~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

小さな森の詩

2012-03-17 17:05:19 | 日記
おむすびの祈りの「大丈夫」の声に後押しされ、一つハードルを越え

「こもれび号」が出航しました。

初女先生の講演会まで、どれだけのハードルを乗り越えて

行くのでしょうか…

でも、その度に合言葉の「大丈夫」を発せれば、「大丈夫」の方角に

舵をきれそうな気がしています。

前回、三浦の宿泊講演会では様々が出会いがありました。

「出会いは神さまの時間」と、初女先生は言われてますが

その神さまの時間をたっぷり頂いた気がしています。

出会いが、新たなる出会いに繋がり、「小さな森の詩」という歌が

生まれました。

三浦の講演会に参加したNさんが、イギリスに住んでいた時に

出会った響き合う友(心の隣人)が住んでいた住所が

Little forest road で、イスキアの小さな森と繋がったのです。

Nさんからその話を聞いた高山千代美さん(横浜の講演会で歌を

歌って下さった方です)の心に詩が生まれ、そして「小さな森の詩」

が出来たのです。

「出会いは神さまの時間」そして神さまからの贈り物のように

歌が生まれたのです。

優しい温かな歌です。

歌っていると、それだけでハーモニーのように響き合う心が

繋がっていくようです。

今年最初の「森のこもれび」のスタッフの集まりの時に

みんなで歌ったら、心が一つになって行くようでした。

11月の講演会の時には、みんなで歌おうねと、今からうきうき

しています。

今度の講演会の合言葉は「大丈夫!」

テーマソングは「小さな森の詩」

さあ!こもれび号の出航です!






       小さな森の詩  作詞・作曲 高山千代美


   小さな森へ続く道 あなたの笑顔がうかびます

   小さな森に着いたなら 重い荷物を降ろしましょう

   
   小さな森の陽だまりで やさしい心にあいました

   おむすびひとつ頂いて しずかな時を過ごしましょう

   
   小さな森のこもれびが わたしの心を照らします

   小さな森にこだまする 大きな愛のこもりうた



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しなやかな強さ

2012-03-16 21:19:00 | 日記
3月11日、日本から遠く離れたパリでも、追悼のメモリアルコンサート

が開催されました。

佐渡裕さんが、指揮をとりパリ管弦楽団やピアニストの辻井さんに

よる演奏が行われたそうです。

その時、被災地を代表して釜石の岩崎さんと言う女性が挨拶され

その挨拶の一部が放送されました。

岩崎さんは「被災者が立ち上がる姿を見せなければ、

しなやかに立ちあがり、これからの世代と新しい町をつくる」と

言われていました。

私は、この「しなやか」という言葉がとても心響きました。

頑張って立ち上がる!ではなく、しなやかに立ち上がる。

しなやかさの中にこそ、本当の強さがあると思います。

母性の真ん中にある、しなやかな強さを、私は初女先生から

知りました。

岩崎さんの言葉に、初女先生の姿が重なりました。

そして、強い人は優しいという言葉が…





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大丈夫

2012-03-14 20:11:18 | 日記
「おむすびの祈り」というブログに「大丈夫」に包まれたことを

書いたら、「大丈夫」という漢字には人という字が3つ入っていて、

人が手と手をつないで、繋がっているようだ」というコメントを

頂きました。

そんなふうに「大丈夫」という字を見たことがなかったので、

新鮮な驚きと共に、嬉しくなりました。

「大丈夫」と言われると、何か大きな安心に包まれる気がするのは

「大丈夫」の持っているそういう力なんでしょうか…

言葉って、漢字ってきっと人と人との営みの中から生まれたんですね

 いつだったか、新幹線の中で小さな女の子が、おばあちゃんに

「ママがいるから大丈夫!」と大きな声で言っているのを聞いて

思わず涙が出たことがありました。

「大丈夫」には、母性がいっぱい詰まっているのかな

「大丈夫」って言われると、お母さんに抱かれているように

大きな安心が包んでくれます。

「大丈夫」は素敵な言葉!

初女先生は「心には前に進むための言葉を」と言われています。

「大丈夫」もまた、心を前に進めるための言葉…



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おむすびの祈り

2012-03-12 18:38:24 | 日記
今 私の前にはハードルがあります。

家のことや講演会のハードルが…

今朝、おむすびを作って「おむすびの祈り」をしようと思いました。

私の「おむすびの祈り」は、おむすびを息子の祭壇に供えお祈り

するのです。

お祈りしながら、お願いするのが、私の「おむすびの祈り」でした。

おむすびを結ぶ時は、一心に作るのですが…

でも、今日は違っていたのです。

おむすびを結んでいる時に、おむすびを作れる幸せを感じたのです。

そして、祭壇にお供えした後食べてみたら、自分でもびっくり

するほど美味しくて、不覚にも涙がこぼれてしまいました。

そうしたら、心の中にふぁ~っと「大丈夫」という言葉が

広がったのです。

まるで、おむすびが「大丈夫」と言ったようでした。

その瞬間、これが「おむすびの祈り」かも…

と、思えたのです。

そこには、お願いなんて微塵もありませんでした。

母の母性に包まれたような「大丈夫」が私を包んでくれました。

そして、心から大丈夫と思えたのです。

こんな不思議な体験は初めてでした。

「おむすびの祈り」は温かかったです。

いつか、初女先生にお話ししたいな、「大丈夫」に包まれた

おむすびの祈りのことを…
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3月11日 今日という日に…

2012-03-11 23:50:19 | 日記
今朝、朝刊とは別に東日本大震災で死亡が確認された方々のお名前

を掲載という紙面が入っていました。

1万5000人を超える人が亡くなり、3000人以上の人がいまだに

行方不明だそうです。

毎日、新聞に震災での死亡・行方不明の人数が掲載されているの

ですが、数字だけ見てもあまりの数の多さに現実のこととして

受けとめられないでいました。

でも、今朝の新聞で6面におよぶ亡くなった方々のお名前を見て

どれ程たくさんの命が失われたかが、目の前に突きつけられた

気がしました。

3・11…あれから1年が経ちました。

深く重い重い1年でした。

生きてることが、当たり前でなくなった1年

どう生きればよいか立ちどまり、見つめ続けた1年

これだけ沢山の尊い魂(いのち)に、生きている私たちは

どう応えていけばいいのだろうか…

亡くなった人たちの望んでいることは、それはきっと

震災前の日本に戻すことではないのだろう…

大きな犠牲の上に、頂いた気づき

私たちはその気づきを道標に、亡くなった魂(いのち)が

喜んでくれる社会にしていくことでは、ないのだろうか…

3月11日、祈りの中でそんなことが心に降りてきました。
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笑顔の向こうに

2012-03-10 21:25:03 | 日記
昨日、長倉洋海さんの写真展に行って来ました。

「子どもたちからの元気便」という題のついた写真展は、子供たちの

笑顔で溢れていました。

何も知らず写真だけ見たら、とても被災地の子ども達とは思えません。

長倉さんは、被災地の子ども達と紛争地の子ども達が重なると言って

いました。

「紛争地の子ども達も、こんな笑顔を浮かべる。その笑顔に魅かれる。

辛さを乗り越えようとする笑顔、大変なのにこの笑顔を

浮かべられる子ども達は、すごいと思う」と言われてました。

笑顔の子ども達の写真を見ていたら、涙が溢れてしまいました。

以前長倉さんは、写真の中の人物の視線の先が、想像できる

写真を撮りたいと言っていました。

子ども達の笑顔の向こうに、私は希望を感じたのです。

怖い思いも、悲しみも、不安も全て覆って、そこに溢れる笑顔が

ありました。

でも、その思い切りの笑顔の子ども達の首には。線量計が

下げられていました。

長倉さんが「笑顔を守り引き出す人がいて、初めて笑顔がある

この笑顔は、儚いので消えないようにしたい…」

そして「今の政治には期待できないけれど、この子たちが

大人になった時、日本は変わると思う…」と言ってました。

私たちは、この子ども達の視線の先にある希望を

かき消さないように出来るだろうか…

もっと輝かせることが出来るだろうか…

写真集を差し出した私に、長倉さんが書いて下さった言葉が

「笑顔の向こうに」でした。


    
   「私は今まで「ありがとう」なんて

    何も考えずに言ってました。

    でもこのしん災で、

    とても深い「ありがとう」を知ったと思います。

               (莉央 12歳 いわき市)
             
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ジュリーと脱原発

2012-03-08 21:10:40 | 日記
タイガースが再結成して、テレビに出ていた時彼らが

すごく自然に思えたのは、みんな自分の人生を自分の足で立ち

過去の栄光にしがみ付いていなくて、だけどタイガースをとても

大切に思っているのが伝わって来たからです。

ジュリーは驚くほど太っていたけれど、若い時のような突っ張った

感じがなく、自然体でいいなーと思えました。

そのタイガースのコンサート会場には、大江健三郎さんらが

やっている、「さよなら原発1000万人署名」の署名用紙が置かれて

いるそうです。

署名をお願いするわけでもなくて、気付いて賛同する人が署名

すればいいんじゃないかなと、ジュリーが言ってました。

そして、11月に発売したCDは、4曲すべて東日本大震災が

テーマだそうです。

全てジュリーの作詞で、「がんばろう」も「絆」も出て来ない

そうです。

ジュリーは、「テレビや新聞には、元気で前向きな被災地の方々が

出てくるでしょ。けなげだし立派だけれど、一人になったら泣いて

いるんじゃないかな、と思う。立ち直っていない人の方がきっと

多い。でも立ち直れないまま、自分のやるべきことを黙々と

やっている、そういう人も多いでしょう。

だって、昔から人間はそうやって生きてきたから」と言って

いました。

ジュリーもまた、「がんばろう」の向こう側を見ていたのですね。

あの日が目の前に迫ってきました

消えない記憶が立ち上がり、被災した人達は深い深い

悲しみや苦しみの中にいるのではないでしょうか…

私が息子の一周忌を迎える時、亡くなった時より辛かったのを

今でも覚えています。

被災した人達は、どんな思いで3月11日を迎えるのでしょうか…

がんばろう!ではなく、大丈夫と言える日が来ることを信じて…



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がんばろう!の向こう側にあるもの

2012-03-07 22:49:53 | 日記
あの3月11日からもうすぐ一年です。

テレビでは毎日のように「あれから一年」のような番組が

放映されています。

「がんばろう日本!」「絆」の向こう側にあったものが、今ようやく

少しづつ表に出て来ています。

せっかく助かった命が、孤独死や自死で失われていく現実が

あります。
 
仮設住宅に住んでいる人が、震災はまだまだ続いていると

ぽつんと言っていました。

震災以後、料理が作れなくなったというおばちゃんが、「今でも

怖いよーいっぱい流されて行ったもの…と、呟いていました。

そして、ふりしぼる様に「生きて行くのも難しい」と言っていました。

たくさんの命を見送り、生きていることがどんなに尊いかを

知っている人達が、孤独と不安のなかで死を見つめていることを

知りました。

昔から「死ぬ気になれば何でも出来る」と言いますが

あれは、本当の苦しみを知らない人が言った言葉では

ないかと、私は思います。

生きて行く方が、ずっと辛く苦しい時があるもの…

でも、初女先生の言葉の「今、ここ から目をそむける

のでなく、大きくこころを開いてみれば、どんな状況であっても

喜びを感じるものです。」この人間の力を信じて行きたいと

私は思っています。

震災以後、料理が作れなくなったというおばあちゃんが、

流されて無くなってしまったと思っていたアルバムを

見つけた時、嬉しくて涙がでるよと言って泣いてました。

そしてその後、おばあちゃんは仮設住宅の窓に大根を

4切れ干して、「これにスルメと南蛮入れて食べると

美味しいんだよ。」と言って笑ってました。

がんばろう!の向こう側にある人の心を受けとめて行くことを

忘れてはいけないと思いました。

後4日で、あれから一年です。

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心を支える言葉

2012-03-05 21:07:28 | 日記
もうすぐ、3月11日がやってきます。

誰にとっても、重い重い一年だったと思います。

被災者の方の、生きてる者も魂を抜かれたと言うのをを聞いて

あらためて津波を凄さを感じました。

初女先生は、大変なことだけれど事実として受けとめなければ

ならないと、言ってました。

生きて行くということは、想像もできない困難と向き合わなければ

ならない時があります。

今、初女先生のこの言葉が、私の心を支えてくれています。

   「今、ここ」から目をそむけるのでなく、

    大きくこころを開いてみれば、

    どんな状況にあっても喜びを感じられるものです。


                 (佐藤 初女)

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おおきなかぶと佐藤忠良

2012-03-04 23:34:37 | 日記
「おおきなかぶ」は私が生まれて初めて出会ったロシアでした。

目を閉じれば、今でもハッキリとおおきなかぶの絵が

浮かんできます。

と言って、私はこの絵本の作者を今の今まで知らなかったのです。

ぐりとぐらのような特徴のあるキャラクターが、描かれている訳でも

ないのに、なぜか忘れられない絵なんです。

今日、日曜美術館で「おおきなかぶ」が彫刻家・佐藤忠良の作品で

あることを初めて知りました。

佐藤氏がシベリアに抑留されていた時に、聞いたロシアの民話

だそうです。

昭和38年に描かれたこの絵本は、日本が高度経済成長に向かって

行こうとするなかで、「豊かになっていく時代に助け合っていく

力を忘れないで!」という思いを込めて、創ったものだそうです。

そんな佐藤忠良の思いが、絵を通して伝わって来るのか、お話は

とても単純ですが、子供の心にくっきりと残る絵本です。

佐藤忠良90歳最後の作品は、「おおきなかぶ」のレリーフで

1年以上の歳月をかけて制作されたそうです。

子ども病院の壁にかけられた「おおきなかぶ」は、子供たちが

触るので黒光りしていました。

難病の子どもを抱えたお母さんは、このおおきなかぶに

お医者さんも家族もみんなが力を合わせ、病気をやっつける

という思いを重ねて、力をもらっていると言っていました。

佐藤忠良は「隣人に対するいたわりのない芸術は、全部嘘だ

愛というときざっぽいけれど、それが本当の芸術だと思う」と

言われていたそうです。

おおきなかぶの絵本も、そんな愛が溢れているのですね。

シベリアの抑留を体験した佐藤忠良は、「強い人は優しい」と

言っていたそうです。

その言葉に初女先生の強さと優しさが、重なりました。



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