読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

ミゲル・デリーベスの『赤い紙』

2019年02月10日 | 読書

◇『赤い紙』(原題:La hoja roja)
         著者:ミゲル・デリーベス(Miguel Delibes)
         訳者:磐根圀和 1994.1 彩流社 刊

  

   この本は作者が25歳の1959年に発表され、25年後の1986年作者自身が演劇用に翻案し
上演され大当たりをとったという。
 作者のミゲルは「1959年のスペインは1986年では確かに木炭ストーブがガスストーブ
にとって代わったが、エロイ老人の苦渋に満ちた状況はあの時代と少しも変わっていない」
語ったという。

 ミゲル・デリーベスにはスペインのカスティーリャ地方の小都市や田舎を舞台にした作品
が多い。この作品もカスティーリャの小都市の市役所勤めで定年を迎えたエロイという一人
の老人の退職記念パーティから始まる。
   特にドラマチックな展開があるわけでもなく、歳老いた老人の孤独な日常が淡々と流れて
いくにもかかわらず、なぜか人生の在り方について考えさせられたり、無常観にはっとさせ
られたりするのである。
 深いペーソスを感じさせる小説である。

 スペインといえば、陽気で楽天的な国民性との印象をもっていたが、時代が違うとはいえ
なかなかしっとりとした感性もあることを知った。作品の会話の端々には洒脱ではないもの
のイギリス人のようなエスプリが効いた語り口が楽しい

 200ページ余りの短い小説であるが、主人公の老人エロイを取り巻く家族・知人・友人、
女中のデシーの家族・知人・友人その他大勢の人物が登場する。数えてみたら登場人物は
61人もいた。

 エロイ老人は市役所のごみ収集業務を53年も勤め上げ、このほど定年退職したわけだが、
妻には先立たれ、マドリッドで所帯を持っている長男も手紙一本よこさない、孤独な生活を
送っている。今は新しく雇ったデビ―の台所仕事の邪魔をしながら駄弁るのが唯一の楽しみ
になっている。
 
  身の回りの世話をする女中デシーはまだ19歳で、読み書きもできない山出しの娘である
が、毎日2時間老人に字を教わって新聞の見出しを読めるようになった。エロイは今では彼
女に対し漠然とした保護者のような気持ちを持っている。
 
字が読めるようになったデシーは女中仲間のマルセや恋人のマヌエル(あだ名はカササ
ギ)にどのタイミングでその快挙を伝えようかうずうずするところがほほえましい。

 毎日のように一緒に散歩していた幼馴染のイサイアスが死んだ。エロイはイサイアスの
妻と娘を慰め葬儀一切を仕切った。墓場で司祭はエロイに「人生は一陣の風に過ぎないが、
人間はそれを永遠ででもあるかのように心得て欲心のままに振舞っているのだ」と言った。
エロイはこの禅的な言葉をずっと覚えていた。

 イサイアスの死で2週間も落ち込んでいたエロイはマドリッドの息子のところに行こう
と決心する。ところが息子は身体の不調をぼやくばかりで会話はしっくりいかない。嫁に
「お父さん」と呼んでほしいと思っているのに他人行儀、一時同居もあるかと思ったものの、
なんとなく居心地が悪く結局10日ほどで田舎に帰ることにする。

 一方、
留守を任されデシーは、恋人カササギが刃傷沙汰を起こし獄につながれることに
なってしまった。除隊後に結婚しようという約束が雲散霧消してしまったデシーは、悲嘆
と絶望のあまりに、帰ってきたエロイの胸に身を投げる。

 落ち込んで涙に明け暮れるデシ―は、映画に誘ったりするエロイの優しい心遣いで次第に立
ち直っていく。

 この小説ではエロイ老人の周辺些事が繰り返し語られるが、底辺にあるのはエロイ老人の
孤独感だ。寂しい結婚、末の息子を亡くし、妻や友人にも先立たれた。息子夫婦は心をかけ
てくれない。
老人の孤独感がひしひしと伝わってくる。

 エロイはデシーを元気づけるためにクリスマスの時のように二人だけのパーティーをしよ
うと酒を買ってこさせる。人生に大切なのは温もりを持つことである。ということをデシー
に説明しようとするが酒が回ったエロイは言葉がもつれ、感極まりいきなりデシーの二の腕
をつかむ。
「見捨てないでくれ」とデシ―に取りすがったエロイの叫びは悲痛であるが、「おっしゃる
とおりにしますだ、だんな様」
 デシ―の答えは互いが支え合うことを認めたことであり、温もりを求めてやまなかったエ
ロイの人生の終幕を落ち着かせてくれる言葉だった
 

ちなみに「La hija roja」=赤い紙とは、たばこの巻紙を指す。残り少なくなると赤い紙が
出る。作中「あと5枚だよ」というエロイ老人の繰り返しが彼の人生の終わりを象徴し哀れ
である。

                             (以上この項終わり)

 


  

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