永田満徳氏の「未来図賞」受賞を祝す
「未来図」同人・「火神」同人会長 田島三閒
第一句集『寒祭』以来、初めて永田満徳氏のまとまった四〇句の作品に接することができた。
「よく見ること」「よくふれること」「よく感じること」に徹し、日日変貌する自然界や人間世界のできごとに接している俳人の四季の記録と言えるかもしれない。
蛇の滑り泳ぎとなりにけり
泳いでは浮き泳いではまた浮いて
かたつむりなにがなんでもゆくつもり
コスモスの揺れては空の蒼ざむる
葉牡丹の客より多く並びをり
といった句は、誰でも見かける動植物の営みをしっかりと見つめ表現されている。その生きものの持つ独自の行動や姿を発見し、擬人法やリフレインなど豊かな表現テクニックを駆使して作品化されたものである。
一方で、
春望の山ふところの我が家かな
ひたひたと闇の満ちくる螢かな
湧き消ゆる雲のはぐくむ植田かな
鯖雲の押し寄せ来たり古墳群
湯気に立ち湯気に沈みて初湯かな
といった句には、離れた位置から目を凝らして眺めている遠望の情景や非常に近い位置にありながらも、なぜか漠漠した情景をより深く見つめている作者が感じられる。
その逆に、社会の中で生きとし生きる存在である作者の人間としての思いを表わした言葉に絶妙の季語を配した作品も多い。
学究はものに語らす梅真白
楸邨の句は溜息ぞ春の雪
あんな人こんな人ゐる涼しさよ
立秋やどの神となく手を合はす
蓑虫の蓑や防備か非防備か
などの句には、俳人や作家の精神をその作品や背景から深く考えていく姿勢、学問の徒である作者の立ち位置やあるいは人間そのものへの深い考察などが窺われる。
また、物事の背後にあるものへの眼差しの鋭さや豊かな想像力を感じさせる作品も多い。
この町を支へし瓦礫冴返る
蓮咲いて古代の空を近しうす
寝るまへの水を一気に原爆忌
吸殻の臭ふ八月十五日
原城址火箭のごと降る冬の雨
例えば、「この町を支へし瓦礫冴返る」という句を見てみると、私たちの誰もが地震の後で目にした「瓦礫」を見ながら、そこに「町を支えてきた」人間の営みを想起し、作品化しているのである。その「取合わせ」としての「冴返る」という季語が実によく利いているのである。
このように豊かな感性と長きにわたる積極的な句作によって磨き抜かれた俳句の技量がこれらの作品に大いに実っていると思われる。
氏の第二句集が待ち遠しいことである。
「火神」67号より転載