世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-05-06 08:34:43 | 月の世の物語・余編

果てしない漆黒の闇が広がっています。ああ…。月は、細く、かすかに白く、目を開いています。それは、少しでも風が吹けば、すぐに閉じてしまいそうな扉の隙間から漏れてくる、はかない光のようです。

それでも、その光は、わたしを照らし、わたしの両手に、それぞれ五本の指があり、それが、動かそうとわたしが思えば、わたしの思い通りに動くことを、教えてくれます。わたしは、漆黒の虚空に浮かぶ、ひとつの小さな小惑星の上にいます。いや、中にいるというべきでしょうか。わたしの体の下半分が、その小惑星の中に、埋もれているからです。下半身は、小惑星の岩の中に固められ、動くことはできず、上半身だけが、小惑星の上にまるでわたし自身の墓標のように立っています。わたしはまるで、この小惑星に生えた、バオバブの木のようだ。時々、木の真似をして、両手を上にあげ、上半身を揺らして、木が風に揺れるような真似をすることがあります。ふ、おもしろくもない。何をやっても、せんないことだ。こんなこと以外、わたしには、何もできない。こんなわたしとは、一体誰でしょう?

わたしの名を、申し上げましょう。わたしは、「無そのもの」という者です。無ではありませんが、「無そのもの」と呼ばれます。いえ、今その名でわたしを呼ぶのはたぶん、わたしだけでしょう。なぜなら、わたしは、「無そのもの」でありますから、わたしというものが存在していることを、誰も知らないのです。神でさえ、御存じではないかもしれません。わたしがいるということを、知っているのは、わたしだけです。わたし以外のだれも、わたしがいるということを、知らない。それゆえにわたしは、わたしを「無そのもの」と呼びます。それはかつて、神によって名づけられた名ではありますが、その神ももう、わたしのことは、忘れていらっしゃることでしょう。

小惑星とは言いますが、周りのどこを見渡しても、闇ばかりで、細く白い月以外に、星らしいものは見当たりません。あの月も、別に引力でこの星を導いてくれているわけではなさそうだ。星は軌道上を動くようなこともせず、ただ、果てもない漆黒の闇にじっと浮かんでいます。星と言うより、ただの岩と言った方がいいでしょうが、何となく、闇に浮かぶその岩の、上と言うか、中にわたしがいることが、昔読んだ星の童話のことなどを思い起こさせ、わたしは、何故にか、おもしいと感じつつ、この岩を、わたしの星と呼んでいます。

わたしが何をしてこうなったかと、お尋ねになりますか? ええ、語りましょう。誰も聞いてくれないでしょうし、誰もわたしが、ここで話をしていることなど、知りはしないでしょうが。言ってもしかたないことなのですが、言わなくてもいいことでも、ありません。わたしが、好きにやればいいのです。だれもわたしのことなど、知らない。何を言うのも、何をするのも、わたしの自由だ。勝手に、わたしが、言えばいいことだ。

そうですねえ。最初に思い浮かぶのは、ある女性のことです。美しい人でした。白い肌が百合のようだった。黒髪は長く背に流れていた。わたしは、その美しさゆえに、彼女を、憎みました。ええ、本当です。愛していたんです。だから、憎みました。あんな女に心を奪われた自分が、いやだったのです。そのときのわたしは、ものしりの学者で、とても偉い地位を得ていました。わたしは女に、言ったものでした。
「やあ、あいかわらず、美しいね。だが君の髪が、金髪だったら、よかったのに。そうしたらほんとに、神の哲理のように美しかったのに。残念だ。わたしの知っている哲理ほど、輝かしく美しいものはない。それはすばらしいものなんだよ」
すると彼女は、とても悲しい目でわたしを見たものでした。彼女は、自分が黒髪であるゆえに、自分は美しくないと思ったようでした。そして、本当に、それから、彼女はだんだんと、美しくなくなっていきました。

簡単ですねえ。人をだめにするのは。ただちょっと、小さいところを突いて、そこが、残念だね、と言えばいいだけなんです。欠点など、誰にもありますから、ちょっとそこをついて、だめだねといえば、人はいかにも簡単に、全部がだめなものになってしまう。やろうと思えば、ほら、あのイエスにだって、あらを探すことができるじゃないですか。たとえば、そうだな。…イエス、なんで、あんなことを言ったんです?なんで、逃げなかったんです?馬鹿だなあ。なんで、もっと賢くできなかったんですか。もっと世間とうまくつきあえば、長生きできたものを。

はは、残念だなあ。もう少し、何かがあれば、いいのにねえ。どうしてそこが、そうなのかな?あれ、何でそんなことを、知らないの?

わたしときたら、なんて意地悪なんでしょうねえ。何万年と、同じようなことを人々に言い続けてきたのです。わたしは、わたし以外の者みなを、馬鹿にしてきました。見下してきました。自分よりえらいものがいるのが、嫌だったからです。他人より自分を強くして、えらくするのは、意外に簡単でした。言葉をね、上手に使って、人をほめながら、ただ少しだけ、そこがいけないねって、注意するんです。それだけでね、その人の全てが、だめになってしまうんです。全く完璧に、無駄なものになってしまうんです。楽しかったですよ。ただ、ちょっと、上手なことばで、いかにも、親切そうに、君のために言っているんだという様子で、笑いながらいうのです。

「やあ、君はすばらしい人だね。だけど、どうして影があるの?そんなものない方が、もっときれいになるのに」

それでわたしは、本当に多くの人々の心を、殺してきました。世界に、「おまえなんか生きていても無駄だ」という言葉を、宝石のような隠喩に隠して、吹き鳴らしまくったのです。そして人々は、本当に、わたしの思い通り、みんな愚かで無価値な屑になりました。わたし以外の人間は、みんな、だめになりました。生きていても仕方ない、無駄で、いても迷惑なだけのものになりました。みんなそういうものに、わたしが、してしまったのです。はは、信じられませんか? でも、本当なんです。わたしの、せいなんです。世界が、人類が、滅びたのは、わたしのせいなんです。ただ、こう言っただけで。「おまえなど、ただの馬鹿だ」と。そう、それだけで、人類を滅ぼすことが、できたのです。本当ですよ。わたしなのです。人類を、滅ぼしたのは。

あ。風が吹きます。ああ…、月が、月が、閉まってしまう。雲など、ありません。あれは、本当に、扉なのです。ほら、月が、ゆっくりと、閉じて行きます。光が、消えていきます。ああ、光がなくなる。闇だ。全くの、闇だ。ああ、もう、手も見えない。何も、見えない。何がある?わたしは、いるのか?ああ、考えている。ほらわたしは今、考えている。考えなければ、何かを。そうしなければ、本当にわたしは、「無そのもの」になってしまう。

誰でしたか。わたしが神によって「無そのもの」と名付けられたことを、わたしに教えた人は。ああ、思い出します。顔を、覚えています。白い髭をしていた。杖を持っていた。悲しげな青い瞳で、わたしを見ていた。彼は言ったものでした。

「おまえの行く末を悲しむ。おまえの罪の浄化の月日の、永遠に近く長いことを悲しむ。これをおまえに告げねばならないわたしの苦しみを、おまえが知るとき、わたしはおまえを、思い出すことだろう」

そうして、その人は、わたしに、ひとつの歌を教えてくれたのでした。そしてそれを、何度も繰り返し、わたしに歌えと言ったのでした。わたしは、無理やり、それを覚えさせられました。何かつらいときには、それを歌えと言われたのです。歌ってみましょう。

ハレルヤ!ハレルヤ!神をほめたたえよ。大空の愛なる神を!
そのはてしない御わざのゆえに、ほめたたえよ!
その明るき真の偉大さゆえに、神をほめたたえよ!
笛を吹き、琴を弾き、太鼓をたたき、鈴を鳴らし、
踊り踊れ、笑い笑え、喜びに泣き歌え!
ハレルヤ!神の愛をほめたたえよ!
とことわの愛のおこないの
何をなしてきたことかのすべてを
白き百合のごとき清らかなる斉唱でほめたたえよ!
すべての愛をほめたたえよ! 神をほめたたえよ!
うるわしき神の愛の御わざなる
ありてあるもののすべてを、ほめたたえよ!

ほめたたえよ!ほめたたえよ! わたしは、歌います。歌の声は、口から放たれたと同時に、無音の石となって虚空に吸い込まれ、消えていきます。誰も、わたしの歌を聞いてはくれない。木霊さえ、返事をしてくれることはない。…ああ、そうです。わたしは、誰かをほめたたえたことなど、ありませんでした。いやなことばかりを言って、人の小さなところにけちをつけていじめては、その全存在を否定し、軽蔑し、屈辱に落としめてきたのです。何もかもは、わたしが、その人たちが、嫌いだったからです。なんでって、それは、みんな、わたしより、美しかったから。わたしにないものを、他の人はみんな、持っていたから。わたしは、欲しかった。みんなのように、なりたかった。みんなの持っているもの、すべてが、欲しかった。

苦しかった。なぜわたしは、彼らのようになれないのか。彼女のように美しい黒髪を持てないのか。匂やかな白い肌が欲しかった。百合のような乙女になりたかった。本当に、美しい女に、なりたかった。なんで、なのか。わた、し、は…、ああ、もういやだ。考えたくはない。わたしは、「無そのもの」というもの。もう、どこにも、いはしない。暗闇の中に、消えてゆく。もう、わたしは、いないのだ…

ふと、目の前が、明るみました。目をあげると、また、月の扉がうっすらとひらいて、その隙間から白い光が見えています。漆黒の闇に開いた、はかなくも細い明かりは、わたしを照らし、わたしの、ごわごわした灰色の手を、わたしに見せます。わたしは、どんな顔をしているのでしょう。わかりません。でも、きっと、醜いことでしょう。自分がどんなに醜いことをしてきたのか、わからないほど、馬鹿ではありませんから。自分の顔を、自分で見られないと言うことは、幸福かもしれない。誰にもわたしの存在を知られないということは、幸福かも知れない。わたしは、こんなにも、惨いほど、醜いから…。もしや、だれかがわたしのことを知ることがあるとして、わたしを見たら、きっとその人は言うことでしょう。

「なんて気の毒なんでしょう、あなたは。もう少し、美しかったら、よかったのに」

ハレルヤ!



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