~社民党北信越ブロック能登半島地震現地調査~
4ヶ月たっても片付かないのはなぜ?
社民党北信越ブロック幹事会で能登半島地震被災地の現地調査を5月7-8日の二日間で実施し、長野県からは中川代表、石合幹事長が出席しました。
■液状化の内灘町
最初に訪れたのは、金沢市から車で30分の内灘町。社民党石川県連合副代表の清水文雄町議に案内をいただきました。5月8日に開催された第49回石川県災害対策本部員会議の資料によれば(以下同様)、内灘町は死者ゼロ、負傷者4人、住宅被害1,754棟、。特に地盤が砂地である海岸段丘下の宮坂、西荒屋、室の三地区は液状化の影響による家屋損壊が著しい場所です。今後、住み続けるためには地盤強化をしなければならず、どうしていくのかは方針がまだ決まっていません。
この地域にある西荒屋小学校の子どもたちは、今は近くの他の小学校に通っていますが、校舎の改築に6年かかるそうです。今年の1年生は、この校舎で学ぶことはありません。地震発生後最大7,000世帯で断水しましたが、現在本管は復旧済み、ただ各家庭への引き込み管の補修が間に合っていないため断水状態の家庭が沢山あるとのことでした。
■瓦礫が片付かない七尾市
次に七尾市を訪れました。案内は社民党七鹿支部長の角三外弘(かくみ そとひろ)さん。七尾市は、死者5人、負傷者3人、住宅被害13,682棟、167人が現在も市内の避難所に生活をしています。案内いただいた七尾港では地割れや、1977年に建立された日中友好の碑である「一衣帯水碑」が無残にも倒れて破損していました。一本杉町では1階部分が損壊し2階部分が残っている家屋や、明治初年創業の和ろうそく店をはじめ多くの店舗、住宅が損壊していました。
角三さんは、1月1日の地震で津波警報が出たため、避難所となっている近くの3階建てのコミュニティーセンターに奥さんと非難をしました。停電の中、余震が続くので怖くて2日間避難所にいました。停電は1週間ほどで復旧しましたが、断水が復旧したのは2月半ば。角三さんの家から車で30分ほどのところの能登島にある奥さんの実家には井戸があるので、1週間分の洗濯と、市営の温泉に入りに行っていました。他の人は金沢や富山県氷見市にあるコインランドリーを利用していました。
現職の党員は職場で安否確認ができますが、退職者とはNTTの電柱が傾き電話が使えない状態になり、携帯電話も停電で充電できず、連絡が取れませんでした。1月半ば以降社会新報の配布を再開し、全員の安否確認ができたのは1月末となりました。党員の中には、七尾市を出て隣の津幡町に中古の一軒家を買った人もいます。
震災から4ヶ月以上が経つのに、瓦礫などが一向に片付いていかない現状があります。その原因は公費解体で片付けようと考えている人が多いため時間がかかっているということと、土木事業者が圧倒的に少ないということもあります。加えて、行政職員の中に下水道の専門家がいないということもあります。七尾市の視察をしているときに名古屋市の水道事業協会の車が通っていきましたが、全国からの支援がないと復興は進みません。宿泊は七尾市にはなく、羽咋市まで戻りました。
■珠洲原発つくらなくてよかった!
翌8日は、珠洲市へ向かいました。行く途中の道は何十カ所も陥没していて工事中で2時間半かかりました。これでは人も資材もなかなか運ぶことは大変だなあと思いました。
珠洲市では被害の大きかった宝立地区を視察しましたが、ほぼ全壊状態に唖然としました。珠洲市全体では、死者103人、負傷者249人、住家被害7,220棟、現在避難者551人です。かつて珠洲市に原発建設計画があり住民の反対で断念させた寺家は、津波と地震で多くの家屋が損壊、漁港は1m以上隆起しています。「原発をつくらなくてよかった」が率直な思いです。
■輪島市朝市、戦争の焼け跡のよう
珠洲市から輪島市へ向かう。やはり2時間半かかりました。輪島市の被害状況は、死者106人、負傷者516人、住宅被害は14,816棟、現在避難者1,023人です。
案内は、社民党輪島支部長の神戸さん。神戸さんのお宅は損壊していませんが、長年輪島市議をしてきた高田さんは全壊して避難所にしばらくいましたが、今は金沢市内の子どもの家に避難していてお行き会いすることはできませんでした。高田さんは、無農薬の美味しいお米をつくっていて、社民党石川県連合の旗開きでいただいたことがあります。朝市のあった場所は、まるで戦争により破壊された様相です。言葉がありません。ほとんど片付いてもいません。2012年12月衆議院選挙のとき北信越ブロック議長として街頭宣伝で能登半島を一周したことがあります。その時輪島の朝市で高田さんと街頭宣伝をしたことがありますが、その面影の一かけらもないという状況でした。
■志賀原発、廃炉しかない!
その後、海岸線が4m隆起した門前に行き、地球の営みの巨大さに信じられない思いでした。
志賀原発の視察はできませんでしたが、福島党首が交渉し原発内の地震計のデータが示されていますが、膨大な数字で解析ができていませんが、海岸線が4mも隆起するような地震の影響がないはずがありません。地震後、絶縁油が大量に漏れ出し内部電源が一部喪失したこと、加えて避難経路となる道路が破損し通行不能になることなど、志賀原発をはじめ国内すべての原発は、いったん事故になれば逃げることは不可能であり、廃炉しかありません。6月30日には金沢市内で「さよなら!志賀原発全国集会」が開催されます。全国から大勢の人の参加をお願いします。