月刊「くまがわ春秋」10周年の集い 挨拶
~個人を偲んで語ろう~
永田満徳
週刊「ひとよし」以来、月刊「くまがわ春秋」に寄稿し、大変お世話になっています永田満徳です。
本日は、「10周年の集い」の挨拶の栄誉を賜り、大変光栄に思っています。
人吉・球磨で熱心に文化活動を行った先人には高田素次氏、渋谷敦先生がいらっしゃいました。
今、ここに前田一洋先生、鶴上寛治先生がお亡くなりなりました。
郷土に根差し、人吉・球磨の文化活動に貢献された先達を失うことは痛切の極みです。
ここに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
本当にお疲れ様でした。
「くまがわ春秋」は「週刊ひとよし」創刊の趣意を受け継いでいます。
前「週刊ひとよし」編集長の伊勢戸明氏は、「週刊ひとよし」創刊にあたって、「一定の政治目標や経済活動に縛られない、それぞれの意見や研究や作品を発表できる個人参加の自由な集いとし、地域が真に自立するための連帯の場である」と述べられています。
「くまがわ春秋」は人吉・球磨という地域から出るべくして出た月刊誌です。
「本誌を読めば、球磨川流域のことは分かる」雑誌として発行されています。
これからも、人吉・球磨の文化が生きている証として、また、人の営みそのものを伝える月刊誌として愛読されることを願ってやみません。
ところで、高田素次氏・渋谷敦先生、前田一洋先生、鶴上寛治先生と連綿と続く人吉・球磨の文化顕彰に尽力された方は「地方からの発信」を心掛けた人たちです。
「地方からの発信」というと、明治時代に湯前町で活躍した井上微笑を思い出します。
井上微笑は夏目漱石を引き入れ、全国的に名を馳せた俳誌「白扇会報」の編集長かつ俳人で、当時、僻遠の地である湯前町に居ながら、「地方からの発信」に努力した人物です。
郷土研究家の高田素次氏が、「井上微笑自身の熱意と辛抱強さ」に目を見張っています。
「微笑の熱意と辛抱強さ」という言葉は、井上微笑が「私は俳句の信者である」と言っていることと無関係ではありません。
私自身、現在、郷土の文学研究、俳句の創作などの活動をしています。
その活動の原動力は、「地方からの発信」を心掛けた井上微笑の「私は俳句の信者である」という「熱意と辛抱強さ」です。
人吉・球磨の文化が生きている証として、また、人吉・球磨の人々の営みそのものを伝える「くまがわ春秋」を始めとして、人吉球磨という郷土文化を顕彰し、「地方からの発信」を辛抱強く心掛けていくことは先人の労苦に報いることだと思っています。
ともに、がんばってゆきましょう。
日時:2025年4月12日 18時30分~20時30分
場所:人吉旅館