読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

ジャックと豆の木

2009年01月13日 | その他

ソラマメはたくましい

 昨年のクリスマスイブにプレゼントを貰った。
 ラップを開けてみると・・・出てきたのはビールのコップ。
 ・・・と思ってよく見たらば、何と植物を育てる器だった。土もついている。
 多分バーミキュライトで肥料も調合されているのだろう。
 箱には「そらまめ栽培セット」とあった。

 豆を盛る「ざる」までついていた。

   

 「そらまめ」の種が二粒。
 前は何度か我がミニ菜園で作ったものであるが、出来不出来があるので今年
 は見送ったのだ。ここいらの中間地では大体10月頃に種を蒔く。
 だから、これは今頃蒔いてちゃんと芽が出るものかと先ず疑った。

 「同封の土をカップに入れて、やさしく水を掛けて全体を湿らせ、豆のお歯黒の
 部分を下に向けてその土に埋める。」
 そこまではいいが、温度管理が大変だろう。なにしろ説明書には「蒔きどきは
 一般に秋。初夏に収穫。」とあるのだから。
 発芽条件は15~25℃とあるから、冬蒔くとすれば暖かい部屋で、十分に太陽
 の光を当てなければ・・・。水も丁寧に与えた。

  

 疑心暗鬼で蒔いた種は年を越し、何と七草粥の日(1月7日)2個の種のうち
 1個が先ずわずかに芽を出した。丹精の甲斐があったわけだ。
 (この日三女が女児を産んだ。4人目の孫。)
 3日後には2個目も芽を出した。

  
  (1月7日)


 芽を出すと新芽はどんどん大きくなっていく。
 本葉が4~5枚になったら大き目のコンテナーに移植し肥料をやればどんどん
 大きくなって・・・、夏のビールに間に合うかもしれない。

  
  (1月11日)
  
 

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旧水戸街道を歩く(その5)

2009年01月05日 | 里歩き

北柏から我孫子宿まで

 正月の、のんべんだらりとした生活ですっかり鈍ってしまった身体を叱咤激励
 しなければと、水戸街道歩きに復帰した。箱根駅伝の選手諸君の力走を見て
 いれば、いつまでも炬燵で酒なんぞ飲んでばかりいてはいられまいて。
 
 前回は北拍で相棒がギブアップしたので3時で引き上げた。今日は風もなく、好
 天続きなので絶好の機会と、利根川を越えることにした。しかし、出足が悪く
 駅頭に立ったのが11時30分。なんとも締まらない時間だが、藤代辺りまで行
 ければ御の字かと出発。

 水戸街道は国道6号の西側を行く。ここ根戸地区には立派な家が多い。
 やがて6号を陸橋で越える。

     
     北柏駅前                        蝋梅         見事な柿と立派な家

 我孫子駅手前で常磐線の下をくぐる。その手前にあった「日立精機」工場跡地
 は立派なマンションになっていた。

 我孫子市はその昔(大正年代)武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉、杉村楚人
 冠、中勘助など多くの文人墨客が住み、さながら白樺派の文化村の様相を呈
 したわけだが、武者小路実篤が日向の地に「新しき村」を作るため手賀沼を
 去った頃から次第に居を移す人が増えて、今はその居宅跡などが観光名所の
 ようになっているだけで、文化人の住み着いた地のイメージはだんだん薄れてき
 ているようである。

 子之神道の道標を過ぎると、左手にかやぶきながら立派な家が見えてきた。
 元脇本陣「小熊家」である。
 やがて道はJR成田線を越えて、急坂を登り下りし、国道6号に出る。途中に
 「駅伝出場・ご声援ありがとうございました・中央学院大学」の横断幕がかかっ
 ていて、なかなか用意が良いわいと感心した。

      
   子之神道標       脇本陣「小熊家」      JR成田線        中央学院大学

 我孫子宿から取手宿まで

  
国道6号は交通量が多く、空気も悪い。やがて河川敷を含め1.4キロに及ぶ
 「大利根橋」を渡る。川風が強く帽子も飛ばされそうな冷たい北風が吹いていた。
 河川敷はゴルフ場である。何度かプレーしたので、懐かしさが甦る。
 川の流れは橋の長さからすればなんとも狭いものだ。
 筑波山が次第に大きく見えてくる。 

     
     青山台          筑波山           大利根橋       ゴルフ場

                       
    日本橋から37キロ(ただし国道ベース)    坂東太郎は今日は静か

  大利根橋から川沿いの道に下りて、進むとかつて子供らが小さい頃「取手七福
  神巡り」で訪れた「長禅寺(創建は平将門)」の下を通って本陣町、上町、中町
  と進む、、奈良漬の「新六」の隣は「田中屋」という造り酒屋跡。
  「八坂神社」の脇を利根川土手に向かう。土手下は運動公園になっていて、凧
  揚げに興ずる家族連れが多い。その先に、どうやら「小堀の渡し」があったらし
  いが位置は定かではないらしい。
  取手本陣跡は「八坂神社」の近くで、かやぶきの本陣(復元)はまだ公開されて
  いない。
     さすがに取手宿ともなると街道筋らしい、旧い家を見かける。

     
     長禅寺         奈良漬「新六」        小堀の渡し      八坂神社

  
    旧い重厚な家

  取手宿から藤代宿まで

   
道は取手市の東郊外を進むが、車関係、ホームセンター、総合スーパーなど郊外型
  の大規模店舗が目白押しである。
   藤代駅に向けて3.5キロ、ひたすら歩く。次第に広々とした田圃が広がって
  くる。関東平野の有数な穀倉地帯に入っているのだ。

    
   騒々しい路線バス   常磐線の踏み切り     藤代駅に到着

  
今日は何やかやで17.6キロ(4.5時間)歩いてようやく藤代駅に着きました。
  (以上第5話終わり) 


  

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謹賀新年・箱根駅伝

2009年01月03日 | その他

波乱の年明け
  先ずはこのブログをご覧の皆様に、恙なく新年を迎えられたことに慶賀
 のご挨拶を申し上げます。
  古来年が改まることは、たとえその年に、社会諸相の不安、政局の波乱、
 経済の混乱が確実に予想されようと、常に「おめでたい」ことと決まって
 いる。なべて皆、人生って不思議なもので、未来たちは人待ち顔して微笑
 むと信じているからかもしれない。
  人生確かに何が起きるか分からない面があるが、殆ど確信的に予測で
 きることが多い。年齢を重ねればそんな予測能力だけは高まる。高望みを
 してもそう簡単に物事は実現できないこともだんだん分かってくる。
  ところが実現を願っていたことが現実のものとなり、しかも夢に見た記録
 更新が夢以上の新記録になったという男が箱根駅伝往路優勝の立役者・
 柏原だ。

箱根駅伝

  このところ毎年1月2日と3日は東京箱根間大学駅伝(箱根駅伝)に夢中
 になる。家人は「たかが駆けっこに、4時間も5時間もテレビにかじりついて・
 ・・結果が分かればいいのに」のようなことを言うが、そんなものではない。
 母校の選手が走っていたり、ひいきの大学が奮闘するのを見て夢中にな
 るのは、結果だけではない、途中経過が面白いからだ。毎年ドラマがある。
  何がドラマかといえば、個人の能力を超えたものがいくつもあって、ドラマ
 化する要素がタンとある。個々の選手の当日の体調、天候・気温もあるが、
 監督の作戦(選手配置)、ライバルの動きを見ての戦略建て直しなど当たり
 も外れもあって、監督は頭が痛いだろう。途中棄権に陥った選手がいたり
 すると気の毒で胸が痛くなる。

  今年は早稲田と駒大の争いといわれたが、駒大は15位と振るわず、か
 つての強豪校順天堂大、東海大なども下位に低迷。結局スーパールーキー柏原
 を擁する東洋大と早稲田の争いになった。何度となくシーソーゲームの展開
 を見せ、目が離せない。
 (8区10時現在)

  昨年は母校中央大は往路一時2位になったが5区の山道で9位に転落
 した。結局最終的に何とか7位に滑り込んだ。今年も一時3位争いをした
 ものの11位。上野のようなスターの存在が如何に大きいかを物語ってい
 る。TV中継は大体が1・2位争いが中心で、10位当たりをうろうろしてい
 てはめったに映らない。
  確かに20人抜きの2区ダニエル(日大)などは注目の的であるが、花は何
 といっても箱根の山登り5区だろう。
 「山を制するものが箱根を制する」とは、まさに然りである。柏原という逸材
 を見出し、1年生ながら勝負所に起用した東洋大の佐藤監督(代行)は得
 意絶頂であろう。

 まだ第85回箱根駅伝は壮絶な争いが続いている。

   駅伝を目に擂るニンジン離乳食



 

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