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普通では、落語作家は食えないでしょうな。落語家が創作してそれをご自分で話して完結。それを二人で分けようとは、千人以上入る大ホールの劇場なら成り立つかもしれないが、30人、50人という小さな落語会では到底無理。
でも、新作落語、自分で落語をつくりたい、それも作者がいう、「擬古典」もの、着物を着ている時代の噺。いつかそこから、擬の字が取れ、古典になる日がいつか来るような噺、つくりたいですな。
作者がその創作のコツとしてあげているのが、「落語はあてがきで作る」(この落語家さんが口演してもらいたいと思いながらつくる)。「初稿はつまらないのが当たり前」(最初は何でも思いついたものは詰め込んで、あとから葉狩)。「クスグリの域を超えよう」。「推敲はとことん徹底的に」。「サゲへの期待は裏切れない」。「根多が他と付かないように」(他とかぶりにくい根多を書く)。「落語台本は手直しされるもの」。「作者が消えて初めて古典に」(そうなんです、作者の名が消えていけばいくほどその落語は熟している証拠です)。
何か落語一つ作りたいですな。でも32文字の短歌でも苦労しているのに、15分もの落語、到底無理ですな。まずは、米朝さんの名作「一文笛」をとりあえず、この下半期でものにしたいですな。
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