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20年の3月に入ると、沖縄の周辺海域の米艦隊に対して、特攻機が連日、九州の基地から出撃しました。それらは新聞でも大々的に報道されていました。
4月のある日、我々14期の予備士官の中から16名の名前が特攻隊員として発表されました。私の名前はその中にありませんでした。選ばれた者は優秀な技量の者ばかりでした。
その16名の中に、私の親友、高橋芳雄がいました。彼は慶應での同級生でした。文学をこよなく愛する男で、将来は国文学者になる夢を持っていました。同時に柔道の達人であり、講道館三段腕前がありました。6尺近い偉丈夫で、まさに文武両道の男でした。
〔ken〕三田の慶応大学は、この時期になると門を閉ざしお盆休みに入っています。私にとって、慶応大学は馴染み深い場所になりました。だから、校内の学徒出陣慰霊碑も知っていましたので、今回引用した文章には強い印象を受けました。ところで、パート職員の私に夏休みはないので、先週も月曜日から金曜日まで出勤し、閑散としたオフィスで、ここ数年の書類や文書の整理をしました。かなり効率が上がり、頭の中がスッキリした気がします。
20年の3月に入ると、沖縄の周辺海域の米艦隊に対して、特攻機が連日、九州の基地から出撃しました。それらは新聞でも大々的に報道されていました。
4月のある日、我々14期の予備士官の中から16名の名前が特攻隊員として発表されました。私の名前はその中にありませんでした。選ばれた者は優秀な技量の者ばかりでした。
その16名の中に、私の親友、高橋芳雄がいました。彼は慶應での同級生でした。文学をこよなく愛する男で、将来は国文学者になる夢を持っていました。同時に柔道の達人であり、講道館三段腕前がありました。6尺近い偉丈夫で、まさに文武両道の男でした。
〔ken〕三田の慶応大学は、この時期になると門を閉ざしお盆休みに入っています。私にとって、慶応大学は馴染み深い場所になりました。だから、校内の学徒出陣慰霊碑も知っていましたので、今回引用した文章には強い印象を受けました。ところで、パート職員の私に夏休みはないので、先週も月曜日から金曜日まで出勤し、閑散としたオフィスで、ここ数年の書類や文書の整理をしました。かなり効率が上がり、頭の中がスッキリした気がします。