はてしない雲の原が広がっていた。天には薔薇の形をした星雲がひとひら、太陽のように中天に咲いていた。それは輝く星たちに支えられて、見えぬ神のためにささげられた、美しい紅の王冠のようでもあった。
雲の原の一隅で、三人の光る人が、互いに顔を向け合いながら座っていた。彼らの真ん中に、檸檬水晶の、透き通った卵のような光の塊が、ふわふわと浮かんでおり、三人の光る人は、それを見ながら、何かをささやくように話しあっていた。
「ふぉう?」だれかが言った。「る」もう一人がいった。「あぁ」最後の一人が言った。
彼らはそれぞれに、しばし、片手を蝶のように揺らしたり、星を見上げるために首を傾けたり、人差し指を立てて天をさし、その上に小さな火花のような光を咲かせたりした。
檸檬水晶の卵は、彼らが何かの言葉を発したり、手を動かしたりするたびに、複雑に揺れ動き、度々と姿を変えては、虹のように震えながら、次々と生まれてくる歌を鉱物の声で語り、それを光としてちらちらと揺らし、悲しくも美しい真実を語った。
やがて、ひとりの光る人が、「す」と言い、はさり、という音をたてた。彼は背にあった深紅の翼を広げた。それは雲の原の上に小さくほころんだ、赤い薔薇のつぼみのようでもあった。瞬間、まなざしの会話があった後、ほかのものも、それぞれに翼を広げた。一息風が流れ、かすかな光が弾けたかと思うと、一瞬にして、全ては消えた。光る人はもういなかった。檸檬水晶も消えていた。ただ、空にかかる、薔薇の王冠だけが、静寂の歌を流し、星の光が、ひとつふたつ、その場に滴り落ちた。
さて、この場で起こったことを、これを読む者に理解してもらうために、もうひとりの存在が必要である。それは誰か。言わねばなるまい。それは、物語の語り手自身である。語り手は、この話を語り始めたゆえに、ここで起こったことを、分かりやすく、読む者に伝える義務があると、考える。ゆえに、語り手は語る。
今ここで起こったことは、以下のようなことである。
雲の原に、三人の光る人がいた。そのうちの一人が、檸檬の水晶を指差し、一つの魔法を行った。すると、檸檬水晶から、白いキノコのようなものが生え始め、それはひとりの人間の女の姿になった。それは、白い肌に金の髪をした実に美しい女であった。別の光る人が、その女を指差して、言った。
「美しい。というより、実に悲しい。ここまで美しくなることを、人類は耐えられるだろうか」
すると、もうひとりの光る人が言った。「幼くも心弱き者よ。なんということをしたのか。おまえたちは常に、自分より弱いものを虐げる。己の存在の痛みゆえに。ああ、そしてそれがどういうことになるのかを、おまえたちは知らなすぎる」
魔法を行った光る人は、女の姿を消し、今度は違う魔法を行い、檸檬水晶の卵から、男を呼び出した。灰色がかったキノコのようなものが生え始め、ひとりの少年が現れた。男は、それ以上成長しなかった。それどころでなく、片方の足が奇妙に歪み、短かった。手の長さも不ぞろいで、指の数も足らなかった。
光る人たちは言った。「人類の男がこうなり始めたのは、地球年代で十九世紀頃からだ」「ああ、大航海時代に、人類の男の犯した罪によって、罪功量は限界を超えて、こうして現れてきた。女性を軽んじすぎたのだ。男の霊体は、段階の進んだ者を除いて、だいぶ女より小さく、そして奇形的になってきている」「男が女を軽んじるのは、人類史の劫初の時代からすでに始まっていた。愛高き者が何度教えても、男は女を軽んじることをやめなかった。ゆえに、人類は何度も間違いを犯した」「男が女を軽んじるたびに、女はそれに耐えねばならぬ。耐えられぬことにさえ、耐えねばならぬ。それゆえに、女は、美しくなる。なぜならば、苦しみに耐えることが、その魂を進化の道に導くからだ」「そう。そして男は、ますます女が欲しくなり、女を妬むようになり、女のために、女を得るために、あるいは殺すために、あらゆる苦しみをこの世に生む。その罪の故に、男は醜くなる。そして美しい女が憎くなり、女を虐げる。そして女はますますそれに耐え、ますます美しくなる。男は、ますますそれが欲しくなり、それを妬み、あらゆる苦しみを生み、女を虐げる。そして女はまたそれに耐え、また美しくなる。男は、醜くなる」
光る人が、また、檸檬水晶を指差し、魔法を行った。少年の姿が消え、また女の姿が、そこから生えてきた。光る人は、そこに、小さな光のかけらのようなものを、投げ込んだ。すると女は、少し前よりも大きくなり、閉じていた目を開けて、澄んだ声で歌い始めた。その女は、もはや人間の域の美女ではなかった。女神とさえいってよかった。全てにたえて、すべてをのりこえ、それでもいい、愛していると、歌っていた。
「ふう」だれかが言った。「最終段階に落ちた。人類の女は、人類の男を、超えた。これを、人類の男は、知らない」ほかの誰かが言った。「ああ、人類の男は、自分たちの心が、どんなにやすやすと、女に見破られているかを、ほとんど知らぬ」「女はもう、神の空より聞こえる歌を、かすかにも聞くことができるようになったのだ。だが、男にはまだ、それができぬ」
「とにかくも」と、光る人は言った。「このままにしておいては、男と女の段階の差が肉体上に現れてくる。そうなれば、地球人類の滅亡につながることすらおきかねない」「ああ、男は、屈辱に耐えて美しくなった女の前に、女を辱めて罪を犯してきたゆえに、小さくも醜い姿になった自分をさらさねばならぬ」「ふたりの間に、恋はめばえると思うかね?」「それは難しいだろう。恋をするには、美しいということは、欠きがたい条件だ。それは愛のひとつの形なのだから」
光る人たちは、それぞれに手を踊るように揺らしながら、語り合った。「ふむ。だが恋がなければ、誕生もない。人類は滅ぶ。男には、どのようなことをしても、女に追いついてもらわねばならぬ。そのためには、彼らには相当なことをしてもらわねばならないが」「それは桜樹システムの計画にも組み込まれている。もうすでに誰かが行動を起こしているはずだ」「我々のせねばならぬことは、現段階での解決だ」「そのとおり。では」
すると、光る人の中の一人が、石に似た沈黙の呪文を、閉じた唇の中で転がした。それは聞こえる声ではなかった。まだ聞こえてはならないからだ。それが聞こえるのは、はるか未来のことなのだが、どうしても今発しなければならなかったので、彼は、沈黙の形に変えて、その呪文を発したのだった。
女の姿が消え、もう一度、さっきの、少々奇形的な、少年の姿が出てきた。聞こえぬ呪文は、少年の中に入っていき、それは一種の改良遺伝子のリズムとなって響き、少年の姿を変えていった。少年はだんだんと大きくなり、少し小さめではあるが、りっぱな男の姿になった。不ぞろいだった手足も指も、ちゃんと長さも太さも数もそろい、美しいと言うことは難しいが、それなりに愛すべき男の姿になった。光る人が言った。
「だいぶ中性的だな。男には見えるが」「これくらいにしておいたほうがよいのだ。よほど段階がすすみ、愛と優しさを学んだ男でない限り、魁偉な肉体は持たないほうがよい。まだ段階の進んでいない男が、大きな肉体をもつと、それだけで女が逃げる。もう女も、男の暴力的な支配に、耐えるのをいやがっている。多数の男は、むしろ小さい方がいいだろう」「確かに。だがこれで、恋が成立するかね?」「それはあるだろう。どちらにしろ、女にも、男は必要だ。これくらいなら、なんとかなるのではないか?」「ふむ。まあ、男に、これ以上の荷を負わすのも辛かろう。彼らは、こうして、未来の自分自身に、大きな借金をしたことになるのだから」「ああ、これは彼らの今の本当の姿ではない。彼らが、よほど、人類のために愛を尽くし、数々の試練を乗り越えたときの姿なのだ。われわれは、彼らの未来からそれを借り、それを現在の彼らに与えた」「そう。それゆえに、男はやらねばならぬ。いいや、やらせねばならぬのだ。我々が」
そのとき、光る人の一人が、はさり、と音を立てて、背中の翼を広げた。そして言った。
「人類よ。おまえたちの肉体を誰が整え、誰が作っているのか。おまえたちは知るまい。だが、我々はおまえたちを愛する。おまえたちがこれから味わうであろう、すべての苦しみを、我々はともにしていくことであろう」
深紅の翼は、開きかけた薔薇の花弁のように震え、星の光にかすかにつやめいた。それはかすかな風を呼び、もう一つの魔法を行った。
檸檬水晶が、くらりと震え、それまでの映像を一旦消したかと思うと、一組の男女の姿が、そこに現れた。女は白く美しく、目を半眼に伏せていた。男は、女より幾分小さく、それほど美しくはなかったが、男ゆえの凛々しさを備えていた。幼さを補うための魔法の衣を着せられ、男は何とか女と肩を並べていた。男は目を見開いて、隣の女を見た。男は、心を揺り動かされたようだった。女は半眼で動かないまま、男の心を感じていた。男が、自分に欲望を示したことに気付いた。だが何も言わなかった。男は、女を欲しいと思ったが、黙していた。自分の身のうちに起こった何かにかきたてられ、彼は空に飛ぼうとした。
光る人は歌い、男を助けた。男は飛んだ。蝶のように宙を舞い、風に乗ってどこへともなく消えて行った。
「どこに行ったのか」光る人が言った。「はてしない道だ」「ああ、行かねばならぬ道へ、自ら行ったのだ」ほかの二人が言った。
「恋は生まれるだろう」「ああ、彼らは行くのだから」「女は愛するだろう。今までと変わらずに」「男は、愛するか?」「ほ、それを言うてはならぬ」「愛していると言えばよかったものを」「細い柱の回りを、逆の方向に回れば、愛おしい女の顔を、すぐに見られたものを」「背を向けて走り始めたがゆえに、何万年の年月を女の尻ばかりを追いかけねばならなくなった」「それを愚かと言うは、酷か」「ふ、まことならば、酷とはならぬ。なんにせよ、我々は愛している、人類を」「男よ。女よ。恋をさせてやろう。切なくも、美しい恋を」
ほかのふたりも、はさりと背中を揺らし、翼を広げた。ひとりの翼は銀に光り、もうひとりのものは、若草のような澄んだ緑だった。それをはっきりと目で確認できるよりも前に、彼らは姿を消した。檸檬水晶も消えた。
果てしない雲の原に静寂の風が吹いた。神の王冠のごとき薔薇の星雲が空にあった。星の光が一つ二つ、雫のように滴り落ちた。
さても、語り手は語ったが、さて、この語り手が誰なのか。これを読む者は、それをわかっていると思っているようだが、いや、わかりはすまい。もしや、わかることがあろうとしても、そのときにはもう、語り手はいない。物語を読み終えたとき、それがすべて、架空の出来事であったことに初めて気づくことのように、わたしは、物語とともに姿を消す。わたしもまた、この物語の中にいるのだから。読み手よ。わたしはここにて消えるが、さあ、あなたは、この物語から逃げることができるか。それを保証することは、わたしにはできない。
では、失礼。