◇『坂の途中の家』 著者:角田 光代 2016.1 朝日新聞社 刊
裁判員裁判が内容と知って図書館にリクエストしたら早くも予約が300人も入っていた。
そのうち流山おおたかの森に住む三女が『坂の途中の家』を買ったんだけど読む?と妻に
言ってきた。予約は取り消し。娘の本ならゆっくり読めるので「読む~!」と返事した。
3歳になろうとする女児を持つ里沙子は、当たるはずないと思っていた裁判員(補充員
だが)に選ばれた。対象の刑事裁判は乳幼児虐待死事件。裁かれるのは30代の母親である。
生後8ケ月の女児を水のたまった浴槽に落とし、女児は死んだ。事故ではなく故意に落とし
たと容疑を認めたとして殺人事件になった。
判決が出るまでの10日間、裁判員としての審理を通じて里沙子の心は思ってもいなかっ
た混乱に陥る。ほとんど同世代で、一児の母。裁判を通じて知った被告の環境は里沙子と
似ている。ぎくしゃくした実母や義母との関係、やさしい父親という外面のうらに、心理
的支配を求める男の言動を垣間見るなど、次第に被告に自分の境遇を重ね合わせ、感情移
入していく。里沙子は事件審理の過程で意見を求められると自分の体験と被告安藤水穂の
行動がごっちゃになって頭が真っ白になる。あの時私は悪意を持って娘に虐待と思われる
行動をとろうとしていなかっただろうか…。
家に帰っても夫の言動を忖度し勝手に恐れおののく。里沙子は次第に半ば壊れていく。
こんな調子で深刻で暗いはなしが何度も繰り返されていくので疲れる本である。作者も
白状しているように、根暗で、物事を悪い方に考えるタイプの人が、こうした自己の実体
験と酷似した環境が起こした事件にかかわったりしたら、こうなるのだろうなと納得する。
本書を読んだ三女も「あるある、そうだよ、私もそんな気持ちになったことがあったと
ドキッとした箇所があった」と言っていたらしい(伝聞)。
最後は最終評議の段階では里沙子も妙に割り切って、懲役九年の判決を冷静に受け入れ
る。
この本とは関係なく、裁判員が一般的な「常識」と被告人の「外見」で物事を判断して
いく実態も、裁判員と言っても自分の狭い体験の中で判断するとすれば、そうなんだろう
なと、悲しい気持ちで受け止めた。
(以上この項終わり)