今日は陸上記録会に出て、その結果報告…と思っていたんですが、
とんでもない勘違いをしていまして、今日の試合は100mが無かったのです!
言い訳をさせてもらうと、去年まではあったんですよー。
今年から変わったらしいのです。
そんなのいつ国会で小泉総理が決めたのだ?(元ネタがわかった人はえらい)
というわけで今日は歴史ネタで。
歴史上の人物(特に戦国武将など)は通称で呼ばれることが多いですよね。
羽柴秀吉は「筑前守」、前田利家は「又左衛門」、柳生三巌は「十兵衛」、
大石良雄(赤穂浪士のリーダー)は「内蔵助(くらのすけ)」などなど。
昔はその人を実名で呼ぶことは非常に無礼なこととされていたため、
代わりに役職などで呼ぶのが習慣だったようです。
だから家臣が「信長様」などと言ったら大変なことになっちゃうわけですね。
歴史上の人物の本名が不明なことがしばしばあるのは、こういう理由があったからなんですね。
秀吉の参謀だった竹中半兵衛や黒田官兵衛も通称で(こっちの方が断然有名ですが)、
本名は「竹中重治」と「黒田孝高」なのです。なんかピンときませんね。
さらにもうひとつ。
秀吉が「筑前守」と名乗り始めたころ、別に筑前国は秀吉の領地だったわけではありません。
この時代はもはや官職は形骸化していて、みんな勝手に名乗ってしまっていたそうです。
これは以前から疑問だったんですが…早く調べればよかったです。
というわけで当時の武士などは本名と別に通称を持っていて、
例えば武田信玄は「武田太郎源晴信」だったとか(信玄は法名)。長いですね~。
で、明治時代になるとこの慣習は廃止され、現在の様に「姓」と「名」だけになったんだそうです。
とまあほとんどはネットで調べた結果のコピペなんですが(笑)
なるほど、以前からの疑問がようやく解決しました!
それにしても便利な時代ですね。ホント。
それでは!