日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

イラクのフセイン元大統領は悪者だったのか?

2007年04月22日 | Weblog
 イラクのように、宗派間の対立、民族同士の対立のある国でいわゆるアメリカ流の民主主義が可能なのだろうか?フセイン以後のイラクの傀儡政権(アメリカの)下の統治の状況を見てみると、そう感じるのである。フセイン時代には国家によるテロはあり、民族の虐殺、反対勢力の弾圧、虐殺はあり、決してほめられたものではなかった。しかし、今のようにテロに継ぐテロは無かった。毎日のように数十人から百数十人規模で殺害される自爆テロは無かった。強圧政治ではあったが、治安はまがりなりにも維持されていた。さらに豊富な石油資源の元で、国民は豊かな生活を享受していたのである。それをアメリカ(国際石油資本)はありもしない犯罪(大量破壊兵器の存在)をでっち上げて石油利権を求めてイラクに侵攻した。しかも国連軍の名のもとに。それはあくまでも内政干渉である。フセインの犯罪行為はイラクの国内問題であり、イラク内部で解決されなければならない内政問題である。クルド人が自治を求めるならばクルド人自身がフセイン政権と対決すべきであって、おそらく100年をめどに闘った上で勝ち取るべき課題であろう。それは歴史が証明してしていることであり、たやすく実現する問題ではない。
 アメリカはフセインを打倒した。しかし何が変わったというのであろうか?事態は悪化してはいても、改善されたとはお世辞にも云えない。宗派間の対立は激化しており、テロは日常化している。クルド人の要求が満たされているとも思えない。石油利権はフセインからアメリカに移ったが、それだけである。これを見てもアメリカのイラク侵攻が、アメリカのアメリカによる、アメリカのためのものだったといえるであろう。それにも拘らずアメリカ国内ではアメリカのイラク侵攻は誤りだった、と批判されている。フセイン以後のアメリカ兵士のイラクでの死亡は、イラク戦争時の死亡をはるかに上回っている。フセインは逮捕され裁判の結果処刑された。しかし、ありもしない犯罪をでっち上げ、イラクに侵攻し無辜の民を殺害したアメリカの犯罪は問題にもならなかった。それは第二次世界大戦の結果開かれた東京裁判で広島、長崎に原子爆弾を投下し何十万という罪の無い民を殺害し何百万戸という住宅、施設を焼き尽くしたアメリカの罪が問題にもならなかったのに似ている。明らかに勝者による復讐裁判である。フセインは死に臨んで、アメリカの犯罪を声高に叫んだが、その限りにおいてはフセインは正しかったのである。
 アメリカはどのような形でイラクから手を引くつもりなのであろうか?アメリカは世界の警察官だと言われている。しかし今やっていることは世界のやくざといわれても仕方の無いことなのである。