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『永遠の0』その7

2015年06月28日 | O60→70(オーバー70歳)
【196ページ】
「何度も言うように、私が生き残れたのは宮部小隊長の列機でいたからです。そして、生き残ることで逆に死ぬことの怖さを知ったのです。今だから言えますが、ラバウルに来た当時は、死ぬことをまったく怖れてはいませんでした。19歳の若者に命の本当の尊さなどわかるはずがありません。おかしな喩えですが、たいした金額も持たないでギャンブルに行き、どうせ負けるだろうと思って平気で全額を賭けていたようなものです。しかしどうしたわけか勝ち続けると、いつの間にか恐怖を覚え、負けたくないと思い始める気持ちのようなものでしょうか」
〔ken〕敗戦間際の日本軍の心理について、ギャンブルを事例にとても分かりやすく語っています。この辛辣な言葉は、ギャンブル好きだった若い頃、私自身も見につまされる想いがしました。

【199~202ページ】
一木隊は最初の夜襲で全滅しました。米軍の圧倒的火力の前に、日本軍の肉弾突破はまったく通用しなかったのです。
日本陸軍の戦いの基本は銃剣突撃です。捨て身で敵陣に乗り込み、銃剣で敵兵を刺し殺して戦うという戦い方です。対する米軍は重砲、それに重機関銃と軽機関銃です。---
言うなれば日本軍は、長篠の戦いで織田信長の鉄砲隊に挑んだ武田の騎馬軍団みたいなものでした。---
参謀本部は何を考えていたのでしょう。戦国時代のような戦い方で米軍に勝てると判断したこんきょがまったくわかりません。---
突撃した約800人中777人が一夜にして死んだと言われています。一木隊長は軍旗を焼いて自決しました。米軍の死者は数えるほどだったといいます。
一木支隊全滅の報を受けて、大本営は「それじゃあ」と送り込む兵隊を一挙「5000人にしました。これならいけるだろうと。
しかし米軍はその上をいっていました。日本軍を撃退したが、今後、日本軍は前回にまさる兵力を送り込んでくるだろうと予想し、守備隊を18000人にまで増強していたのです。
大本営の作戦はまったく場当たり的なものでした。---「敵を知り己をしれば百戦危うからず」というのは孫子の兵法ですが、敵も知らずに戦おうというのですから、話になりません。---
結局、総計で3万人以上の兵士を投入し、2万人の兵士がこの島で命を失いました。2万のうち戦闘で亡くなったのは5千人です。残りは飢えで亡くなったのです。
〔ken〕つくづく残念なのは、日本が一日でも早く降伏することができなかったことです。
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