蛇が苦手な人には、ごめんなさい。ちょっと気持ち悪いかな。リンドウの花を添えて、抑えてみたつもりなんですが。
蛇が好きな人は、センゴク先生くらいのものですね。わたしも、大好きとまではいきません。山で出会っても、うやうやしく礼儀をして、退散するのが精一杯です。手のひらにのるくらいの子蛇は、それはかわいいですけれど。
蛇は美しすぎるのです。森の、一番痛いところを、守っている。
神様から、もっとも厳しい仕事をせよと、彼らはいいつかっているのです。
リンドウの花は美しい。そして、だれかをいじめたり苦しめたりすることなど、決してしない。ただそこにいて、微笑んで、澄んだ気持でやさしく、見る者を愛してくれる。その花を手折り、踏みにじることは、簡単にできる。実際にそれをやる人はいる。けれどもリンドウは何も言わない。ただだまって消えていく。そしてまた、だれかを愛するために芽生えてくる。
愛はいつもそれを、ずっと繰り返している。殺しても殺しても、また生まれてくる。愛したいから。すべてにやさしくしたいから。どんなに苦しくても、つらくても、また咲く。それを、あまりに馬鹿だといって、いじめ続けていると、やがて、蛇が出てくるのです。
愛の、もっとも痛いところを侮辱すると、とうとう、人は、神様の裏側を見ることになる。
愛は、すべてをいやし、許してくれるものですが、それだからこそ、決してやってはならぬことがあるのです。
それは、真実の愛をまったくの嘘だといって、恥知らずの嘘でそれになりかわることです。
それはすなわち、愛でできたこの世界そのものを、嘘だということだからです。
その禁忌のツボにふれたとき、神の蛇が、リンドウの蔭から出てくる。そのおそろしさを、人は知らない。
リンドウがやさしいからといって、ずっといじめつづけていると、恐ろしい神様の裏側に、落ちてしまうのです。それがどんなことなのかは、見た人でないとわからない。
蛇は、気をつけろといっています。これ以上、行くな。すべて、だめになる。なぜなら、すべては、神がおやりになっているから。すべては、愛だから。それをすべて、だめなものだと言ってしまうと、なにもかもが、消えてしまうのです。
すべて失うのではない。すべて、消えてしまうのです。
そこに落ちる前に、蛇は一撃の牙をちらつかせ、人間を退散させるのです。
このカードの意味は、「それ以上行くな」ということです。