKAI俳句界」!
〜Haiku Colum of Haiku University [Monthly best Haikus]〜
◆the January issue of HAIKUKAI俳句界 has just been published.
◆It contains the best haikus of the month selected by M. Nagata.
◆according to the plan, we will continue to publish 2 lines haikus with kire and toriawase.
Janvier aout de 「HAIKUKAI俳句界」!
 
〜Haikus du mois de Haiku Colum de Haiku Universite〜
◆ Janvier aout de HAIKUKAI俳句界 vient d'etre publie.
◆il contient les meilleurs haikus du mois selectionnes par M. Nagata.
◆Selon ce plan nous allons continuer a publier des haikus en deux lignes avec kire et toriawase.
 
Haiku Column(俳句大学)(「俳句界」R6年1月号)
永田満徳選評・向瀬美音選訳(仏・伊)・中野千秋訳(英)
 
【今月の秀句(monthly excellent Haikus)】  
(Facebook「Haiku Column」より)
Lucie soleil(France)
Craquements dans les feuilles
Musique à mes oreilles.
〔Commentaire de Mitsunori Nagata〕
Lorsque l'on marche sur une feuille morte, on entend le craquement caractéristique de la feuille tombée, ce qui est plutôt apaisant. Lorsque le vent souffle, les feuilles mortes font un bruit de bruissement en passant. L'expression "j'ai de la musique dans les oreilles" décrit bien l'atmosphère de la fin de l'automne, qui peut être vue et entendue à la fois comme une image et comme un morceau de musique. L'image illustre bien le jeu en plein air pour profiter des sons que seule la fin de l'automne peut apporter.
リュシー ソレイユ(フランス)
落葉踏む耳に音楽ありにけり 
〔永田満徳評〕
「落葉踏む」と、落葉の軋むような独特の音がして、何だか心が落ち着く。風が吹けば吹いたで、「枯葉」はかさこそと音をたてて往き去る。「耳に音楽ありにけり」とはうまい表現で、見たり、聞いたりして、絵にも音楽にもなる晩秋の雰囲気を言い当てている。晩秋ならではの音を楽しむ外遊びをうまく描いている。
Ana Irina(Romania)
crickets -
I search for the song lyrics
〔Commented by Mitsunori Nagata〕
Many insects chirp in the fall because they become adults and begin to sing. To Westerners, the chirping of insects is like noise. When I hear the chirping of the "cricket," I know it is autumn. Many people wonder how the cricket sounds. It is interesting to note that in "Looking for the lyrics," the artist seems to be interested in knowing even the content of the lyrics.
アナ イリナ(ルーマニア)
蟋蟀の歌詞を探してをりにけり 
〔永田満徳評〕
秋に鳴く虫が多いのは成虫になって鳴き始めるからである。虫の鳴き声は西洋人にとって雑音や騒音に近いという。「蟋蟀」の鳴き声を聞くと秋を感じる。蟋蟀はどんな泣き方をするのか分からない人も多い。「歌詞を探してをりにけり」には「歌詞」の内容までも知りたいという気持が窺えるところがおもしろい。
Rachida Jerbi(Tunisia)
sac de voyage -
de ci de là les parfums d’un autre automne
〔Commentaire de Mitsunori Nagata〕
Le temps passé à faire ses valises avant un voyage est également agréable. L'automne est la saison des voyages, où une nature abondante vous attend. Les feuilles d'automne, les festivals, les saveurs d'automne et d'autres attractions abondent. Les souvenirs et les photos d'excursions automnales expriment le fait que le "sac de voyage" est rempli d'"odeurs d'automne partout". Cela reflète bien les caractéristiques des voyages et des promenades d'automne.
ラシダ ジェルビ(チュニジア)
旅行かばんどこもかしこも秋の匂ひ 
〔永田満徳評〕
旅行の前に荷造りしている時間も楽しい。豊かな自然が待っている秋は旅行シーズン。紅葉・お祭り・秋の味覚などの魅力が盛りだくさんである。秋の行楽地を巡った土産や写真などが納められた「旅行かばん」には「どこもかしこも秋の匂ひ」が詰まっていることを表現しているのである。秋の旅歩きの特徴をよく捉えている。
 
今月の季語(Kigo of this month) 
(Facebook「Haiku Column」より)
 
【 戦争 せんそう sensou / war / guerre 】
Zamzami Ismail(Indonesia)
darkness of war
they killed each other's inner God
ザンザミ イスマイル(インドネシア) 
戦争や互ひの神を殺し合ふ 
Zdenka Mlinar(Croatia)
colors of war
dust and ashes
boje rata
prah i pepeo
ズデンカ ムリナー(クロアチア)
戦争の色は埃と灰の色 
 
【 晩秋 ばんしゅう/ banshuu late autumn / fin de l'automne 】
Garvril Bale(Romania)
toamnă târziu -
pe câmp singur copacul cu umbra sa
autumn late -
in the field alone the tree with its shadow
ガブリル バル(ルーマニア)
晩秋や木の影ひとつある野原 
Tounès Thabet (Tunisia)
automne
les vies volées
トゥネス タベ(チュニジア)
晩秋や命はどんどん盗まれて 
 
【 秋の夜 あきのよ autumn evening / soir del'automne 】
Siu Hong-Irene Tan(Indonesia)
the inner voice, why's it so pure
autumn night
シウ ホング‐イレーヌ タン (インドネシア)
秋の夜のうちなる声の清らかさ 
Alberta Caterina Mattoli(Italy)
Sera d'autunno
La preghiera conforta l'anima mia
アルベルタ カタリナ マトリ(イタリア)
秋の夜や祈りは魂を和らげて
 
【 星月夜 ほしづきよ hoshizukiyo / starry night / ciel étoilé 】
Evin Rosess(Indonesia)
starry night
saxophone player playing a melody
エビン ローズ(インドネシア)
サックスの音の響いて星月夜 
タンポポ  亜仁寿(Indonesia)
starry night -
holding the rosary in her peaceful sleep
タンポポ  亜仁寿(インドネシア)
ロザリオを抱いて眠る星月夜 
 
【 秋の雨 あきのあめ akinoame / rain of autumn / pluie d’automne 】
Elena Zouain(Romania)
pluie d'automne -
le bruit de la rivière arrondit les galets
エレネ ズアイン(ルーマニア)
秋雨や石丸くする川の音  
autumn rain
smells of ammunition in the air
Mafizuddin Chowdhury(India)
マフィズディン チュードハリー(インド)
弾薬の匂ひ漂ふ秋の雨 
 
【 霧 きり kiri / fog, mist, haze / brouillard, brume 】
Marin RADA(Romania)
ceața de toamnă -
desenând o inimă pe geamul aburit
brouillard d'automne -
sur le verre cuit à la vapeur dessiner un coeur
マリン ラダ(ルーマニア)
窓に描くハート印や霧立ちて 
Imelda Senn(Suitzerland)
brouillard dense
le tintements des clochettes de vaches
イメルダ セン(スイス)
霧深し牛のちさき鈴の音 
 
【 新酒 しんしゅ shinshu / new sake / saké nouveau 】
Dyah Nkusuma(Indonesia)
new sake~
there is another sensation in the food served
ディア ヌクスマ(インドネシア)
手料理が別の味覚となる新酒 
Paul Callus(Malta)
new sake –
an excuse for a drinking contest
ポール カルス(マルタ)
今年酒飲む言ひ訳の試飲会
 
【 秋の蛇 あきのへび akinohebi / autumn snake / serpent d’automne 】
Barbara Anna Gaiardoni(Italy)
autumn snake
a cat toy
serpente autunnale
un giocattolo per gatti
バーバラ アナ ガイアルドニ(イタリア)
秋の蛇猫がおもちやにしてをりぬ 
Zana Coven(Romania)
autumn snakes -
dried wooden sticks
serpenti d'autunno -
rami secchi
jesenje zmije -
suhi drveni stapići
ザナ コヴェン(ルーマニア)
乾きたる木の棒のごと秋の蛇
コメント
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