若松英輔さんの「涙のしずくに洗われて咲きいづるもの」
を読み終えました。
この本は、死者について語っている本です。
こんなに真っ直ぐに死者について語っている本は
今までにあっただろうか…
こんなことを書くと、オカルトのように取られるかも
しれませんが、そんなことは微塵もなく
私達が感じる亡くなった方の存在が、思い込みでなく
確かな事だと確信できるのです。
若松さんは、「死者は懐古する対象ではない
呼びかける、あるいは呼びかけられる隣人である」と
書いています。
哲学者であり文筆家であった池田晶子さんは
『生者は死者に「思われる」ことで生きている』と
語っていたそうです。
この本を読み終わった時、今まで感じていた
死者の思いや眼差しは、確かなことだったのだと
思えました。
なぜ、若松さんがこんなにも死者を語るのだろうと
思っていたら、最後ページに奥さんを亡くされている
ことが記してあり、やっぱりそうかと思いました。
若松さんは「人間というのは、他者と本当に繋がり
合えるのは、悲しみを通してではないでしょうか」と
言っています。
そして「悲しみとは、単に死者の不在を嘆くことではなく
むしろ死者が私達に近づく合図ではないか」と…
この本を読み、息子や初女先生が今まで以上に
近くに感じられるようになりました。
そうしたら、初女先生の写真展のお知らせが
パソコンに届いていたのです。
2月1日から5日まで銀座の森岡書店で開催されます。
「生者があって死者があるのではなく、死者が生者を
支えている (越知保夫)」
初女先生は、私たちを支えてくれているのですね。