昔の人は、とてもものを大事にしていました。
先日、ひいおばあちゃんが残した、ボタンの缶を見つけました。なんだか、宝石箱を見つけたような気がして、さっそく自室に持ち込み、宝物の検分をしました。
おもしろい形のボタンがたくさんありましたよ。昔のものは、そうデザインによけいな凝り方をしないので、シンプルで、ださっぽくてとてもかわいい。最近のものは、かわいいんですけど、シャープに記号的になりすぎて、それがちくちく痛いんです。みんなが、肩肘張って、他人と決定的に違うものを作ろうとして、よけいなものをくっつけたり、必要以上にとがったりしすぎるんですね。
そんなに、がんばりすぎなくてもいいのに。今は、がんばりすぎて、すりきれて、だいじなところがすっかりなくなって、それでもつくっているうちに、ボタンがボタンじゃなくなったようなボタンもあります。
缶の中に、小さな貝ボタンがたくさんあったので、それだけよりだしてみました。プラスチックのボタンの中に混じっていると、なんだか真珠の屑でもみつけたみたいにうれしい。つつましやかな真珠光沢がかわいい。白いシンプルなブラウスに、そっとつけてみたくなりますね。
貝ボタンは、明治期に、ドイツから日本に技術が移入されたそうです。わたしは、こういう小さなものに込められた、作った人のかわいい気持ちが好き。産業だの商売だのいろいろな堅苦しい話題もありますが、要するになぜ人が貝ボタンを作るかというと、貝ボタンがかわいくて美しいので、人の心がそれをほしがるからです。
お金をもうけなきゃいけない、という気持ちの裏で、ひっそりと、人間のやさしい気持ちが、星のように息づいている。小さな女の子の服を飾ってやりたいな。貝はほんとにきれいだから、これでほんとにいいものをつくってやりたい。
いいんだよ。いいんだよ。素直になっていいんだよ。今はだれもが、立派で大仰な理由がなければ、何もやってはいけないような時代。でもほんとうはみんな、だれかにやさしくしたいから、やっている。
プラスチックがあるのに、小さな貝ボタンを人が作り続けている理由は、どこかで苦しんでいる人の心に、きれいなものをあげたいから。みんな、同じだから。苦しいから、この世界は。
海辺で拾ってくる貝は、愛する人を飾るのに、とてもいい。貝は、人間の心を知っているから。
だから、人のつくるものは、美しい。