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『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介著)

2015年08月20日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼今回の芥川賞受賞作『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介著)がかなり面白いです。又吉直樹さんの陰に隠れてしまった感はありますが、水準の高い読み物だと思います。介護される母と介護する娘に関しては、「毒母」という言葉が生まれたように話題となってきました。
▼「スクラップ・アンド・ビルド」では、介護される父と介護する娘に、男子の孫という関係性の日常が、丹念に描かれています。なお、この作品の中で、たばこが登場してくるシーンは、次の1カ所だけでした。メビウスとか、セブンスターなどの銘柄も特定せず、漢字の「煙草」が使われていました。

【413ページ】
土曜午後三時過ぎのファミレスは、学生と老人だらけだ。ウェイトレスが、健斗が食べていたハンバーグセットの皿と大輔が食べていたパフェの皿を下げにきた。夫婦で実家の一軒家に住む大輔は、一時近くに家族全員で母親が作ったカレーうどんを食べたばかりだという。健斗は午前中にブランチをとって以来だった。母は友人数人と都心へ遊びに行き、そうは一人で家にいる。十数年前と比べ狭められたこの店の喫煙席でなぜだか厄介事を片づけているような表情で煙草を吸う大輔の仕草は、中学時代から変わっていない。そのせいで顔はいいのに高一で背の伸びが止まった大輔と健斗のつきあいは、小学校高学年以来のものだ。
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テレビジョンの誕生!

2015年08月19日 | O60→70(オーバー70歳)
猪瀬直樹さんは、2020年東京オリンピック招致に成功したあと、自らの金銭スキャンダルで、東京都知事を辞任し、昨今は過去の人になりつつあります。ても、改めて彼の本業である著作を読んでみると、丹念な取材はもとより、なかなかの面白さなのです。第二次大戦前後のメディア、テレビ開発競争、オリンピック返上の経緯、正力松太郎さんの暗躍など、とても勉強になります。
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森永卓郎先生、突然死の恐れ有り!〈英訳付〉

2015年08月18日 | たばこの気持ち
▼先日、専門医を招いた健康番組で、獨協大学経済学部教授の森永卓郎さんが、血液検査なMRIの診断結果を踏まえ、「今すぐにでも突然死の恐れ有り」と判定され、ただちに禁煙を勧められました。

▼ The other day, in a health program in which a specialist was invited, Takuro Morinaga, a professor at the Faculty of Economics, Dokkyo University, said, based on the results of blood tests and MRIs, that he was judged to be at risk of sudden death, and immediately quit smoking. It was recommended.
▼しかし、森永卓郎さんは「めしとタバコをどちらか選べと言われたら、私はためらいなくタバコを選ぶ」と即答していました。自分の判断を重んじ、潔い森永卓郎先生を改めて立派だと思いました。

▼ However, Mr. Takuro Morinaga immediately answered, "If I am asked to choose between rice and tobacco, I will choose tobacco without hesitation."
I once again thought that Professor Takuro Morinaga, who respects his own judgment and is pure, is admirable.




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『永遠の0』その24(学徒出陣の慶応大学生)

2015年08月17日 | O60→70(オーバー70歳)
【400ページ】
20年の3月に入ると、沖縄の周辺海域の米艦隊に対して、特攻機が連日、九州の基地から出撃しました。それらは新聞でも大々的に報道されていました。
4月のある日、我々14期の予備士官の中から16名の名前が特攻隊員として発表されました。私の名前はその中にありませんでした。選ばれた者は優秀な技量の者ばかりでした。
その16名の中に、私の親友、高橋芳雄がいました。彼は慶應での同級生でした。文学をこよなく愛する男で、将来は国文学者になる夢を持っていました。同時に柔道の達人であり、講道館三段腕前がありました。6尺近い偉丈夫で、まさに文武両道の男でした。

〔ken〕三田の慶応大学は、この時期になると門を閉ざしお盆休みに入っています。私にとって、慶応大学は馴染み深い場所になりました。だから、校内の学徒出陣慰霊碑も知っていましたので、今回引用した文章には強い印象を受けました。ところで、パート職員の私に夏休みはないので、先週も月曜日から金曜日まで出勤し、閑散としたオフィスで、ここ数年の書類や文書の整理をしました。かなり効率が上がり、頭の中がスッキリした気がします。
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ピース又吉さんの才能開花!

2015年08月16日 | O60→70(オーバー70歳)
▼8月13日、田町の虎ノ門書房で、久方ぶりに文藝春秋9月特別号を970円で買いました。帰路の電車の中で、目的の又吉直樹著『火花』を読み始めましたが、なるほど「一級品だなぁ!」と納得させられました(中曽根康弘元首相の「大勲位の遺言」も面白そうですね)。
▼帰宅して散歩の後にテレビを見ていたら、ピース又吉さんが「俳句」も才能アリ第1位、「夏の絵手紙ランキング」では、ダントツ1位の満点を取りました。半端ない勢いを感じました。
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『永遠の0』その23(終戦記念日に思う!)

2015年08月15日 | O60→70(オーバー70歳)
【398~399ページ】
「大和」の出撃は絶望的なものでした。沖縄の海岸に乗り上げて陸上砲台として上陸した米軍を砲撃するという荒唐無稽な作戦のために出撃させられたのです。しかしそんなことができ得るはずもありません。航空機の護衛もなく、一隻の戦艦と数隻の護衛艦が沖縄にたどり着けることなど、万が一にもあり得ないことです。
つまり「大和」もまた特攻だったのです。そしてこの特攻は「大和」の乗組員3千3百人とその他の小型艦艇の乗組員を道連れにするものでした。この作戦を立てた参謀たちは人間の命など屁とも思わなかったのでしょう。3千3百人の乗組員たちそれぞれ家族がいて、母や妻、それに子供や兄弟がいる人間の姿を想像できなかったのでしょう。負けることがわかっている戦いでも、むざむざ手をこまねいているわけにはいかず、それなら特別攻撃で、意地を見せるという軍部のメンツのために「大和」と数隻の軽巡、駆逐艦、それに数千人の将兵が使われたです。

〔ken〕スティービン・R・コヴィー氏著「7つの習慣(人格主義の回復)」とは、❶主体的である❷終わりを思い描くことから始める❸最優先事項を優先する❹Win-Winを考える❺まず理解に徹し、理解される❻シナジーを創り出す❼刃を研ぐことです。第二次世界大戦ての日本には、とくに「❷終わりを思い描くことから始める」発想が、まったくと言って良いほど欠けていたのですね。
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豚舎のある風景!

2015年08月14日 | O60→70(オーバー70歳)
▼夕暮れの散歩の途中、自宅から徒歩18分の地点には、ブランドポークを飼育している豚舎がありました▼横に停車していた軽トラックは、何とぜいたくにも横浜ナンバーでした▼私は少し痩せたので、近頃、家族から「短パン似合うじゃない」と好評なこともあり、スニーカーと短パンで歩いたせいか、足や腕を蚊に数カ所刺されて、とても痒かったのですが楽しい散歩になりました。
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自然が盛りだくさんのYOKOHAMA!

2015年08月13日 | O60→70(オーバー70歳)
一昨日の夕方、2か月ぶりくらいになりますが、アイスコーヒーでみたらし団子を2本食べてから、自宅近所を40分ほど散歩しました。
土手の蔦が勢い良く天に伸び、
ニガウリが実り、
サルスベリやユリが可憐に咲き、
ケイトウがどぎつい原色で自己を主張し、
ビニールハウス横にサトイモが整然と並び、
夕空にヒマワリが映えていました。
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『永遠の0』その22(Noと言える勇気)

2015年08月12日 | O60→70(オーバー70歳)
【397ページ】
私たちを意気地なしと思いますか。しかしこれは今日の自由な空気て育だった人には理解できないでしょう。いや現代でも、果たして会社や組織の中で、自分の首をかけて上司に堂々と「NO」が言える人たちがどれほどいるのでしょうか。私たちの状況はそれよりもはるかに厳しいものでした。
「志願せず」と書いた男が何人かいたらしいと聞いた時、私は、どうせ説得されて志願させられるのだから、初めから志願すると書けば書けばよかったのにと思いました。
しかし今、確信します。「志願せず」と書いて男たちは本当に立派だったーーと。
自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意思で決めた男こそ、本当の男だったと思います。私も含めて多くの日本人がそうした男であれば、あの戦争はもっと早く終わらせることができたかもしれません。

〔ken〕友人たちの評価によれば、私は「人が良く、頼まれ事も決して断らない」、まるで「Noと言えない日本人」の典型らしいのです。少し反省し、これからは即答を避け慎重に対応していきたいと思います。
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『永遠の0』その21

2015年08月11日 | O60→70(オーバー70歳)
【380ページ】
「もし、藤木さんと結婚していたら、姉さん苦労していたよね」
姉はハンドバッグからタバコを取り出して、火をつけた。僕はちょっと驚いた。
「タバコを吸うようになったの?」
「お母さんの前では吸わないけどね」
姉はそう言って、窓を開けた。熱い風が入ってきた。
「昨日、藤木さんから結婚してくれないかって電話があったの」
〔ken〕「永遠の0」では数少ないタバコが登場する場面です。ちなみに、日本における女性の喫煙者率は、都道府県別にみると北海道がダントツの1位を続けています。

【384ページ】
18年の第1回の学徒出陣では10万人を超える学徒兵が生まれました。全国の大学が空っぽになったと言われました。10月に、明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が行われました。冷たい雨が降る中、5万人の女子学生に見送られ、2万5千人の学徒兵は行進しました。(岡部/慶應義塾大学生)
〔ken〕慶應大学校の中庭に、ひっそりと「学徒出陣戦死者の慰霊碑」が建っています。

【395ページ】
おそらくその頃は、人間の死に対して鈍感になっていたのでしょう。新聞でも「玉砕」という文字は珍しくありませんでした。玉砕の意味ですか? 全滅といういみです。1つの部隊総員が死ぬことです。全滅と言う言葉を「玉砕」という言葉に置き換えて、悲惨さを覆い隠そうとしたのです。当時、日本軍はそういう言葉の置き換えをあらゆるものにしていました。都会から田舎に避難することを「疎開」と言い、退却を「転進」と言いました。しかし「玉砕」ではもっともひどい例だと思います。そこには死を美しいものに喩えようとする意図があります。やがて新聞紙上に「一億玉砕」という言葉も踊るようになります。
〔ken〕8月15日、安倍首相の「前後70年談話」では、どのような言い換えをするのでしょうか。周辺各国からの反発を買うことのないよう、誠意を込めた慎重な言葉遣いが求められますね。
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