長野県は10月27日東日本大震災「避難者の思い」調査結果について、プレスリリースしました。
富山市内のホテルで又市征治参議院議員の10周年記念集会があり、社民党北信越ブロック協議会議長として出席しました。記念講演会は佐高誠さんでした。
佐高信講演会、演題は「原発安全神話は誰がつくりあげたのか」です。
佐高信「原発文化人50人切り」出したが、いろいろ言われても、本はうれている。固有名を出して批判しないと懲りない人たちがいる。家人は「辛口じゃなくて軽口」だと言うが。青森県知事選挙で、賛成はの応援にアントニオ猪木に1億円を払ったが、一体どれ程の金で利用されてきたのか。
佐高信「推進派は、全く反省していない。世論は、多分反省しているだろうと思っているのは、素人のあさはかさだ。東京電力の株主総会では、録音録画は禁止と書かれていても、メディアが疑問を感じないおかしさ。かつまた議長が、計画停電と言ったが、計画は示されていないし」
佐高信「電力は戦争で国家管理に置かれた。GHQが来て現在の電力会社体制になった。電力会社のなかには国家に対すろ警戒心をもった人もいる。勲章を拒否した。松永某。その弟子の平岩がいしは勲章をもらった。」
佐高信「平岩に、国家と緊張関係にあるべきだ。先輩のきがわだは、あんぜんには気をつけろと、福島へ持っていったが、あとに続いた平岩は…。会社の社長をチェックするものはなくなった。」
佐高信「社宅制度は日本的なもの。会社から離れられない。市民と隔絶されている。労働組合も同じ。9分社化は電産労組潰しでもあった。発電と送電の分離、話が消えかかっている。原発安全だと言ってきた人が発送電の分離に反対している。」
佐高信「脱原発ができるかどうかは、送電と発電の分離にかかっている。」
佐高信「原発の問題も、自治体が最後は頑張らなければならない。小なりと言えどもいつか大となる」
又市征治参議院議員10周年記念パーティーで、湊谷道夫後援会長から3期目を目指すよう要請していると挨拶。福島みずほ党首も、頑張ってほしいとエールをおくる。
又市征治挨拶、「がんばる」
twitterでコメントいただきましたので紹介します。
@ichigekistk一撃筆殺
@nakagawahiroji 「軽口評論家」佐高さんの奥さんのナイス突っ込みですね。一億円は猪木の秘書だった佐藤久美子さんの証言、告発ですから佐高さんのスクープじゃないです。
@ichigekistk一撃筆殺
@nakagawahiroji 株主総会で経営陣が紙おむつをはいていたというのは佐高さんのスクープでしたね。名誉毀損だと反論しないところを見ると本当なのかもしれません。
@ichigekistk一撃筆殺
あい@nakagawahiroji 松永安左衛門です。松永の弟子筋が木川田一隆でそのまた部下だったのが平岩外四です。松永と木川田は勲章をもらいませんでしたが平岩外四は勲一等を。佐高さんに「勲章を固辞するほど私は偉くないんです。」と言ったという。
@ichigekistk一撃筆殺
@nakagawahiroji 電産労組つぶしをやったのが元関東配電労務部長だった木川田一隆(平岩外四の師匠)です。そもそも送発電分離に反対して九電力体制にしたのは松永安左衛門。
10月27日岡谷市カノラホールで長野県戦没者追悼式が開催され出席しました。ホールの外のナナカマドが青空に映えていました。
仙台から自主避難されているAさんのお話の要旨。
■地震
3月11日、その日は下の子どもの保育園の謝恩会でした。突然強い揺れが3分間ほど続きました。数日前にも震度4-5の強い揺れがありましたが、3分も続く地震は初めての経験です。最初の揺れからすぐに子どもを園庭に連れ出しました。雪が降った後でぬかるんでいました。お母さんの中にはストッキングのまま飛び出た人もいてグチャグチャニなっていました。保育園そのものは被害が無かったので、それぞれが帰路につきました。近くにある学校へ長女を迎えに行き家に帰ると、ベッドの上にいろいろ落ちていて、これが夜だったら死んでいたかもしれないと思いました。内陸なので津波の被害はありませんでした。まず考えたのは、夜の暖房の確保です。これまで電気を使うFFファンヒーターやオイルヒーターを使っていましたが、親の部屋は灯油ストーブだったのでみんなでその周りに毛布や布団にくるまって一晩を明かしました。夜は怖い。農家の人はビニールハウスで過ごした人もいます。プロパンガスは使えたのは幸いでしたし、水源に近く水も濁っていましたがチョロチョロ出ていたことも幸いしました。職jの材料を探しにコンビニへ走りましたが何もありません。翌翌日から人を制限しながら販売を始めていました。ガソリンスタンドも、スーパーもどこでも長い行列です。灯油は父親の同級生がスタンドをやっていてもってきてくれたので助かりました。ガソリンは1週間たってからようやくタンクローリーが入ってきて、整理券を配って支給されました。5日目で電気が水道が復旧しました。学校は4月の中旬から始まりましたが給食は6月に入ってからです。乳製品や納豆が手に入りませんでした。
■放射能
3月14日ころからワンセグやラジオで福島原発で水素爆発が起きたというニュースを知り、これはえらいことが起きていると知りました。発電機でパソコンはつかえたのでインターネットを通じて情報を収集しました。それまでは、原発は安全なものと思い込んでいました。(つづく)
■地震
3月11日、その日は下の子どもの保育園の謝恩会でした。突然強い揺れが3分間ほど続きました。数日前にも震度4-5の強い揺れがありましたが、3分も続く地震は初めての経験です。最初の揺れからすぐに子どもを園庭に連れ出しました。雪が降った後でぬかるんでいました。お母さんの中にはストッキングのまま飛び出た人もいてグチャグチャニなっていました。保育園そのものは被害が無かったので、それぞれが帰路につきました。近くにある学校へ長女を迎えに行き家に帰ると、ベッドの上にいろいろ落ちていて、これが夜だったら死んでいたかもしれないと思いました。内陸なので津波の被害はありませんでした。まず考えたのは、夜の暖房の確保です。これまで電気を使うFFファンヒーターやオイルヒーターを使っていましたが、親の部屋は灯油ストーブだったのでみんなでその周りに毛布や布団にくるまって一晩を明かしました。夜は怖い。農家の人はビニールハウスで過ごした人もいます。プロパンガスは使えたのは幸いでしたし、水源に近く水も濁っていましたがチョロチョロ出ていたことも幸いしました。職jの材料を探しにコンビニへ走りましたが何もありません。翌翌日から人を制限しながら販売を始めていました。ガソリンスタンドも、スーパーもどこでも長い行列です。灯油は父親の同級生がスタンドをやっていてもってきてくれたので助かりました。ガソリンは1週間たってからようやくタンクローリーが入ってきて、整理券を配って支給されました。5日目で電気が水道が復旧しました。学校は4月の中旬から始まりましたが給食は6月に入ってからです。乳製品や納豆が手に入りませんでした。
■放射能
3月14日ころからワンセグやラジオで福島原発で水素爆発が起きたというニュースを知り、これはえらいことが起きていると知りました。発電機でパソコンはつかえたのでインターネットを通じて情報を収集しました。それまでは、原発は安全なものと思い込んでいました。(つづく)
昨日に続き、地元の建設部長への陳情です。「奈良井川水系河川改良促進期成同盟会」の陳情です。要望個所は10個所です。私からは、女鳥羽中学校に私が在学した時から女鳥羽川の清掃が始まり、住民から愛されている河川であることを強調し改修を要望しました。
次に「国道143号改良舗装期成同盟会」の陳情では、特に地元であるので現在進められている東区から、さらに少年刑務所から追分交差点までの改良を強く要望しました。
最期に「松本佐久地域高規格道路建設促進期成同盟会」の陳情では、北関東自動車道ができたことでこれまで福島まで7時間かかっていたのが、5時間に短縮されたように、その役割が県内の東西路線を結ぶ必要性や、災害対策などについて要請しました。
松本市は学校給食センターで食材の産地表示と放射能測定を始めた。本日、宮下正夫・田口輝子両市会議員と実際の様子を見学させていただいた。機械は、サーベイメーターで1分間にいくつの放射線が飛び込んでくるかを測る機械で、通常食品検査に使われている シン チレーター式のものではないので、野菜の表面から飛び出す放射線を測るため、放射能の量であるBqではなく、cpm(カウントパーミニッツ)つまり1分間にあたる放射線の数を調べる機械です。国の食品の暫定基準値は500Bqだが、ウクライナ基準で40Bqを基準としていますが、それに相当するcpmは350cpmとして設定がされているそうです。仮に350cpmを超える野菜が検出された場合はもちろん食材として使用はしません。今日のBG(バックグランド=通常値)は65-70で、新潟産大根と八ヶ岳産白菜はいづれもBGと同じ値でした。そもそも暫定基準値が500Bqでいいのかという問題や、きちんとシンチレーター式のもので測る必要があることなどが課題です。
さて、ここでtwitterで連絡をとっていた仙台から自主避難してきているAさんとお行き会いし、お話を聞きました。これまでにも、9月9日の知事記者会見による避難地域以外の福島の方の自主避難者への支援についての周知の方法などについて問題提起をいただき、危機管理室避難者支援PTへ連絡をしてきました。さらに11月20日の知事と避難者の皆さんとの懇談会について、福島県外の方も対象とすることについての周知が必要と言うことを今日確認をしました。また、避難されている方の課題として、住むところ、仕事などについて県へつなげることを確認しました。
さっそく、避難者支援PTへ知事や防災twitterで周知をはかっていただくことを要請しました。また、これまでの避難者の皆さんからのアンケートの回収によって個別の課題について、たとえば仕事のあっせんや民間住居への移転などについて相談に乗っていることもわかりましたので、こうした課題の整理と対応についてもお知らせをしてほしい旨お願いしました。
本日、我が会派「改革・新風」で、「平成24年度予算編成と当面の課題に関する提案書」を知事に手渡し、主要課題について説明をしました。提案書は基本的な施策が27項目、各部への要望は192項目にのぼります。おもな課題について竹内幹事長から提言し、阿部知事からは感想が述べられました。
①予算編成でシーリングにこだわることなく選択と集中で編成することについて、「県庁内に財政的に厳しく大きなものはできないという風潮があるが重要なものはしっかりあげていきたい」と知事答弁。
②放射線対策で安定ヨウ素剤の備蓄は「慎重に対応したい」。
③自然エネルギーの推進については、「小水力・木質バイオマス・太陽光が長野県の三本柱、複合的な対策を考えていきたい」
④観光については、「夏場回復したが気が抜けない、国際農村青年宣言を活用したい」
⑤「コモンズから始まる信州ルネッサンス革命未来への提言」は廃止する方向。
⑥自治基本条例、「行政改革通じて県民参加のルールを確立したい。」
⑦新交通ビジョンについて「地域の足を確保する。道路は危機管理や観光など目的を明確にして整備を進めたい」
⑧公契約条例、「いろいろ検討すべき課題はあるが、行政が発注する事業で悪い環境をt食ってはならないと考えている」
⑨35人規模学級は「財源、量と質(部屋数と先生の確保?)の問題を解決したい」
⑩県立高校の整備、「全体の中で着実に進めていく」
⑪リフォームについて、「方向性は出していく、県産材の活用はもっと本質的な対策を考える」
⑫パーソナルサポートサービス、「さらに拡充する」
⑬水資源の保全は「踏み込んで対策を考える」
⑭事業仕訳「唯一絶対ではなく、いい形に発展させていく。県民モニター制度は実現の方向で検討したい。」
⑮流域下水道の直営化は、「関係者の理解を得ながら進めていく」
このほか倉田代表から「福島からの避難者の皆さんへの支援の在り方としてパーソナルサポートサービスを活かしたらどうか」という提案にも「前向きに考える」旨感想がのべられました。
筑摩野幹線道路等整備促進期成同盟会建設部長要望
この道路は、「松本都市圏総合都市交通計画」において、地域の重要な幹線道路として位置づけられ、国道19号(塩尻市桔梗ヶ原地籍)から松本平西南部を経由し、国道158号松本市波田地籍に接続する道路です。課題は波田地籍で松本電鉄上高地線との交差、波田ー山形のルートの確定などです。
県道新田松本・土合松本・松本空港線整備促進期成同盟会建設部長要望
まず新田松本線は朝日村から山形を経由し島立荒井の国道158号までの県道です。課題は島立の高速道路側道区間の整備、南和田の歩道の延伸、上古見地区の歩道の整備、南和田~記念碑歩道新設、竹田バイパス整備促進です。つぎに県道土合松本線は、朝日村から鎖川右岸を通り松本市今井地区を経由し笹賀までの道路です。課題は、赤坂橋付近の整備、朝日村下洗馬地区の整備です。県道松本空港線は、今井中村地区から笹賀までの県道で、菅野交差点の整備が課題となっています。
出席した県議それぞれから、生活道路であるので優先的に整備を進めてほしい旨要請をしました。
主要地方道奈川木祖線整備促進期成同盟会建設部長要望
この道路は国道158号奈川度ダムから奈川地区から木祖村を通り国道20号までの道です。今回留保されていた予算が追加され、木祖村内の境峠押出間の整備が進むことになりました。今後、158号、19号との交差点、奈川地区内の狭いトンネルの改修などが課題となっています。