【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

俳句のレトリックとは何か ~漱石俳句と『肥後の城』のレトリック~

2024年06月15日 16時42分13秒 | 総合文化誌「KUMAMOTO」

総合文化誌KUMAMOTO 第47号

NPO法人 くまもと文化振興会 2024年6月20日発行

 

俳句のレトリックとは何か

~漱石俳句と『肥後の城』のレトリック~

 

           「火神」主宰 俳句大学学長 永田満徳

 

はじめに

第十五回「文學の森大賞」の第一次選考委員の望月周が「心の表現に適う修辞を自覚的に探りながら、郷土・熊本への熱情を多彩な詩に昇華しており、強い印象を残す。」と述べて、永田満徳の第二句集『肥後の城』(文學の森、2021年)における「修辞」(レトリック)の効果を高く評価している。

私は「文學の森大賞」受賞の言葉(月刊「俳句界」2023年5月号)に、「夏目漱石の言葉とされる『俳句はレトリックの煎じ詰めたもの』に倣い、連想はもとより、オノマトペ・擬人法・同化などを駆使して、多様な表現を試みました。」と書いているだけに、望月周の選考評は我が意を得たりでうれしかった。

「レトリック」という語は修辞学、あるいは修辞法、修辞技法などと訳される。〈文彩〉、または単に〈彩〉。言葉の効果的な使い方や表現技法で、説得力や感情的な効果を高めるために使用される。比喩、擬人など、さまざまな技法がある。

 

1.漱石の俳句観 

熊本時代の漱石は俳人であった。

明治32年1月、〔子規へ送りたる句稿 その31〕の最後に、「冀くは大兄病中煙霞万分の一を慰するに足らんか」と書いている。つまり、漱石俳句全体の四割に当たる、熊本時代の千句余りの俳句は、病魔に襲われている子規の苦痛を添削によって軽減しようと配慮したのである。

夏目漱石の俳句観を端的に示すのは、寺田寅彦が「夏目漱石先生の追憶」(昭和7年12月)のなかで、漱石の言として残っている言葉である。

○ 俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。

○ 扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。

そもそも、漱石のレトリックへの斟酌は俳句だけではない。修辞学者の佐藤信夫が漱石の文学作品においても、「並はずれた修辞的表現者だった」、「徹頭徹尾修辞的に書く、という散文は、漱石以後、《継承》されることがなかった」(『わざとらしさのレトリック 言述のすがた』(講談社学術文庫)とまで言い切っているほどである。

もともと、俳句の根本的なものは「写生」である。写生とは西洋画家中村不折に教わった正岡子規が俳句に応用したものである。写生が意味を持つのは、子規が長編時評「明治二十九年の俳句界」で説いているように、「非情の草木」や「無心の山河」には「美を感ぜしむる」ものがあるからである。

それに対して、漱石の写生観を「自然を写す文章」(『漱石全集』第25巻)に当たってみると、「自然を写す――即ち叙事といふものは、なにもそんなに精細に微細に写す必要はあるまいとおもふ。」「一部一厘もちがはずに自然を写すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した価値のある事でもあるまい。」といい、写生に必ずしも重きを置いてはいない。むしろ「自然にしろ、事物にしろ、之を描写するに、その連想にまかせ得るだけの中心点を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。」と述べ、「連想にまかせ得るだけの中心点を捉へ」ることを推奨している。「中心点」といい、「集注点」といい、「俳句のレトリック」を「扇のかなめのような集注点を指摘し描写」するものだという俳句観と同じである。ここでおもしろいのは、師の正岡子規に異を唱えるように、いくら写生に徹して「細精でも面白くなければ何にもならん」と言っていることである。

「自然を写す文章」は写生文についての言及ではあるが、俳句もまた、「自然を写す」のに「細精」であるよりも、「面白く」詠むべきだという考えを披歴していると言ってよい。

その点で注目すべきは、正岡子規が「明治二十九年の俳句界」のなかで、漱石の俳句を「活動」と二字で評価して、「意匠極めて斬新なる者、奇想天外より来たりし者多し。」と述べていることである。首藤基澄は「子規と漱石――写生と連想――」(『近代文学と熊本』、和泉書院)のなかで、「活動」と評したことに対して、「具象から抽象まで、連想法によって自在な世界構築が試みられようとしていたとみていい。その時、対象や方法を限定することなくいかようにも『活動』できる幅があった」と述べている。

明治30年2月の〔子規へ送りたる句稿二十三〕(『漱石全集』第17巻・岩波書店)をみると、「俳句のレトリック」をこれでもかこれでもかと使っている。番号は掲載順で、私が都合のいいように、「俳句のレトリック」を使った句だけを抜き出した訳ではないことを断っておく。

  1066 ○○ 人に死し鶴に生れて冴返る    空想

  1067    隻手(せきしゅ)此比(ひ)良目(らめ)生捕る汐干よな   見立て

  1068    恐らくば東風(こち)に風ひくべき薄着 

  1069 ○○ 寒山か拾得か蜂に螫(さ)されしは   連想 

  1070 ○○ ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり 比喩

  1071 ○○ 落ちさまに虻を伏せたる椿哉(かな)   擬人化

  1072    貪りて鶯続け様に鳴く      擬人化

  1073  ○ のら猫の山寺に来て恋をしつ   擬人化

  1074 ○○ ぶつぶつと大な田螺(たにし)の不平哉   オノマトペ・擬人化

子規の添削・評は句頭の○である。子規が漱石の句を高く評価しているのはいずれも「俳句のレトリック」を用いた「空想」「連想」「比喩」「擬人化」「オノマトペ」である。子規は子規で、夏目漱石の俳句の特色、あるいは魅力が「俳句のレトリック」の応用にあることを的確に掴んでいるのである。ここに漱石の俳句を「活動」と評した所以があると言わなければならない。

 

2.漱石俳句のレトリック

かつて、「夏目漱石『草枕』」(「『仕方がない』日本人をめぐって―近代日本の文学と思想」2010.9・南方新社))において、『草枕』の叙述の仕方と筋の展開には「俳句のレトリック」の応用があることを指摘した。漱石が「余が『草枕』」という文章の中で自己解説した『草枕』が「俳句的小説」であることを裏付けたのである。

※夏目漱石の『草枕』論 参照)

その『草枕』論を書く準備段階で、夏目漱石の熊本時代の俳句を調べてみて分かったことは、「写生」「季語」「取り合せ」「省略」という俳句の基本的なレトリックはむろんのこと、「デフォルメ」「連想」「擬人化」「同化」などに及び、あらゆる「俳句のレトリック」を使っていることである。

その際に参考にしたのは、漱石俳句に対して門下生と呼ばれる寺田寅彦・松根豊次郎・小宮豊隆が標語している「漱石俳句研究」(一九二五年七月、岩波書店)である。

比喩=あるものを別のものに喩える          

  日当りや熟柿の如き心地あり 漱石 

 熟柿になつた事でもあるような心持のある所が面白い(小宮蓬里雨)

擬人化=人間でないものを人間に擬える         

  叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな 漱石

 此処では木魚を或意味で人格化している(蓬里雨)

連想=季語の内包する美的イメージを表す    

  寒山か拾得か蜂に螫されしは 漱石

 絵の表情から蜂に螫されたといふ架空の事実を連想した。(寺田寅日子)

空想=現実にありそうにもないことを想像する  

  無人島の天子とならば涼しかろ 漱石

 思ひ切つた空想を描いた句。(寅日子)

デフォルメ=対象を強調する          

  夕立や犇く市の十萬家 漱石

 十萬家といふ言ひ現はし方かの白髪三千丈の様ないささか誇大な形容(松根東洋城)

オノマトペ=音や声、動作などを音声化して示す 擬音語、擬声語、擬態語の3種類

  ぶつぶつと大いなる田螺の不平かな 漱石 大いなる→大な 〔句稿二十三〕

 先生の所謂修辞法の高頂点を示す(寅日子)

このように、私のみならず、漱石の門下生がどう標語しているかを例示することによって、漱石がどれだけ「俳句のレトリック」に習熟していたかということを示しておきたい。

 

3.『肥後の城』の俳句レトリック

私は代表を務める「俳句大学」で、インターネットの「俳句大学ネット句会」、あるいはFacebookの「俳句大学投句欄」における、講師による「一日一句鑑賞」、会員による「一日一句互選」や週ごとの「席題で一句」「テーマで一句」「動画で一句」、特別企画の「写真で一句」などに投句し、講師として選句も担当してきた。そこで、私が提出する兼題には必ずオノマトペを出すことにしているので、当然、『肥後の城』においてはオノマトペを使った俳句が多くなる。

今村潤子は、「特集 永田満徳句集『肥後の城』」(「火神」75号)のなかで、

  春昼やぬるんぬるんと鯉の群

  しやりしやりと音まで食らふ西瓜かな

  湯たんぽやぽたんぽたんと音ひびく

を取り上げて、「擬声語、擬態語が大変旨く表現されている。このようなオノマトペを使った句は他にもあるが、そこに作者の詩人としての感性が匂ってくる。」と述べている。

また、金田佳子は、「自在なオノマトペ」(「火神」75号)と題した文章で、『肥後の城』における「オノマトペ」が「気になった」こととして、

 一章 城下町  なし

 二章 肥後の城 ぽたり、だりだり、ごろんごろん、とろり

 三章 花の城  どさり、ぬるんぬるん、ひたひた、ぼこぼこ、しゃりしゃり、ぱっくり、ぱんぱん       

 四章 大阿蘇  とんとん、ぐらぐらぐんぐん、もぞもぞ、ゆったり、じっくり、ぽたんぽたん              

などを抜き出し、「オノマトペが印象鮮明、途端に句が生き生きとし、動詞や形容詞、形容動詞で説明されるよりずっと体感する」と述べて、オノマトペのよさを指摘している。ちなみに、オノマトペを使った句を例示すると、「さみだれの音だりだりとわが書斎」「寒風にぼこぼこの顔してゐたり」「もぞもぞとなんの痛みか長崎忌」などである。

 『肥後の城』第四章の「大阿蘇」のなかの、

  ぐらぐらとどんどんとゆく亀の子よ

という句の場合、一句の中に「ぐらぐら」と「どんどん」というオノマトペを使うことによって、「左右に揺れながら一心に進んで行く」といった内容の長い文章を五七五の短い表現にできる。

オノマトペは世界一短い定型詩である俳句にとって非常に効果的であると考えてよい。

続いて、比喩は、譬えとも言うが、何かを表現したり伝えたりする際に、あえて他の事柄にたとえて表現する技法のことである。今村潤子は同じく「特集 永田満徳句集『肥後の城」(前述)において、

春の雷小言のやうに鳴り始む

  ストーブを消して他人のごとき部屋

  熱帯夜溺るるごとく寝返りす

を取り上げて、「一句目は、春の雷は夏の雷と違ってごろごろと弱く鳴っている。その様を『小言のやうに』譬えた所、二句目は『ストーブを消し』た部屋を『他人のごとき』と譬えた所に作者ならではの独自性がある。三句目は寝苦しい熱帯夜に輾転反側している様を『溺れるように』と譬えた所に、熱帯夜が唯ならぬものであることが感受できる。」と述べて、「譬えが句の中で精彩を放っている」       と指摘している。

比喩は当たり前の表現をおもしろくしたり、分かりにくいものでも分かりやすくしたりする利点がある。

更に、擬人化について触れると、『肥後の城』の第一章の「城下町」だけでも多く取り出せる。

  いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ

「いがぐり」があちらこちらの散らばって落ちている様を詠んだもので、人間以外の「いがぐり」を「やんちや」坊主という人間に見立てた句である。

  さつきまでつぶやきゐたるはたた神 

極月の貌を奪ひて貨車通る     

  どんどの火灰になるまで息づけり

擬人化は意外性のある句を作ることのできる魅力的な手法であるとともに、わかりやすさ、納得しやすさという点で修辞法の代表といえる。

最後に象徴であるが、象徴は抽象的な思想・観念をわかりやすく、別の具体的な事物によって理解しやすい形で表現する方法で、近年、特に注目している「俳句のレトリック」である。

   かたつむりなにがなんでもゆくつもり

「かたつむり」がどこまでも進んでいく様子を表現している。自分のペースで進み続けることで、どんなに遠くても目的地に到達する「かたつむり」を「独立独歩」の象徴として読み取ることができる。

あめんぼのながれながれてもどりけり 

  こんなにもおにぎり丸し春の地震  

「あめんぼ」の句にしても、「おにぎり」の句にしても、「あめんぼ」が「不屈」、あるいは「おにぎり」が「真心」といった具合に、物と人間の深奥とを重層的に表現していると言うことができる。

物そのものを詠むのが俳句の骨法であるが、具体的でありながら抽象的な概念を詠み込むことができる象徴化という表現技法は「俳句のレトリック」の極北である。

『肥後の城』全体を通してみても、オノマトペに限らず、その他のレトリックの句にも好意的な評価が多かった。

 

4.俳句のレトリックの可能性 

「俳句のレトリック」に対する評価は必ずしも肯定意見ばかりではない。俳句に限らず、レトリックは一般的に評判が悪い。表現上の小技にすぎないと軽んじ、遠ざける傾向がある。特に俳句においては、古くは松尾芭蕉が高山伝右衛門宛ての書簡で作句五か条の一つとして「一句細工に仕立て候事、不用に候事(細工をしないこと)。」を記し、近年は高浜虚子の客観写生、すなわち写実的描写を重視してきたことの影響もあるのだろう。見たままをそのまま句にするのが写生であるから、当然と言えば当然である。確かに、オノマトペを含むレトリックは、例えば、擬人化の発想というのは、どうしても似たり寄ったりになりがちで、ありふれた発想、表現になることが多く、月並みに陥りやすいという欠点がある。擬人法を安易に使うと、気取った作意が透けて見え、陳腐で、薄っぺらな句になってしまうものである。

しかし、金子兜太は俳句という定型の音律形式がオノマトペを使いこなすのに格好のものであると述べている。また、漱石の「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」という言葉に触発されて俳句を始めた首藤基澄は句集『魄飛(はこび)雨(あめ)』(北溟社)の「あとがき」において、「片仮名語・擬音(態)語・方言・俗語・仮構・片言など、現在(いま)を生きる一人の人間の世界を少しでも浮かび上がらせるものであれば、それはそれでいいのではないか。」と言い、俳句表現の幅を広げるためには擬音(態)語・仮構も必要との考えをしている。

「俳句のレトリック」は言葉の力を最大限に引き出すための表現手法として重要な役割を果たす。レトリックは俳句という短詩型にとって有効な表現手段である。俳句は究極的には「レトリック」の固まりと言ってよい。作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るために、もっと積極的に取り入れてよいのではないか。

 

終わりに

正岡子規没後、高浜虚子を中心とする「ホトトギス派」と、河東碧梧桐を中心とする「新傾向俳句」に分かれる。「新傾向俳句」が五七五調や季題にとらわれない新しい句作を提唱したのに対し、「ホトトギス派」は五七五の定型調や季題といった伝統を守り、客観写生を深めることを主張した。その後、大正、昭和初期には客観写生派の「ホトトギス派」が俳壇の主流となり、今日に至っている。

しかし、その一方で、熊本にて運座(句会)を開き、正岡子規の新派俳句を熊本にもたらした漱石俳句の継承者は全国的にみてもいない。そこで、私は漱石の俳句を俳句の「技巧派」と名付けて、漱石派の後継者を自認することを表明したい。

(令和5年度第1回湧水講演(令和5年年10月14日 熊本県立図書館3F大研修室)より文字起こしたものである。





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第7回 俳句大学三賞!

2024年06月10日 16時44分02秒 | 俳句大学
2024年 第7回 俳句大学三賞!
 
〜 日本語 公募 〜
 
令和5(2023)年内に刊行された優れた句集の顕彰
【 第7回 俳句大学 大 賞 】
 
選考委員:
岡田耕治(大阪教育大学教授)、
木暮陶句郎(「ひろそ火」主宰)、
五島高資(俳句大学副学長)、
斎藤信義(「俳句寺子屋」主宰)、
仲寒蟬(「牧」代表)、
永田満徳(俳句大学学長)
 
選考:各選考委員の推薦句集
選考結果発表:令和6年11月20日(水)
 
 
【 第7回 俳句大学 新人賞 】
 
選考委員:
大高翔(「藍花」副主宰)、
五島高資、
仙田洋子(「天為」同人)、
辻村麻乃、(「篠」主宰)、
永田満徳、
松野苑子(「街」同人会長)
 
対 象:未発表句 30句(資格制限なし、但し、多重投稿禁止)
応募締切:令和6年9月30日(月)
応募作品の送付先は俳句大学メールアドレスへ
選考結果発表:令和6年11月20日(水)
 
 
【 第7回 俳句大学 評論賞 】
 
選考委員:
井上泰至(防衛大学校教授)、
加藤直克(自治医科大学名誉教授)、
五島高資、
永田満德
 
対 象:俳句に関する評論(資格制限なし、8,000 字以内)
応募締切:令和6年9月30日(月)
応募作品の送付先は俳句大学メールアドレスへ
選考結果発表:令和6年11月20日(水)
 
 
〔送付先〕
・俳句大学アドレス haiku_university@yahoo.co.jp
または
永田満徳 mitunori_100@hotmail.com
までお願い致します。
・各賞の応募原稿末尾に、本名・年齢・住所・電話番号・メールアドレスを明記して下さい。
・なお、送稿は word 形式などの電子媒体に限ります。
・また、ご不明な点も俳句大学、あるいは永田満徳のメールにお問い合わせください。
 
 
※ 第6回俳句大学三賞記念吟行会+授与式並びに懇親会!
後援:月刊「俳句界」文學の森
〜 参加者募集 〜
*どなたでも参加可能です。
【授与式開催日】
2024年7月6日(土曜日)
 
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〜Facebook「Haiku Column」〜 ☆【俳句界】2024年6月号☆

2024年06月01日 01時49分52秒 | 「俳句界」今月の秀句
俳句大学国際俳句学部よりお知らせ!
 
〜Facebook「Haiku Column」〜
☆【俳句界】2024年6月号☆
 
◆俳句総合誌『俳句界』2024年6月号が発行されました。
◆俳句大学 〔Haiku Column〕のHAIKUから選句・選評した句を掲載しています。また、「俳句界」2019年1月号から毎月連載しています。
※ 2021年の『俳句界』10月号から、優秀な作品が揃って来ましたので、1ページ増えて、3ページに渡って掲載しました。
◆R 2・12月号から作者の国名を入れています。
◆どうぞご理解ご支援をお願いします。
 
The June issue of 「HAIKUKAI俳句界」!
〜Haiku Colum of Haiku University [Monthly best Haikus]〜
◆the April issue of HAIKUKAI俳句界 has just been published.
◆It contains the best haikus of the month selected by M. Nagata.
◆according to the plan, we will continue to publish 2 lines haikus with kire and toriawase.
Juin aout de 「HAIKUKAI俳句界」!
〜Haikus du mois de Haiku Colum de Haiku Universite〜
◆ Avril aout de HAIKUKAI俳句界 vient d'etre publie.
◆il contient les meilleurs haikus du mois selectionnes par M. Nagata.
◆Selon ce plan nous allons continuer a publier des haikus en deux lignes avec kire et toriawase.
 
Haiku Column(俳句大学)(「俳句界」R6年6月号)
永田満徳選訳 訳:Anikó Papp ・十河 智・大津留 直
 
(Facebook「Haiku Column」より)
 
Angela Giordano(Italy)
war...
among the rubble a nameless flower
guerra...
tra le macerie un fiore senza nome
アンジェラ ジオルダーノ(イタリア)
戦争や瓦礫のなかの名なき花
Daoud Bouhouch(Tunisie)
‎ثياب بالورود~
‎الربيع يستضيف المولود الجديد
ダウド ブーフシュ(チュニジア)
赤ちやんを迎へる春や花柄服
Hina Ya (France)
early spring
eraser crumbs piling up
ヒナ ヤ(フランス)
春浅し消しゴムの粉溜まりけり
Nuky Kristijno (Indonesia)
near spring
horses in the backyard
ナッキー クリスティジーノ(インドネシア)
春隣バックヤードに駿馬たち
Irmareeves (Indonesia)
calm ~
doing taichi on the beach feeling the breeze
イルマリーヴス(インドネシア)
のどかさや浜の風受く太極拳
Probir Gupta(India)
I turned back to see who was stalking me
a spring wind
プロビル グプタ(インド)
春風や誰がゐさうで振り返る
Probir Gupta(India)
spring wind
into the sail while oars splash
プロビル グプタ(インド)
帆に入るオールのしぶき春の風
Barbara Olmtak(Holland)
hazy moonlit night
drowning in the depth of his eyes
バーバラ オルムタック(オランダ)
朧月夜瞳の奥に溺れけり
Daniela Misso(Italy) 
consapevolezza nel respiro -
mare di primavera
awareness in breathing -
spring sea
ダニエラ ミッソ(イタリア)
春の海呼吸するのを意識して
Zamzami Ismail(Indonesia)
nothing lasts forever
melting snow
ザンザミ イスマイル(インドネシア)
不滅なるものはあらずや雪解くる 
Rufkiyandhie Rambe(Indonesia)
picnic
his soul is as fresh as freshly picked fruit
ルフキヤンディ ランベ(インドネシア)
野遊や心採れたて果実のやう
Adoni Cizar(Syrie)
kite
hearts' uniting with an invisible thread
アドニ シザー(シリア)
凧揚げて心繋がる見えぬ糸
Tanpopo Anis (Indonesia)
good weather for kites -
even strangers can become friends
たんぽぽ亜仁寿(インドネシア)
知らぬ子も友になりたる凧日和 
Paul Callus(Malta)
spring shawl ‐
sunshine across her shoulders
ポール カルス(マルタ)
肩越しに輝く日差し春ショール
Zana Coven(Romania)
fox cubs
mother's love is unique
ザナ コヴェン(ルーマニア)
母の愛は特別なもの狐の子
el Hamied(Indonesia)
first butterfly -
the sound of baby crying in delivery room
エル ハミード(インドネシア)
初蝶や分娩室にややの声
Dyah Nkusuma (Indonesia)
pigtailed little girl~
laughing chasing butterflies
ディア ヌクスマ(インドネシア)
蝶を追ふお下げ髪なる少女の笑まひ
Nani Mariani(Australia)
spring tangerine
the sweet and sour taste of loneliness
ナニ マリアニ(オーストラリア)
孤独てふ甘酸つぱさよ青蜜柑
Kim Olmtak Gomes (Holland)
azalea
my ancestral home in the mountains
キム オルムタック ゴメス(オランダ)
躑躅咲く先祖の家は山の中
Angela Giordano (Italy)
daisies
mother's name on the cold marble
margherite
il nome di mamma sul freddo marmo
アンジェラ ジオルダーノ(イタリア)
マーガレット大理石には母の名前
Valentina Meloni (Italy)
violette tra i ruderi--
nostalgia per quello che non ho vissuto
violets among the ruins--
nostalgia for what I haven't experienced
バレンティーナ メロニー(イタリア)
廃墟の菫これまでになき郷愁 
私が本格的に指導添削を始めて3ヵ月の成果を問う月刊「俳句界」掲載の俳句です。
皆さんの積極的な参加と私の指導に素直に従ってこられた結果です。
これまでの三行俳句には見られない、「切れ」と「取り合わせ」を基本とする季語のある、五七五の和訳に近い、つまり省略の効いた模範的な俳句の数々です。
これからも、「日本の俳句を国際俳句の標準に!」をモットーにしたFacebook「Haiku Column」の活動にご参加とご協力をお願い申し上げます。
These haiku were published in the monthly magazine "Haiku World" as a testament to the results of the 3 months since I began teaching and correcting haiku in earnest.
The haiku are the result of your active participation and obedience to my instruction.
They are exemplary haiku with seasonal words based on "Kire" and "Triawase" which are not found in conventional three-line haiku, and are close to Japanese transliteration of the 575 syllables, in other words, with effective abbreviations.
I will continue to publish haiku on Facebook under the motto "Japanese haiku to the international haiku standard!I would like to ask for your participation and cooperation in the activities of the Facebook "Haiku Column" with the motto "Haiku is the most important thing in the world of haiku"
 
 
 
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俳句大学国際俳句学部! Facebook「華文俳句社」 〜【俳句界】2024年6月号〜

2024年06月01日 01時38分05秒 | 「俳句界」華文俳句
俳句大学国際俳句学部!
Facebook「華文俳句社」  
〜【俳句界】2024年6月号〜
 
◆2024年『俳句界』6月号が発行されました。
◆華文圏に俳句の本質かつ型である「切れ」と「取り合わせ」を取り入れた二行俳句を提唱して行きます。
◆2020年1月からは月刊『俳句界』に「華文俳句」の秀句を連載しています。
◆どうぞご理解とご支援をお願いします。
 
俳句大學國際俳句學部的通知!
~Facebook 「華文俳句社」Kabun Haiku 2024・6〜
◆2024年『俳句界』6月號已出版。
◆於華文圏提倡包含俳句的基礎「一個切」和「兩項對照組合」的二行俳句。
◆請各位多多支持指教。
 
華文俳句【俳句界】2024,6月号
永田満徳選評・洪郁芬選訳
 
山崩揚起土石沙塵
春愁
江彧
〔永田満徳評論〕
2024年4月3日早晨,台灣東部海域發生了一場地震,導致建築物倒塌,道路中斷,造成了巨大的破壞。太魯閣峽谷等地的懸崖峭壁上,巨石懸掛,砂塵漫天。大地震帶來的「山崩」、「土石」和「砂塵」現象引發了人們對台灣地形受損情況的關注,這首俳句生動地表達了這一情況。
山崩れの土石と砂塵春愁
江彧
〔永田満徳評〕
2024年4月3日午前、台湾東部沖で起きた地震で、建物が倒壊したり、道路が寸断されたりして、大被害が出た。太魯閣渓谷などは断崖絶壁で、砂ぼこりを上げながら巨大な石が岩肌を滑り落ちた。大地震が起これば「山崩れ」による「土石」と「砂塵」が発生する。台湾地震の地形的被害を端的に描き、俳句の伝達性を示した句である。
 
 
書頁夾帶的情話
勿忘草
明月
〔永田満徳評論〕
「勿忘草」的起源源自於中世紀德國的一則悲傷的純愛傳說。它的花語是「不要忘記我」和「真摯的愛」。這個「情話」或許是關於男女之間戀愛的小故事。通過「勿忘草」這個季語,我們能理解情話的內容是關於純愛的。這首俳句基於對季語的理解,表達了讀者在情感上的共鳴,符合俳句的基本原則。
勿忘草書に挟まるる情話かな
明月
〔永田満徳評〕
「勿忘草」は中世ドイツの悲しい純愛の伝説が由来となっている。花言葉は「私を忘れないで」と「誠(真実)の愛」である。「情話」は男女の恋愛に関する挿話であろう。勿忘草という季語によって、情話の内容が純愛のものであることが理解できる。感情移入しながら読んでいることを季語に語らせる俳句の基本を踏まえた句である。
 
 
玄關處頃斜墨畫
石虎
帥麗
〔永田満徳評論〕
「石虎」是台灣春天的季語,從冬天結束到春天開始是石虎的繁殖期。它看起來像家裡的貓,但也被稱為山貓。「墨畫」中可能描繪了石虎的特徵,如額上的灰白色縱帶和耳後的圓形白斑。由於地震,擺放在「玄關」的石虎墨畫傾斜了。這是一首描述台灣地震嚴重性的俳句。
玄関に傾ぐ墨絵や石虎
帥麗
〔永田満徳評〕
「石虎」は台湾の春の季語で、冬の終わりから春の始まりは石虎の繁殖期。家の猫に似ているが、山猫とも呼ばれている。「墨絵」には石虎の特徴である額の灰白色の縦帯と耳の後ろの円形の白斑が描かれていたのであろう。地震によって、「玄関」に飾られていた石虎の墨絵が大きく傾いたのである。台湾地震の激しさを物語る一句である。
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