世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ニワゼキショウ

2008-06-20 08:15:40 | 花や木

わたしの癖として、つい話題に小難しいものを加えてしまうので、毎日読むのが重いと感じる方もいらっしゃるでしょう。なんにしろ、サービス精神から、何か役に立つことを言いたくなるのが、わたしらしいです。説教癖というのかな。昔からよく言われたものでした。

最近、よくほかの方のブログを読ませていただいています。以前は、世間の人が怖くて、ちょっとしたことばのはしまでぴりぴりと痛く感じたので、ほとんど、自分のブログにこもりきりという状態でした。ネット上でも、わたしは自閉なのです。

いろんな人のことばを読んでいるうちに、ちょっとしたいたずらを思いつきました。花や木の写真で、ウソ発券機?のまねごとをしてみようと。たとえば、ある自然科学者の方のブログをのぞいて、はたして花は何と言ってるかな?と画像を見てみたり。(ふふふ。なんていってたと思います? 意地悪はよしなさいといわれました♪)

花はやさしいな。そして、人間よりもずっと、深い真実を知っています。花が何を言っているか、人間に何を教えようとしているかを、人間がわかるようになったら、人間は本当に、いいことになるでしょう。今すべてをわかっているつもりの世界が、一変してしまうでしょう。

世界は、わたしたちが思っているよりもずっとやわらかく、強く、すばらしい。恐ろしく、怖い。そして、ものすごく、愛している。わたしたちは、赤ん坊のように、頑丈でしぶとい、愛の産着で包まれている。

画像は、近所の公園に咲いていた、ニワゼキショウです。さて、練習問題。みんなわたしが解説してしまうのも、なんですので、皆さんで考えてみてくださいね。この花はいつも、人間に何を言っているでしょう? 何をしてくれているでしょう?

ヒントはいつも、愛です。人間にもときどき、こんな人はいますよ。親切で、黙っていいことをしてくれているような人。

若いころに出会ってから、いつもさりげなくそばにいてくれているかのような友達でした。初夏にこの花が咲くのが、何とはなしに楽しみだったのは、苦しいことの多かったわたしの毎日に、小さな薬をくれていたからです。

今、この花の写真を見ると、大変に心配そうな顔で写るので、わたしもちょっとつらい。要するに、今のわたしの病状が、よほど心配なんでしょうね。大丈夫、といいつつも、内心私も、長いなあ、と嘆息しています。

ヒント言いすぎですね。だれか答えてみてね。
コメント (2)
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貝ボタン

2008-06-19 08:34:39 | こものの部屋


昔の人は、とてもものを大事にしていました。

先日、ひいおばあちゃんが残した、ボタンの缶を見つけました。なんだか、宝石箱を見つけたような気がして、さっそく自室に持ち込み、宝物の検分をしました。

おもしろい形のボタンがたくさんありましたよ。昔のものは、そうデザインによけいな凝り方をしないので、シンプルで、ださっぽくてとてもかわいい。最近のものは、かわいいんですけど、シャープに記号的になりすぎて、それがちくちく痛いんです。みんなが、肩肘張って、他人と決定的に違うものを作ろうとして、よけいなものをくっつけたり、必要以上にとがったりしすぎるんですね。

そんなに、がんばりすぎなくてもいいのに。今は、がんばりすぎて、すりきれて、だいじなところがすっかりなくなって、それでもつくっているうちに、ボタンがボタンじゃなくなったようなボタンもあります。

缶の中に、小さな貝ボタンがたくさんあったので、それだけよりだしてみました。プラスチックのボタンの中に混じっていると、なんだか真珠の屑でもみつけたみたいにうれしい。つつましやかな真珠光沢がかわいい。白いシンプルなブラウスに、そっとつけてみたくなりますね。

貝ボタンは、明治期に、ドイツから日本に技術が移入されたそうです。わたしは、こういう小さなものに込められた、作った人のかわいい気持ちが好き。産業だの商売だのいろいろな堅苦しい話題もありますが、要するになぜ人が貝ボタンを作るかというと、貝ボタンがかわいくて美しいので、人の心がそれをほしがるからです。

お金をもうけなきゃいけない、という気持ちの裏で、ひっそりと、人間のやさしい気持ちが、星のように息づいている。小さな女の子の服を飾ってやりたいな。貝はほんとにきれいだから、これでほんとにいいものをつくってやりたい。

いいんだよ。いいんだよ。素直になっていいんだよ。今はだれもが、立派で大仰な理由がなければ、何もやってはいけないような時代。でもほんとうはみんな、だれかにやさしくしたいから、やっている。

プラスチックがあるのに、小さな貝ボタンを人が作り続けている理由は、どこかで苦しんでいる人の心に、きれいなものをあげたいから。みんな、同じだから。苦しいから、この世界は。

海辺で拾ってくる貝は、愛する人を飾るのに、とてもいい。貝は、人間の心を知っているから。

だから、人のつくるものは、美しい。

 


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月の庭

2008-06-18 07:59:11 | こものの部屋

だいぶ前に描いた小品ですが、カードシリーズの中に入れてみることにしました。

これは「月の庭」。月世界にある庭です。木はもちろん、月の桂でしょう。静やかな天使と瞳をみかわせながら、小さな月の子に寝床を提供している。月の子は大変な仕事をしているからです。

月は、闇夜をもやさしく照らしてくれる光。どんな深い夜の闇も、否むことなく、父を慕う子のように無邪気に、静かに、ひたりよってくれる。誰に知られることなく、すべての人の心に触れ、その人をもっとも苦しめている傷を探っている。

それが月の子の仕事です。月は、罪に沈む人の心を、最後に許すために、あらゆることを準備せねばならないのです。

何もかもが壊れ、すべてを失ってしまっている。事実上、あらゆるものが、馬鹿なことになってしまっている。それでも、なんとかせねばならない。何をやっても、結局は無駄なことに帰してしまうというのに、みんなを助けるために、その馬鹿な役目をせねばならない。そういうときがあります。

何もかも無駄なのです。それをやっても、元に戻るということは絶対にない。なぜなら、もう、一切はなくなっているのに、無理やりあることにしているからです。馬鹿な人間を助けるために、あらゆるものが協力して、恐ろしく愚かなものを作ってしまった。その整理をせねばならない。

馬鹿なことを、すっかり馬鹿なものにしないために。すべてはなくなっても、みんなのやってくれたことを、恐ろしく愚かな醜いことにしてしまわないために、やらねばならないことがある。そのとき、最後に祈る場所が、ここ、「月の庭」なのです。

月は、すべてを救うからです。

月は、教えてくれます。それをやれば、ひどいことにはなりきらないという、最後の一手を。しかしそれは、引き換えに、人間にもっとも苦しい選択を迫ることにもなるのです。

それはたとえば。

もっとも憎む相手を、許すこと。

もっとも嫌いな相手を、愛すること。

もっとも反発している人に、助けを求めること。

つまりは。その人がそうなることになった、もっとも愚かな過ちを、認めねばならないということなのです。

それで、すべてが愚かな虚無に潰えることが、防げる。

このカードの意味は、「最後の救い」です。


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ショール

2008-06-17 08:32:30 | こものの部屋

昨日やっと編めました。白いレースのショールです。きれいでしょ♪

ほぼ円に近い扇形のショール。編み始めは、「わ」の一目でしたが、裾はなんと4メートル以上あります。肩にかけて両手を広げると、「じゅでぃ・おんぐ」ができます♪(わかるひといるかな)

似合うかどうかは別として、編むのにとっても苦労したので、だれかにあげるのはもったいなくて、やっぱり自分で着ることにしました。近々親戚で結婚式があるそうなので、そのときにでもつけていこうかな? でも白いショールだと、花嫁さんに失礼でしょうか♪

何が苦労かというと、裾にいくほど、一段の網目がどっと増えるので、一か所まちがうと、戻って編みなおすのが大変なのです。目を間違うたびに、ほどいて編みなおしたんですが、一度などは、あと三段で終わりだというところで、五段前でパイナップル編みの目を一か所落としていたことに気づきました。一段4メートルなんですよ。50gレース糸の玉ほとんど一個分、もどって編みなおしました。

やれやれ、根気のいる仕事は、得意なほうですけど、こういうとき、最初はやっぱり、目の前がまっくらになりますね。せっかくここまできたのにぃ、という感じで。

でもまあ、気をとりなおして。失敗もあるさ、しんどいこともあるさ。こういうときの、気持のおまじない。いいんだよ、いいんだよ、いいことにしていきましょう。美しいことにしていきましょう。

何度も何度もやりなおして、いいことにしていこうね。楽しくやろうね。

で、できたショール。とってもお気に入りです。

結婚式が楽しみだな♪ 花嫁さんには迷惑かもしれませんが、やっぱり着ていこう♪



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タイワンツバメシジミ・2

2008-06-16 08:30:50 | 生命

またまたかわいいチョウチョの写真が撮れました♪

シロツメクサの写真を撮ろうと、近所の散策に出かけたとき、近所の公園で咲き群がっていた萩に、ヤマトシジミやウラナミシジミなどの、青いシジミチョウがいっぱい集まっていました。その中で、快く表の青色を見せてくれた、好漢です。

ウラナミシジミか、タイワンツバメシジミか判定に迷うのですけど、たぶん、ツバメシジミのほうです。

もっと遠くに出掛けて、シロツメクサを探したかったのですが、チョウチョを追いかけているうちに、息があがってしまい、早々に家に帰りました。去年は、アゲハやモンシロチョウなども追いかけて撮れたんですけど、今年はこれが限界かな。

でも、それなりにおもしろいものも撮れています。わたしの体調が芳しくないせいか、花や虫が、去年よりもずっとやさしい顔で写るのです。花々の、心の奥の、最もやさしい愛が見えてくる。どんなことしても、助けてあげるよって、言ってくれる。

花はみんな愛なんだな。虫もみんな助けてくれる。青いチョウチョウの宝石のような光は、なんだか病中の心に、強い薬のように飛び込んできます。美しいですね。

さてさて、ここからは、前回と同じような展開になるのですけどね。わたしもいろいろなブログで人様の写真を拝見したりしているのですが、今回は、猫の写真について言いたいと思います♪

猫好きの人のブログを拝見しても、写真の中の猫が言ってることばと、解説してる飼い主さんのことばのずれが、おもしろいのです。

飼い主さんはね、もう猫が大好きで、めろめろ、溺愛♪ということを書いているんですが、写真の中の猫はというと、「こいつあほとちゃうんか?」と言ってるんです。これがおもしろい。

猫はずいぶん、飼い主を突き放して見ていますよ。でも、猫好きにとっては、きっとそこがいいんでしょう。

人間には、愛されることも必要だけど、愛することも必要だから。愛に溺れたいくらい愛したい、と思うとき、ちょうどいい相手が、猫なんだと思います。猫は、人間のように、必要以上に甘えないし、人間を、ほどよく馬鹿にしてくれるから。そして、ちゃっかり人間を利用してくれるから。

人間は、馬鹿なことばかりしてるから、いつもだれかに、冷たくされたいと思っている部分があるのです。でも、ほんとに傷つくようなことはいやだから。猫なら、安心できる。

自分の好きなように愛させてくれて、適当にあしらってくれる。極上の恋人なんでしょうね。

花や虫のように、なんにもなくても、無条件に愛してくれるものは、ときどき、苦しすぎるから。それを猫が癒してくれる。

人間は、いろんなものに、助けられているんですね。



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すみれに挨拶する再生のトカゲ

2008-06-15 09:27:33 | こものの部屋

暑くなってきたので、冷房をかけはじめたら、ふた晩目でさっそく風邪をひきました。こんなことで、自分の体のことがわかりますね。昨夜は氷枕で眠りました。

今日はカードです。蛇の次はトカゲと、爬虫類が苦手な人には、大変苦しいかもしれませんが、おつきあいください。それにしても、蛇やトカゲは、難しいです。切り絵は、絵に描く対象をいかに単純化するかが問題なのですけど、もともと形が単純なものは、そこが難しい。この絵も、モデルはニホンカナヘビなんですが、頭のところや手のところなどの微妙な感じが出せなくて、ちょっと苦しいです。次は、もっと上手に描きたい。

ところで、このトカゲは、長くてきれいなしっぽを持っていますが、実はこれは、一度ちぎれたものが、再生したものです。このトカゲは、一度、自らの未熟で恥ずかしい過ちが原因で、根元から自分のしっぽを失ったことがあるのです。

それはトカゲにとって、とても恥ずかしく、苦しいことだったのです。仲間たちの揶揄や嘲笑が苦しく、誰にも自分の姿を見られたくなくて、彼はたまたま近くにあった、すみれの茂みに隠れたのでした。

すみれは、そんなトカゲを、黙って受け入れたのでした。なぜなら、すみれは知っていたのです。生けるものにとって、最も苦しいことは、自分が、恥ずべきことをしてしまったという、苦しみだと。

悪いことしたことよりも、恥ずかしいことをしたことのほうが、ずっと苦しいのだということを。

すみれは、とかげが草むらで自らの問題に苦しんでいる間、ずっと彼の話を聞き続け、彼を隠してやったのです。そしてトカゲは、初めて知ったのです。すみれが、どんなにやさしいかを。どんなに助けてくれようとしているかを。

世界のすみっこに咲いている、小さな花が、どんなに大切な仕事をしているかを。

馬鹿なことは、二度とやるまいと、トカゲが誓ったとき、再び、しっぽが自分から生えてきたのでした。それは前よりも一層長く、美しかったのです。

このカードの意味は、「愛が助ける」です。




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許したまへ

2008-06-14 07:41:29 | 詩集・貝の琴

玉の緒の苦き塩に傷めるを
甘き怠惰に預け
花のしとねに憩はんとせり

やましきことの満てるこの身を
厭はしく草むらに捨て
風に己を溶かし
酢のごとき痛みの涙を
ほほに流しき

願はくは 許したまへ
許したまへ
愛の砌の一切を
古井戸に投げ
からからと笑ひ去りし
若き日の驕りを

古傷に病む背骨の
錆び釘のごとく歪めるを
何処に捨て去らんと
思ふものはたれぞと
わが身に問ふ
そもたれならんと
厭はしきものの問ふ

ありし身の美しき日々の
いにしへに去りしことを
悼むものさへ
こより去りゆく

許したまへ この
わが身をわが身より
去らせたまへと
日々願ふ者を

玉の緒を
いつはりに結び
狂ひゆくその明日を
塩のごとき白き山に
焼き殺さんとせしものはたれぞと
われは問ひぬ


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シロツメクサ

2008-06-13 06:39:18 | 花や木

パソコン君が壊れて、一番残念なことは、たくさん撮った写真がみんなだめになったことです。いずれ、シロツメクサについて書くときに使おうと思っていた、とてもきれいな写真があったのですけど。ほんとに残念なことでした。でもまた、いい写真は撮れるでしょう。これもまた、なかなかです。

ムラサキカタバミやタンポポ、ツキミソウなどは、人間にとって、まるで幼なじみのような花ですね。子供のころ、無邪気に遊んだ思い出のある人は、たくさんいることでしょう。

野原を駆け巡って遊んだ思い出の中に、必ず登場する花。このシロツメクサもその一つだと思います。

でも、人間が、大人になって、悪いことやずるいことも覚えるようになって、子供のころに遊んだ花には目もくれぬようになると、花はそれぞれの形で、人間にメッセージを送るようになります。

「そんなバカなことはしないで」と、苦いことばを言い続けて叱ってくれるムラサキカタバミ。心を閉じて、ただ遠くから悲しげに見つめているツキミソウ。信じているからね、と、常に暖かく励ますタンポポ。では、シロツメクサは? 彼女たちは何をしているでしょう?

この花を見ると、人間は、不思議な安心感を感じます。彼女たちは、人間に、積極的にメッセージを投げません。ただ黙っている。黙って、何かをしている。

そう、シロツメクサは、人間の心を正しいところに連れ戻すために、わたしたちにはわからないところで、行動し続けているのです。彼女たちは、黙って、それをやり続けるということを、選んだのです。

それが何なのか、彼女たちが人間のために何をやっているのかを、尋ねても、彼女たちは答えてはくれません。なんとなくわかるような気がするのですけれど、はっきりとはわかりません。ただ、深い愛が伝わってくるだけです。

彼女たちが黙っているのは、自分たちが人間のために何をしているかを、人間が知ったら、人間がとても苦しむと思っているからです。愛だけで、彼女たちはやっているからです。一生懸命に、やってくれているからです。

わたしたちが、シロツメクサをみて、不思議な安堵感を感じるのは、彼女たちがいつも、その大切なことをやってくれているからです。そのことで、わたしたちの魂が、とても助かっているからなのです。

人間の魂を、正しいところに連れ戻すために、彼女たちがやってくれていることを、いつか人間がわかる日がくることでしょう。そのときまでに、それを黙っていてくれと、彼女たちは言います。

シロツメクサは、そういう花です。


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天使のダンス

2008-06-12 08:47:32 | 有為のしらべ

昨日は、小学校でお話し会がありました。私の当番だったので、絵本を2冊読んできました。

子どもたちが、たくさん聞きに来てくれました。プール掃除なんかがあったので、今日はあまり来てくれないかな?なんて思ってたんですが。うれしかったけれど、どきどきしました。うまくできるかな。

画像は、百均で買ったアイテムを並べて作った演出です。バンダナにレースのふちあみをして、かわいくしてみました。なかなかでしょう。拙いですが、図書室に、いつもとちがった幸せな空間をつくってみたかったのです。

練習のときとちがって、本番はやっぱり緊張して、うまくできなかったところがあったのですが、なんとか最後までやれました。2冊読み終えて、時間があまったので、最後に、予定ではなかっただしものもやってみました。

お話し会では、手遊びなんかをやるのが定番なんですが、わたしはなんとなく手遊びが苦手なので、座って踊れる「天使のダンス」というのを、考えてみたのです。好きな音楽にあわせて、手をひらひらさせて自由に踊るだけ、というダンスです。

このダンスの大事なとこは、まず、自分の真中で考える、というとこです。普段、人は、どこか、頭のふちっことか裏側あたりで考えてることが多いんです。そのほうが、楽だからです。人が嘘をついたり、あまりよくないことをするときは、いつも、どこか、自分の中心からずれたところで考えています。今の時代、あまり、自分の真中で考えるという人は、いません。それは、嘘でいくほうが楽だからなのですが、そればかりだと、苦しいときに、困ることになるのです。

だから、自分で意識的に、自分の真中に自分をもってくるような感じにして、実際に自分で自分をやる、という感じのダンスを考えてみたのです。

自分で、自分をつかって、自由に踊ってみるのです。それだけなのですけど、これがなかなか、楽しいのです。

まず手を顔のところにもってきます。「お花を咲かせてみましょう。自分の好きな花を咲かせてね」といって、顔のまわりで、手をゆらせたり、回したり、くねくね動かしてみたりします。動かし方は、自由です。自分が、回したい、と思ったら回す。上に伸びたいとおもったら伸びる。風にのって大きく動きたいと思ったらそうする。自分の自由なのです。

笑いたい、と思ったら笑います。目を丸くしたり、口をとがらせたりもしてみます。自由です。人に見られて恥ずかしい、という気持ちは、あっちにいってもらいましょう。歯をむき出しにしたり、バカっぽく見えたりなども、気にしない。笑いたいから笑う。楽しいから笑う。そういう感じで、自分の中で、自分を自由にやってみましょう。だれもばかにしたりしませんよ。みんな同じですから。

みんなで楽しく、「自分の自分」を、やってみようね。

そういうダンスなんです。天使のダンスと名づけたのは、笑うと、みんながほんとに、天使みたいに見えるからなんですよ。

自由に、ほんとの自分を表現したら、みんな、ほんとに、かわいいんです。楽しいから楽しい。ほんと馬鹿みたい。でもいいね。自由だね。なんでもない。自分でやればいいだけなんだよ。

でも今は、それがとても苦しくて、なかなかできないという子が多い。なぜなら、みんな、自分なんていいもんじゃないって思い込んでいるからです。昨日のお話し会でも、わたしに合わせて踊ってくれたのは、3人くらいでした。ほかの子はみんな、恥ずかしそうに、見ていただけでした。

でも、少しずつ、やっていこうと思います。これを覚えたら、得なことがいっぱいあるんですよ。つらいときに、とてもよく利きます。本当の自分であることの幸福が、この世で生きる苦しさを、消してくれるからです。つらくても、自分で踊るだけで、わたしはわたしだなって思えて、さあやろうっていう気持ちになるからです。

何よりも幸せなのは、わたしが、わたしであること。それなのだと、教えてくれるのです。

こどもたちにも、覚えてほしいな。

きっと役に立つでしょう。




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タイワンツバメシジミ

2008-06-11 06:52:40 | 生命

今年初めて、きれいに撮らせてくれた、チョウチョの写真です♪ きれいな表の瑠璃色が撮れて、とてもラッキー♪

去年の夏には、ツバメシジミのめすの写真を紹介しましたが、今振り返ってよく見比べてみると、そちらもやはりタイワンツバメシジミだったようです。よくよくみると、裏の文様が微妙に違うのです。

チョウチョの種類の特定も難しいですね。学者さんは、翅の文様に、てんてん一個多いことも見逃しません。一つ一つ数えているのかな。おもしろいですね。

花や木もものをいってくれるように、虫もまた、何かを言っています。彼らは、自分自身でものをいっているというより、見えない何かのことばを運んでくるという感じです。それはそれは、とてもきれいな、すごい真実を語ってくれることがあるから。

チョウチョウは神様の手紙、ということをいったことがありますが、それはそういう意味なのです。そのことばがわかるようになるには、ちょっと勉強せねばなりません。わたしは、少しわかるようになってきたところです。けれどもその内容は、今は誰にも言えない。というより、まだ翻訳できない。とっても難しいことばだからです。

花や木のことばを、人間のことばになおすのは、けっこう簡単なのですけどね。それは花や木が、たいそう人間を愛してくれるからなのです。たとえ人間がきらいだよ、と言っている花でも、本当は深く深く愛してくれているのです。

花は愛だからなのです。

虫も、愛なのです。それは、人間にはまだわかりにくい愛なのです。だからこそ人は、虫がたいそう好きになったり、とんでもなく嫌いになったりするのです。

花を嫌いだという人は、滅多にいませんけどね。

ところで、ネット上のいろんなとこで、木や花の写真を見るのですけど、写真の中の木が言っていることばと、それを解説している人間のことばのずれに、ときどき困ってしまうことがあります。木や花は、写している人間の今の心の状態を、すべてばらしてしまうからです。

一生懸命に木を勉強している人が、なんのためにそれをやっているのかを、木が教えていたりするのです。

「苦しいな。この子は、ほんとはそんなことをしたいんじゃないんだよ。違うことをしたいのに、それができないんだよ」

その人は、木よりも、ほんとは違うことに興味があるそうです。でも、それをやれば、変わったことをやるやつだと、他人にいやなことをされそうだから、やらないのだそうです。みんなにいい人に思われたくて、無難なところで、木を勉強しているんだそうですよ。

「素直になっていいんだよ」と木が言っているそばで、その人は嬉しげに、木の種類だとか性質だとかの知識を、長々と書いているのです。

こんなふうに、木や花のことばを翻訳するのは、比較的簡単です。解読のヒントは、愛だから。素直に愛になれば、みんなわかってくる。

虫のことばも、きっといつか、翻訳できるようになるでしょう。



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