コンビニエンスストアー、ファミリーレストラン、弁当屋、洗濯屋、家庭用電化製品の出現等々は主婦労働の企業化といわれている。このことにより主婦の社会進出が可能になった。主婦が食事を作らなくても、旦那も子供たちも容易に外食が出来るようになった。個食時代の到来といわれている。しかし、生活は便利になったが、失われたものも多い。家族の団欒の場がなくなったといわれている。家族の全員が食卓を囲みその日に在った出来事を笑顔を持って語り合う機会はなくなったのである。それぞれが個室をもち、テレビも電話(携帯)もパソコンも一人一台。コンビで買ってきた弁当を一人で食べる。部屋の中で全てがまかなえてしまう。全てが密室の中での出来事になってしまう。家族はばらばらアトム化して家の中にいながら、お互いに何をしているか判らない他人になってしまった。昔、家庭は愛を育む場所であった。やさしい夫婦の間で、はぐくみ育てられた子供なら決してしないようないじめが横行している。いじめられた子には相談すべき親はいない。最悪、自殺を選択してしまう。子殺し、親殺し、共同体の最後の砦であった家族は個人主義(自己中心主義か?)の進歩の結果、崩壊に瀕している。
このような現象が社会の進歩の結果であるなら、元に戻すことは難しいかもしれない。しかし新しい時代の新しい家族像はあってもいいのではなかろうか?いまそれが模索されている。商品社会のもたらした帰結だという人もいる。革命が必要なのかもしれない。
このような現象が社会の進歩の結果であるなら、元に戻すことは難しいかもしれない。しかし新しい時代の新しい家族像はあってもいいのではなかろうか?いまそれが模索されている。商品社会のもたらした帰結だという人もいる。革命が必要なのかもしれない。