20170831 社民党松本総支部「街角トーク」@新村交差点〜中川ひろじ代表
「月曜の声」は、社会民主党松本総支部が毎週月曜日の朝7時半から松本駅前で行っている定例の街頭宣伝のことです。「月曜の声」は、社会党時代の1985年から始めたと過去の大会議案に書かれていました。当時は毎月第2月曜日に行っていましたが、今からちょうど25年前の1992年の大会議案にはこの年は毎週行い、南松本駅前、北松本駅前でも行ったと記載されていました。1992年は松本市長選挙があり、現職和合候補が二回目の挑戦となった有賀候補に92票差で敗れる大激戦の市長選挙があった年でした。国政ではPKO法が強行採決された時でもあり、この年の夏の参議院選挙長野県選挙区では社会党は小山一平氏に変わり今井澄氏が信州社会党の議席を守り抜きました。当時の社会党松本総支部は北澤清功衆議院議員、谷口登県議、松本市議は太田二三、小原仁、田口哲男、田口悦久、高山芳美の五人いた時でした。
「月曜の声」は、その後途切れ途切れに行われていましたが、2000年山口わか子衆議院議員が誕生してからニュース作成を私が担当し、そこから回数を数え始めて、今日で500号となります。ですから回数でいえば1000回近くになると思いますが正確には分かりません。2000年に再開したころは、やはり月1回でしたが2001年㋈11日の同時多発テロ以降、毎週行うようにして今日まで続けています。選挙期間中は政党の活動が制限されるので、「月曜の声」としての街頭宣伝はできませんので、号数としては行ってきた年数にの割には少なくなります。
今は、この「月曜の声」のほか毎日市内各所で「街角トーク」としてお話をさせていただいていますが、「月曜の声」には格別の思いがあります。その時々の政治の情勢や課題をニュースにして配布してきましたが、天気一つ見ても寒い日、暑い日、雨の日、雪の日、風の強い日がありました。そして社民党に対する風の変化も如実に受けてきました。ニュースを積極的に受け取ってくれる人は多いとは言えません。今は毎回200枚印刷して持っていきますが取ってくれる人が100人を超えれば多い方です。中には突き返したり、これ見よがしに丸めて捨てたりする人も過去にはいました。でも、それがその時の政治に対する、そして社民党に対する率直な市民の皆さんの気分を反映しているものだと感じてきました。
最近は、昔は振り向きもしなかった高校生の皆さんが比較的ニュースを取ってくれるようになっています。やはり女性の方は、取らない態度がとりにくいこともあるかもしれませんが、中年男性に比べれば取ってくれる方が多いように感じます。
松本駅周辺も2000年以降の17年間でも変化がありました。2007年に今の駅舎の改築が完成し東西自由通路ができました。駅前の公園も最初のころはケヤキの大木が鬱蒼としていてムクドリの巣となり、夕方のけたたましさは凄いものがありました。駅前公園の管理も今は指定管理者が行うようになり、私たちの活動も有料となっています。
話は変わりますがソウル市ではパクウォンスン市長に変わってから市民が自由に発言できる場を市役所内につくっています。松本駅前が今後も自由な空間として市民の自由な発言や表現の場であることを大切にする松本市であってほしいと「月曜の声」500回目に思います。(中川博司)
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