タイトルはマツヨイグサですが、手元の図鑑によると、たぶんコマツヨイグサか、オオバナコマツヨイグサのどちらかです。でも、ふだんはついツキミソウとよんでしまいます。
この花は、とても可憐で美しいのですけれど、人間には、あまりいい顔をしてくれませんでした。写真をとっても、人間が苦しくて、心を閉じているという感じでした。でも、タンポポのことがあったからか、今年の花は、ことのほかやさしく、美しいのです。去年の花は、ただ咲いているなという感じで通り過ぎることが多かったのですけれど、今年はつい立ち止まって見てしまいます。
こんなにも美しく咲くことができるんだね。なのになぜ、去年まではあんなにつらそうだったのだろう。
ツキミソウには、人間はなつかしさを感じます。なぜなら、昔は、彼女たちはとても人間にやさしかったからです。月に似たやさしい黄色で、うっすらと照らしてくれる。生きているうちに傷ついてくたびれたところを、何も言わずにやさしく直してくれていた。だから、人間はツキミソウが好きだったのです。悲しげな歌に、ツキミソウはよく似合う。人間が生きることが、あまりにつらいとき、いいんだよ、あなたはいいこだよと、ささやいてくれる。そんなやさしい花だったのです。
そのツキミソウが、人間に心を閉じ始めたのは、近代に入ってからだと、花が言います。ほんとよ。そう言ってるでしょ。わかるでしょ。
人間が、馬鹿みたいになって、いやなことばかりするようになって、ツキミソウがとても悲しくなったからです。あんなにかわいくて、いとおしかった男の子や女の子が、かわいい言葉と歌で、生きることの悲しみや喜びを歌っていた人々が、見るのも苦しいほど、痛いものになってしまった。
嘘の美しい仮面を、最上のものだと思って、自分の魂の奥に住んでいた、かわいい妖精のような詩情を、無残につぶしてしまった。
人間が、嘘でのみ生き始めてから、ツキミソウは人間に心を閉じたのです。
でも、今年の花は、まるでかつてのツキミソウがよみがえったかのように、美しい。月の光そのもので作ったかのような花で、静かに見てくれる。澄んだまなざしで、ほほえんでくれる。なにもかもわかっているよというように。
帰ってきたね、と、ささやいてくれているように。
やっとわかったね。君たちは、苦しすぎる夢を見ていたんだよ。何もかもを、苦しい嘘で描いていたんだよ。派手で変わったかっこうをして、仮面の下に自分の本当の顔をつぶして、すばらしいものになったんだと思い込んでいた。それはみんな、ばかみたいなことだったのに。
ほんとうは、ずっと苦しかったのに。
もういいんだよ。かえっておいで。みんなわかっているから。
かえっておいで。
愛してるから。