◇『おらおらでひとりいぐも』
著者:若竹千佐子 2018.3 河出書房新社 刊
第158回芥川賞授賞作品。
読後感は一口で言えば消化不良。その原因はほぼ全編を覆う東北弁(南部藩地
域?)。
漢字で表記された言葉は理解できるが、それをつなぐ東北地方独特の表現、表
音は流石に地元の人でないとすんなりと頭には入っていかない。
愛し合って結婚した夫周造と死別してから15年。74歳を迎えて、二人の子供
は既に所帯を持っている。やや疎遠な息子と多少こだわりもある娘を持つ寡婦の
日高桃子さん。
このところ湧き上がるふるさと風景と空気に懐かしさを覚えながらも、桃子さ
んの脳裏に時折顏を出す亡き夫の声。次第に現世とは別な世界の存在を信じ始め
ているが、亡くなった夫との生活を懐かしみ寂しさを覚えながらも、独り身の解
放感と圧倒的な自由を楽しむ矛盾した感情の交錯に戸惑う姿に共感を覚えたりす
るのである。
"おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐ
も、おらおらで ひとりいぐも。"
(周造の住む世界、目には見えない世界の存在を信じたい欲求が生まれたのであ
る)
孫娘とのやり取りの中に過ぎ去った故郷の生活や亡き祖母の思い出を見出しほ
んわかした気分を味わっているというエンディングの段を読むと、所詮人生の
「不在の中の存在」といった哲学的な意味を問いかけるような作品ではないので
はないか、伴侶に先立たれた多くの寡婦・寡夫の心に巣食うあるいは振り子のよ
うに揺れ動く不安と希望を、使い慣れた方言によって描き切った小説ということ
に尽きるのではないかと思うのである。
(以上この項終わり)