【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

井上微笑②【球磨から近代俳句の興隆に尽力した】

2013年06月12日 00時53分52秒 | 週刊ひとよし
微笑と白扇会
白扇会の活動の時期は碧梧桐と虚子の対立が激化する前の、子規派の幸福な時期であり、蜜月の時期であった。
こういう時期であったがゆえに、虚子・碧梧桐を始めとして新派俳壇の有力な人物を多数選者・寄稿者に加えることができたのである。

微笑と夏目漱石(1)
井上微笑宛の夏目漱石書簡は現在7通存在している。明治36年5月10日から明治38年1月5日の間である。この往復書簡の期間は俳人漱石から小説家漱石に移る最も重要な時期であった。
微笑の選句の依頼に対して〈大多忙〉と俳句との〈絶縁〉状態を理由に断り、代わりに虚子と碧梧桐を紹介している。微笑としては「白扇会報」に少しでも彩りを添えたいという気持ちがあった。





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井上微笑③[球磨から近代俳句の興隆に尽力した]

2013年06月09日 14時51分51秒 | 週刊ひとよし
内容
微笑と夏目漱石(2)
漱石書簡で浮かび上がってくるのは、微笑の熱意であり、情熱である。そして、漱石の「白扇会報」に対する労りであり、親切心である。

微笑と正岡子規
微笑と白扇会が子規の影響化にあることはまちがいない。ただ、子規派にしても、虚子派と違った子規派の支流との見方も成り立つ。
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井上微笑①[球磨から近代俳句の興隆に尽力した]

2013年05月31日 02時14分10秒 | 週刊ひとよし
井上微笑は夏目漱石と同じ年、慶応3年(1868)生まれ。34歳の時、紫溟吟社の漱石選に入選する。
明治34年、俳句雑誌「白扇会報」を私費で発行し、最盛時の会員数537名、北は北海道、南は台湾までに及んだ。会員には、夏目漱石、高浜虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪などが名を連ねている。
夏目漱石が創設した紫溟吟社の衰退後、紫溟吟社の仕事を引き続き、再び熊本の近代俳句を興隆しようとした。
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