読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

鞆の浦を訪ねて

2010年12月03日 | 国内旅行

名勝・歴史の薫る町 鞆の浦(福山市)
 転勤で広島に住んでいる長女の家族を訪ねた。長女に、「せっかくの機会なので、途中でどこか観光したい
ところがある?」と聞かれて、妻は「鞆の浦!」と答えた。誰かが「よかった」と言ったのを記憶していたらしい。

 福山駅に長女夫婦と孫2人が出迎えてくれた。1年ぶりの再会で、大人たちはあまり変わらないが、子供たち
は大きくなっていた。長男は今年小学生になった。長女は来年幼稚園へ行くらしい。

 鞆の浦港は古くから「潮待ち港」として知られている。瀬戸内海は島が多く、潮の満ち引きで潮流の逆転が起
こる。この潮流の変わるのを待つための港として古くから賑わったのが鞆の浦港という。
 港の対岸に「仙酔島」という小さな島が見える。船で10分足らずの距離である。

  
(弁天島を経て仙酔島を望む) 

 その昔、竜馬が乗った「いろは丸」がこの地で和歌山藩の船と接触し難破した。竜馬は幕府の親藩と堂々渡り
あって賠償金を取り立てた。その時海難審判の場となったのが「お船宿いろは」である。

 

 このところNHKの大河ドラマにあやかれば観光客が押し寄せるので、「竜馬伝」にかこつけて、連絡船は「いろ
は丸」の小型のレプリカにして運航している。

   

 
島は公園で、白砂青松の海岸があり、展示館では「竜馬伝展」まで開かれていた(福山雅治の着た着物もある)。

         
 
 ところで鞆の浦は最近ちょっとした話題になっている。港のメイン道路が常時交通渋滞を起こし、県と市はこれを解消
するために港の一部を埋め立て、桟橋から対岸にまたいで橋をかけようという案を出した。ところが「景観と歴史遺産が
損なわれる」と環境維持派が反対運動を起こした。賛成・反対と意見が二分しいまだに結論が出ていないらしい。確か
に道路は狭く、対向車がやっとすれ違えるほどで、歩行者は身動きがとれない状態である。
道路の狭い港町では何処でも抱えた難題である。ましてや古くからの港機能と街並みが渾然と一体化して残されてい
る貴重な地域として、世界遺産認定機関が価値を認めているという鞆の浦。さてどう落ち着くのか。

   

 それはともかく港町は昔ながらの街並みがそのまま残っていて風情がある。
「保命酒」はここにしかない薬草酒。頼山陽も愛飲し、朝鮮通信使が愛で、将軍徳川慶喜の好物であったとか。
じゃこやたこ、いろんな海産物の加工品が珍しくたくさん買った。
買った土産品を店の中で炙って酒を飲んでいる姿が街筋に妙に似合っていた。

       

潮待ち港に似つかわしい「常夜燈」。高さが11mあって、このように港の標として残っているのでは日本一とか。

   

港の小高い地に「海岸山千手院福禅寺」という寺がある。それに隣接する「対潮楼」は1690年(元禄年間)創建、
かつて朝鮮通信使の定宿とされ、1711年(正元年徳)ここから「酔仙島」を眺めた通信使李邦彦は「日東第一形勝」
(朝鮮から東で一番風光明媚な場所)と賞賛した。
また、竜馬がいろは丸事件で和歌山藩重役と交渉したのはこの「対潮楼」といわれている。

         

(以上この項終わり)

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