今年初めて、きれいに撮らせてくれた、チョウチョの写真です♪ きれいな表の瑠璃色が撮れて、とてもラッキー♪
去年の夏には、ツバメシジミのめすの写真を紹介しましたが、今振り返ってよく見比べてみると、そちらもやはりタイワンツバメシジミだったようです。よくよくみると、裏の文様が微妙に違うのです。
チョウチョの種類の特定も難しいですね。学者さんは、翅の文様に、てんてん一個多いことも見逃しません。一つ一つ数えているのかな。おもしろいですね。
花や木もものをいってくれるように、虫もまた、何かを言っています。彼らは、自分自身でものをいっているというより、見えない何かのことばを運んでくるという感じです。それはそれは、とてもきれいな、すごい真実を語ってくれることがあるから。
チョウチョウは神様の手紙、ということをいったことがありますが、それはそういう意味なのです。そのことばがわかるようになるには、ちょっと勉強せねばなりません。わたしは、少しわかるようになってきたところです。けれどもその内容は、今は誰にも言えない。というより、まだ翻訳できない。とっても難しいことばだからです。
花や木のことばを、人間のことばになおすのは、けっこう簡単なのですけどね。それは花や木が、たいそう人間を愛してくれるからなのです。たとえ人間がきらいだよ、と言っている花でも、本当は深く深く愛してくれているのです。
花は愛だからなのです。
虫も、愛なのです。それは、人間にはまだわかりにくい愛なのです。だからこそ人は、虫がたいそう好きになったり、とんでもなく嫌いになったりするのです。
花を嫌いだという人は、滅多にいませんけどね。
ところで、ネット上のいろんなとこで、木や花の写真を見るのですけど、写真の中の木が言っていることばと、それを解説している人間のことばのずれに、ときどき困ってしまうことがあります。木や花は、写している人間の今の心の状態を、すべてばらしてしまうからです。
一生懸命に木を勉強している人が、なんのためにそれをやっているのかを、木が教えていたりするのです。
「苦しいな。この子は、ほんとはそんなことをしたいんじゃないんだよ。違うことをしたいのに、それができないんだよ」
その人は、木よりも、ほんとは違うことに興味があるそうです。でも、それをやれば、変わったことをやるやつだと、他人にいやなことをされそうだから、やらないのだそうです。みんなにいい人に思われたくて、無難なところで、木を勉強しているんだそうですよ。
「素直になっていいんだよ」と木が言っているそばで、その人は嬉しげに、木の種類だとか性質だとかの知識を、長々と書いているのです。
こんなふうに、木や花のことばを翻訳するのは、比較的簡単です。解読のヒントは、愛だから。素直に愛になれば、みんなわかってくる。
虫のことばも、きっといつか、翻訳できるようになるでしょう。