時々、無性に星野道夫さんの言葉を欲している
自分がいます。
星野さんを感じる時、行ったこともないアラスカが
すぐ近くに感じられるのです。
昔、亡くなった息子を追い求め、ハワイの
ボルケーノに行った時、魂の還るべきところが
あるんだと感じたのです。
アラスカもまた、魂の還るところなのかも
しれません。
星野道夫さんの世界にいのちの世界を感じるのです。
『考えてもごら。
たとえば、このツンドラに咲く花々を
美しいと思い、一本の花を地面から引き抜く
なぜその花が抜かれ、隣の花が残ったのか
人生はそんな理不尽に満ち溢れている。』
『誰もが、それぞれの人生の中で、
何かを諦め、何かを選びとってゆくのだろう
大きな決断などではない
そんな時が自然にやってくるのだろう
そしてアラスカもまた、人の一生のように
新しい時代の中で何かを諦め、何かを
選びとってゆく 』
『きびしい冬の中に、ある者は美しさを
見る。
暗さではなく、光を見ようとする。』
初女先生は、よく「自然に任せましょ」と言われて
いました。
だから私も、判断に困った時など先生の真似をして
「自然に任せましょう」と言ってました。
でも、今回初めてこのことの深さが分かったのです。
先生の「自然に任せましょう」は、そこに自分が
ないのです。
私の「自然に任せましょう」は、どこかに
こう運ばれたらいいな~という、自分があるのです。
「我」があるかないか、それは天と地ほどの
差なんですね。
僧侶で作家の玄侑宗久さんが
「あるがままではダメだ。ないがままがいい。
あるがままでは、そこに自分という「我」が
あるから」と言われていました。
「自然に任せましょう」とは、自分という「我」が
ない世界なんですね。
私のように、初女先生の真似ではなく、腹を決めて
「自然に任せましょ」と決断しても、あらわれた
結果に揺れてしまうのも人間です。
初女先生の「揺れてもいい、芯が通っていれば。
揺れながら成長し、大きくなっていく。
それは、人も白樺も同じ」というお言葉が
揺れる心の支えとなってくれます。
深い深い、初女先生の愛情を感じます。
簡単に分かったつもりになって「自然に任せましょ」
と言っていた自分が恥ずかしいです。
先生は体験ほど確かなものはないと、言われて
いました。
本当にそうですね。
苦しい中でからこそ、頂けた気づきかもしれません。
有難うございます。初女先生
でも、めっちゃ揺れるかも…
その時は、側にいて下さいね。