ラウンドテーブル「華文俳句の可能性」
(中国語圏における俳句の受容と実践に関する比較文学研究)
俳句大学学長 華文俳句社顧問 永田満徳
令和元年12月14日(土)、熊本市中央区の熊本大学「くすの木会館レセプションルーム」において、表記のテーマで講演及びパネルディスカッションが開催した。なお、本ラウンドテーブルは科学研究費補助金「中国語圏における俳句の受容と実践に関する比較文学的研究」(研究代表者・呉衛峰)の助成を受けている。
第一部では、永田満徳が「世界共通の俳句の型について」と題する講演を行い、俳句の世界共通型の推進と展開について、次にように自説を展開した。
俳句大学国際俳句学部では、四年前に国際俳句交流のFacebookグループ「Haiku Column」を立ち上げ、私は代表として、また、向瀬美音氏は主宰として「Haiku Column」を管理している。
現在、参加メンバーは2100人を越え、1日の投句数も200句に及ぶ。瞬時に交流できるFacebookという国際情報ネットワークの恩恵を受けているのも特色である。国籍もフランス、イタリア、イギリス、ルーマニア、ハンガリー、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、アメリア、インドネシア、中国、台湾と多様である。使われている言語は三ヶ国語で、フランス語、イタリア語は向瀬氏、英語は中野千秋氏が翻訳を担当している。
人種、国籍を問わず投句を受け入れていることから、その「人道主義的」スタンスが広く支持されており、HAIKUによる国際文化交流が国際平和に繋がることを痛感する毎日である。世界中がインターネットで結ばれ、ネットにより瞬時に俳句の交流を行うことができる時代に即応した、新しい国際俳句の基準作りが急務と感じている。
(Ⅰ) 国際俳句改革の必要性
現今の国際俳句は、俳句実作者の立場からすると、俳句の型と本質から外れているように思われる。そうなった原因を踏まえて、いくつか提言を試みたい。
第一に、国際俳句というと、三行書きにしただけの三行詩(散文詩)的なHAIKUが標準になっていることがあげられる。HAIKUは三行書きなりという定型意識が強い。それは俳句の型と俳句の特性に対する共通認識が形成されていないからである。何よりも問題なのは、三行書きのHAIKUは広がりに乏しく、どうしても「三段切れ」になりやすく、冗長になりやすいという点である。
そこで、俳句の本質でありかつ型である「切れ」と「取合せ」を取り入れた「二行俳句」を提唱したい。
まず、「切れ」であるが、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のおと」を句切れなしの「古池に蛙飛び込む水のおと」にすると、平板で、幼稚で散文的な表現になる。ところが、「古池や蛙飛び込む水のおと」だと、「切れ」によって、暗示・連想の効果が働き、複雑で、韻文的な表現になる。「切れ」は散文化を防ぎ、韻文化を促すのである。
続いて、「取合せ」の例として芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」を挙げると、「荒海」と「天河」という二物の「取合せ」で読みの幅が広がり、複雑で、韻文的な表現になる。芭蕉自身が「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし」(森川許六『俳諧問答』)と述べているように、「取合せ」は俳句の本質に関わる問題である。
「切れ」のある「取合せ」の二行俳句の一例を挙げてみる。
Castronovo Maria カストロノバ マリア(イタリア)
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Aurora boreale ―
La coda di una balena tra cielo e mare
北のオーロラ
空と海の間の鯨の尾 向瀬美音訳
掲句は天上のオーロラと海面の鯨との「取合せ」によって、天体ショーを繰り広げるオーロラのもと、鯨が尾を揚げて沈む北極圏の広大な情景が描き出されている。「切れ」と「取合せ」は、このように二行書きにして初めて、明確に表現できるのである。
第二として、HAIKUの基準が曖昧であることがあげられる。
世界に通用する「HAIKU」とは何かを明確にするために、「Haiku Column」において、「切れ」と「取合せ」を基本とした「7つの俳句の規則」を提示した。
①「切れ」 ⑤「具体的な物に託す」
②「取合せ」 ⑥「省略」
③「季語」 ⑦「用言は少なくする」
④「今、この瞬間を切り取る」
「Haiku Column」では、最初、説明的で観念的な句が多かったが、「7つの規則」を提示して以来、形容詞、動詞などが減り、具体的なものに託した表現を基調とし、省略された俳句が多くなっている。
第三に問題とすべきは、季語は日本独特なもので、季節のない国の人々が、季語のあるHAIKUを創ることは困難だという常識である。
これに対しては、国際俳句においても「KIGO(季語)」を取り入れることを提案したい。向瀬氏は、厳選した450の英語、フランス語のKIGOを自ら編集し、これらのKIGOにAnikó Papp氏のKIGOの説明を添えた「HAIKU」を「Haiku Column」上で募集している。
季語を使った「魔法の取合せ」として、一行目に季語、二行目に季語と関係のない言葉、逆に言えば、一行目に季語と関係のない言葉、二行目に季語という、二通りの作り方を提示している。この型は「切れ」と「取合せ」がはっきりし、二行俳句が作りやすい。
この取り組みによって、季節のない国からもKIGOのあるHAIKUが多く投句されてきており、俳句は「KIGOの詩」という認識が世界で広まっている。向瀬氏が2020年3月1日に『国際歳時記』の第一弾として、575句の例句を揃えた本格的な季語集『春』を刊行する予定であることも特筆しておきたい。
最後に、第四として、原句に忠実なあまり、原句の良さを損なってしまいがちな和訳の問題がある。
向瀬氏は日本語訳の改善に着手している。「7つの規則」と「KIGO」の提供により、フランス語を例に言えば、最大で15シラブル以内のHAIKUが増えてきていて、15シラブル前後のHAIKなら量的にもほとんど日本の俳句に近く、五七五の十七音に簡単に和訳できる。
Jeanine Chalmeton ジャニン シャルメトン [フランス]
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de bon matin le lever du jour printanier
le chat s'étire
春暁やゆつくりと伸びをする猫 向瀬美音訳
この句のように、表現、内容ともに日本の俳句に匹敵するHAIKUが出てきている。
Evangelina エヴァンジェリナ [インドネシア]
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first dusting of snow
each image relates to a memory from my past
初雪や過去の記憶を呼び覚ます 向瀬美音訳
五七五の十七音の和訳は、HAIKUをただ単に日本の俳句の五七五の17音に当てはめただけではなく、HAIKUの真価を再現するものであり、国際俳句の定型化に一歩近づくための有効な手立てであることを強調しておきたい。日本語訳の改善の試みによって、「Haiku Column」の国際俳句改革は一つの大きな到達点に辿り着いたという感が強い。
ただ、五七五の十七音に近づけようとするあまり、原句の内容から逸脱してしまってはならず、あくまでも原句を忠実に生かす和訳でなくてはならない。日本の俳句を外国語に翻訳した好例として、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のおと」のラフカディオ・ハーン訳「Old pond / frogs jumped in / sound of water」の簡潔な表現の良さを挙げておこう。
これらの新しい国際俳句の試みは、機関誌『HAIKU』(朔出版)の1号から5号で紹介され、今年8月1日に出版された5号では、世界中から150人が参加して、総ページ数は550ページを超える。
(Ⅱ) 今後の課題と展望
課題1 二行俳句の推進
三行俳句でも「切れ」と「取合せ」が存在する句もあるので、二行に拘りすぎなくてよいようだが、「二行俳句」は、「切れ」と「取合せ」を明確に唱導し、浸透させるためのスローガンであり、標語であるので、形式だけの三行書きはたやすく容認するわけにいかない。
課題2 「Haiku Column」の運営スタッフの負担の軽減
冊子の刊行等には、作業面でも、資金面でも、特に向瀬氏の個人負担が重く、運営を継続していくには限度がある。他団体、例えば国際俳句交流協会などとの連携や協力を求めることも考えている。
(Ⅲ) 今後の展望
1 広報活動
広報活動を強めるために、今後とも機関誌『HAIKU』の発行を続けていきたい。また、『俳句界』『俳句四季』などの総合俳句誌への連載も重要な広報活動である。
2 「華文俳句」の活動
華文俳句は、俳句大学と同じ理念に基づいて、今までの字数を重んじる定型の中国語の俳句(漢俳)、そして俳句的現代詩との区別化をはかり、「切れ一つ」と「取合せ」の二行書きの俳句を華文圏に提唱することを目指している。2018年には「華文俳句社」はFacebookグループを立ち上げ、日本の「Haiku Column」とは独立・連動して活動している。出版活動もさかんで、《華文俳句選》や個人句集を次々に刊行し、今年1月からは月刊『俳句界』に華文俳句の秀句を連載している。
これらの活動によって、二行俳句に対する理解が深まり、さまざまなジャンルを持つ華文詩の中で華文俳句が広まり、定着することで、華文詩界を一層豊かにすることが期待される。
以上の永田の講演に対して、コメンテーターとしての立場から、熊本大学大学院教授の西槇偉氏は「俳人であり、俳句をよく知るお立場から、国際俳句の現状に対して物申す永田氏のお話を大変興味深く聞かせていただいた。国際俳句では、三行書きの定型が出来上がっているようだが、作品は往々にして情報が多すぎたり、三段切れとなったり、俳句本来の表現とはかけ離れたものとなっている。そこで、氏は二行書き、七つの規則を提唱する。その根拠も述べられ、説得的である。氏の主張に、これまでの漢俳の問題点に注目していた呉衛峰氏は共鳴し、共同で華文俳句の革新を進めることになったことで、今日の研究会開催となったわけだ。永田氏の指導により、国際俳句に新風が吹き込まれたように見受けられ、俳句については初心者ながら喜ばしく思う次第である。疑問に感じる点もあるが、後半のパネルディスカッションのほうで申し上げたい」と述べた。
また、永田の講演に対して、東京大学名誉教授、元日本比較文学会会長の井上健氏は講評として、「晩年のゲーテが提唱した世界文学(Weltliteratur)の理念は、昨今、トランスナショナルな文学の在り方を語る枠組みとして復権し、文学が「中心」から「周辺」に伝搬し、いかに変容するかが、あらためて問い直されるに至っている。永田氏のご講演を拝聴して、そうした世界文学理念の実現と理論的捉え直しが、国際俳句の試みを通じて、実践的かつ双方向的に、きわめてアクティヴに展開されていることに驚嘆した。永田氏の提示する国際俳句改革の方向性はまた、翻訳研究(Translation Studies)における等価性(equivalence)の議論、言語や形式の変換を越えて、いかにオリジナルの本質や価値が伝わりうるかという命題に、見事に重なり合う。二行俳句の提唱は、エズラ・パウンドをはじめとするモダニスト詩人たちの、多様なHAIKU詩実験を想起させるものである」と述べた。
第二部では、「華文二行俳句の展開」と題してパネルディスカッションが行われた。全体司会を東北公益文科大学教授である呉衛峰氏が行い、現在の華文詩界における現状や、「華文二行俳句とは何か」というテーマで、華文二行俳句の可能性について分析、解説された。
まず、呉衛峰氏が「華文二行俳句とは何か」を題に、呉論文「中国語は俳句の可能性――華文二行俳句の実験を中心に」(『東北公益文科大学総合研究論集』第35号、2018年12月)に触れつつ、華文俳句が成立する経緯を説明した。
華文二行俳句の実践は2017年の秋頃に、某Facebook台湾現代詩社において、俳句との共催で始められた。呉は詩社側の現場代表として、同コンテスト審査員をつとめる永田先生の指導のもとで、洪郁芬氏のお手伝いで、2018年の春にかけて計三回のコンテストに携わった。
主催側はコンテスト開催当時、「西洋文学の影響下で発展してきた華文現代詩と比較して、俳句は独特な美学を持っているので、華文俳句の創作は現代の華人詩人たちに、現代詩の創作と同時に、世界と人生に対して異なる観照の視点と表現の方法をもたらしてくれる」というコンセンサスを提示した。
三回のコンテストの参加者はかなりの人数に上ったが、多数のメンバーを抱える某詩社の性格上、二回目と三回目は参加者の入れ替わりが激しく、華文二行俳句の理念がここで定着できないことを悟り、2018年の暮れ、主要開催メンバーが独立した「華文俳句社」を作るという考えに至った。
以上の説明をして、呉氏は「華文二行俳句の主張には、川本皓嗣先生が俳句の基本構造を「基底部」と「干渉部」と分ける俳句理論(『日本詩学の伝統――七と五の詩学』、1991年12月)、台湾俳人の故黄霊芝氏による「湾俳」の実験、そしてなによりも永田先生が俳句大学で推進している「国際二行俳句」の実践に負うところが大きい。また、華文俳句の「二行」の実践は、漢俳など「三行を書けば俳句」という安易な考え方と一線を画し、区別化を図るための戦略でもある。今後も、華文俳句の質の向上に伴い、型をふくめて、様々な意味での模索をしてまいりたい」と述べた。
次に、台彎華文俳句社主宰の洪郁芬氏が「華文俳句社における華文二行俳句の実践」という実際的な活動報告をなされた。
Facebookグループ「華文俳句社」の設立メンバーは呉衛峰教授、マレーシア詩人超紹球氏、台湾詩人郭至卿氏と、洪郁芬氏の四人である。加入者数は次第に増え続け、現在は123人に達している。しかし、積極的に発言している人数は、35人程度で、まだまだ個人出版した人も少なく、今後活動を活発化させていきたい。活動としては、中華「流派」詩刊、香港圓桌誌刊、台湾「創世記」詩刊などの投稿欄に華文俳句を投句し、今年一月からは日本の月刊『俳句界』に華文俳句の秀句を連載している。
華文二行俳句は、永田氏の世界俳句の在り方としての、「切れ」と「取合せ」を取り入れた「二行俳句」と連動し、六つのルールを設けている。
①俳句にタイトルはない。二行に書く。 ④今を詠む。瞬間を切り取る。
②一行目と二行目の間に「切れ」がある。 ⑤具体的な物を詠む。
③一句の俳句に季語一つを提唱 する ⑥語数は少なく。(簡潔に)
ということで、例としては
拄著柺杖的老人 杖で立つ老人
聽到 北風 北風吹く
郭至卿 郭至卿
玄關丟下的書包 玄関に放り投げたランドセル
暑假開始 夏休みの始まり
盧佳璟 盧佳璟
などの句がある。
未来への展望としては、今年には華文俳句叢書の第三段として『歳時記』を出版する予定で、例文の募集を行っている。他にも華文俳句社員の個人句集の出版も進めたい。
最後に、西槇偉氏は「二行詩としての「華文俳句」の試み――『華文俳句選』を読む」と題して、同書の書評を行なった。氏は現代漢俳の選集より秀作を数首選び、一例として趙朴初氏による漢俳「看尽杜鵑花/不因隔海怨天涯/東西都是家」と、その読み下し式の逐語訳「看尽す杜鵑(つつじ)の花/海を隔つるに因って天涯を怨まず/東西都(すべ)是(て)家なり」および俳句訳「和上いまつつじを看尽くしておはす」のように、漢俳とそれに付された和訳とを比較することにより、俳句の表現が漢俳の定型では表しがたいことを確かめた。さらに、これまでの漢俳に対して、『華文俳句選』は別天地を切り拓くものとして、西槇氏は洪郁芬氏の「相擁和相撞/鐵路的小蓬草:寄せ合ひぶつかり合ふ/鉄道草」、趙紹球氏の「無星夜/花瓣撲向酒杯:星無き夜/酒グラスに飛び込む花びら」、呉衛峰氏の「手夠不到閙鐘/春暁:目覚まし時計に手が届かない/春のあけぼの」、永田満徳氏の「犀牛角/來頂撞人世的春天罷!:犀の角/この世の春を突いてみよ」などを評釈し、二行による華文俳句の可能性を評価した。
全体討論では、西槇氏が続いて、パネルディスカッションで、華文俳句の形式と内容に疑問を投げかけた。
①二行の華文俳句を詩たらしめるには、今後は如何なる努力が必要か。
②季語が定着していない華文文学に、季語を取り入れた俳句が根付くだろうか。
季節感の表現が季語に凝縮され、俳句はそのような文化の伝統によって培われてきたといえよう。しかし、「季語」という言葉自体が和製漢語であり、季語を網羅して作品も併せて編纂された「歳時記」も日本で発達したアンソロジーである。よって、華文俳句を根付かせるためには、華文俳句の作例も収録した季語辞典――「華文歳時記」が必要不可欠であろう。この点について、すでに華文俳句社主宰の洪氏が編纂を始めており、その完成が待たれる。上記2点について、呉氏、洪氏、永田氏との間で、活発な論議が交わされた。
この後、会場からは世界俳句の在り方、現代詩との関係など、多くの意見や提案がなされた。十分な時間がとれなかったのは残念であるが、参加者は世界俳句の現状や中国語圏での華文二行俳句の取り組みについて理解を深めることができ、また多くの実践を重ねながら、世界俳句の振興を指向する取り組みに感動した。
終わりに、挨拶に立った西槇氏は「かつて、夏目漱石が俳句の創作に熱中した熊本の地で、国際俳句の現在と未来を討議する研究会が開かれたことの意義は大きい」と強調し、参会者への謝辞を述べた。