
1985年広島の青年たちが核兵器の廃絶に向けて始めた「反核平和の火リレー。長野県では、2年後の1987年に第1回反核平和の火リレーがスタートした。当時、私は松本市役所の労働組合の青年部長をしていたが、大切な運動であるので松本地域でも何とか成功させようと努力した。私が走ったのは、山清路から坂北へ向かう山道で、走り始めたと同時に猛烈な夕立にあったことを覚えている。22年前は、県も入れて122自治体だった。今は81自治体。オバマ米大統領の核軍縮に向けた動きを歓迎するとともに、世界中から核兵器が廃絶されたとき消されるという広島市平和公園の平和の灯であるが、一刻も早くその日が来るように私もがんばりたい。
7月25日地元の岡田夏祭りに顔を出した。夕立が少しあったが、大勢の皆さんで賑わっていました。今年で24回目を迎える「岡田夏祭り」。立ち上げに協力した一人として、20周年に公民館報に寄港した文章を下記に掲載します。
昭和59年夏、伊那の歌舞劇団「田楽座」の公演にあわせて青年会が発足した。岡田では青年団活動が昭和42年位まで続いていたが、その後出張所に旗だけが残っていた。当初、田楽座の公演を実行委員会で引き受けるつもりで準備をしていたが、この際「青年会」をつくって、青年会主催でやろうとなってきた。この田楽座のチケットを岡田の中を青年会でチケットを売って歩いた(何日も何日も仕事が終わってから出張所に集まり、チケットを売りに歩いた)。この経験が、後で夏祭りの協力券を売ることにつながった。そして、田楽座の舞台の幕間に青年会の出番があり、男は顔を黒く塗ってパフォーマンスをやり、女性は「岡田音頭」を踊った。とにかく田楽座の公演は成功し、青年会の活動がはじまった。田楽座の太鼓の演奏に魅せられた青年会のメンバーは、それから毎週1回伊那の富県にある田楽座まで太鼓と笛を習いに行った。夕方6時頃出発し、田楽座に着けば7時30分、それから9時まで練習し、岡田に帰ってくれば夜中だった。この練習の成果を発表したのが翌年の60年5月5日の岡田神社と伊深神社の例大祭だった。演目は「ぶちあわせ太鼓」と「寄せ囃子」。青年会の活動は、それから市青連にオブザーバー参加し、演劇や合唱、郷土芸能として太鼓の練習を続けた。太鼓の練習場所には困った。出張所でやっていたが下手なのでうるさがられ、田溝池の植物センターを借りることになりありがたかった。そのうちに、岡田には岡田神社と伊深神社があるが、岡田中が集まるのは運動会だけだから、岡田全体のお祭りをやろうという声があがってきた。どうせならでかく花火をあげよう、真下から見上げる花火をあげようと燃えた。第1回目は、昭和61年の夏、500円の協力券を作り、またまた青年会で岡田中にチケットを販売して回った。花火のスポンサーのお願いにも歩いた。お祭りの準備も忙しかった。舞台は、仲間のトラックを借りてきた、中央にやぐらを組み、協力券の引き替えに「うちわ・かき氷・花火」を配ることに。屋台も出して、豚汁、金魚すくい、わたあめの販売。岡田希望の家と交流し、一緒に「夏祭り」の塔もつくった。保健補導員会の協力で一人暮らしの高齢者のふれあい夕食会もおこなうことに。とにかく、青年会がいろんなみなさんの協力をいただきながら、準備をして夏祭り本番を向かえた。第1回目の会場は小学校の南側のグランドだった。本当にみんな集まってくれるのか心配だったが、夏祭りは盛況だった。最後に、みんなでカウントダウンをした。「5,4,3,2,1,0」「ヒュルヒュル…ドーン」と花火の大輪が開く、みんなが岡田の夜空を見上げていた。老いも若きも、障害を持った仲間も、みんなが花火を見上げていた。最後にあがったスターマイン。しばらく余韻に酔いしれていた。やってよかった。翌年は、岡田神社が太鼓を新調し自前の太鼓も加わった。さらに2回目からは、町会連合会や社会福祉協議会など地区内の団体の皆さんと実行委員会を結成して開催することになった。各地区公民館はそれぞれ工夫した屋台を出してくれた。舞台では、大声大会、米俵投げ、長靴飛ばしなど笑い声が響いた。そして、最後にあがる花火。確か2回目には、希望の家に16ミリの映写機を贈ることも出来た。「ドーンとあがる花火、ドーンと胸に響く、ドーンと岡田中に広がった」夏祭りのように思う。
昭和59年夏、伊那の歌舞劇団「田楽座」の公演にあわせて青年会が発足した。岡田では青年団活動が昭和42年位まで続いていたが、その後出張所に旗だけが残っていた。当初、田楽座の公演を実行委員会で引き受けるつもりで準備をしていたが、この際「青年会」をつくって、青年会主催でやろうとなってきた。この田楽座のチケットを岡田の中を青年会でチケットを売って歩いた(何日も何日も仕事が終わってから出張所に集まり、チケットを売りに歩いた)。この経験が、後で夏祭りの協力券を売ることにつながった。そして、田楽座の舞台の幕間に青年会の出番があり、男は顔を黒く塗ってパフォーマンスをやり、女性は「岡田音頭」を踊った。とにかく田楽座の公演は成功し、青年会の活動がはじまった。田楽座の太鼓の演奏に魅せられた青年会のメンバーは、それから毎週1回伊那の富県にある田楽座まで太鼓と笛を習いに行った。夕方6時頃出発し、田楽座に着けば7時30分、それから9時まで練習し、岡田に帰ってくれば夜中だった。この練習の成果を発表したのが翌年の60年5月5日の岡田神社と伊深神社の例大祭だった。演目は「ぶちあわせ太鼓」と「寄せ囃子」。青年会の活動は、それから市青連にオブザーバー参加し、演劇や合唱、郷土芸能として太鼓の練習を続けた。太鼓の練習場所には困った。出張所でやっていたが下手なのでうるさがられ、田溝池の植物センターを借りることになりありがたかった。そのうちに、岡田には岡田神社と伊深神社があるが、岡田中が集まるのは運動会だけだから、岡田全体のお祭りをやろうという声があがってきた。どうせならでかく花火をあげよう、真下から見上げる花火をあげようと燃えた。第1回目は、昭和61年の夏、500円の協力券を作り、またまた青年会で岡田中にチケットを販売して回った。花火のスポンサーのお願いにも歩いた。お祭りの準備も忙しかった。舞台は、仲間のトラックを借りてきた、中央にやぐらを組み、協力券の引き替えに「うちわ・かき氷・花火」を配ることに。屋台も出して、豚汁、金魚すくい、わたあめの販売。岡田希望の家と交流し、一緒に「夏祭り」の塔もつくった。保健補導員会の協力で一人暮らしの高齢者のふれあい夕食会もおこなうことに。とにかく、青年会がいろんなみなさんの協力をいただきながら、準備をして夏祭り本番を向かえた。第1回目の会場は小学校の南側のグランドだった。本当にみんな集まってくれるのか心配だったが、夏祭りは盛況だった。最後に、みんなでカウントダウンをした。「5,4,3,2,1,0」「ヒュルヒュル…ドーン」と花火の大輪が開く、みんなが岡田の夜空を見上げていた。老いも若きも、障害を持った仲間も、みんなが花火を見上げていた。最後にあがったスターマイン。しばらく余韻に酔いしれていた。やってよかった。翌年は、岡田神社が太鼓を新調し自前の太鼓も加わった。さらに2回目からは、町会連合会や社会福祉協議会など地区内の団体の皆さんと実行委員会を結成して開催することになった。各地区公民館はそれぞれ工夫した屋台を出してくれた。舞台では、大声大会、米俵投げ、長靴飛ばしなど笑い声が響いた。そして、最後にあがる花火。確か2回目には、希望の家に16ミリの映写機を贈ることも出来た。「ドーンとあがる花火、ドーンと胸に響く、ドーンと岡田中に広がった」夏祭りのように思う。
昨日、衆議院が解散となって世間の雰囲気もガラリと変わった。あいさつ回りをしていても、真剣に話を聞いてくれる。ちょっと前なら、「選挙?何の選挙だい?衆議院選挙?いつあるだい?」という感じだったが、8月30日のゴールが決まった。私自身も、一言一言に力が入るし、有権者の皆さんの反応も次第にはっきりしてくる。緊張感がだんだん高まる。
写真は、あいさつ回りの途中で、しきりに水たまりを覗いている方に会い、何をしているのか聞いてみると「日食を見ている」と言われて、はじめて「あー、長野県は部分日食なら見れる」ことに気付いた。その時は、すでにピークを過ぎていたが、あいさつ回りの途中で急にあたりが暗くなった感じを思い出した。その時は「今日は天気が悪くて、暑くもなくいい塩梅だ」と思ったが、その時が一番長野県でも太陽が一番んかけた時だったと後から思う。

写真は、あいさつ回りの途中で、しきりに水たまりを覗いている方に会い、何をしているのか聞いてみると「日食を見ている」と言われて、はじめて「あー、長野県は部分日食なら見れる」ことに気付いた。その時は、すでにピークを過ぎていたが、あいさつ回りの途中で急にあたりが暗くなった感じを思い出した。その時は「今日は天気が悪くて、暑くもなくいい塩梅だ」と思ったが、その時が一番長野県でも太陽が一番んかけた時だったと後から思う。


松本市安曇地区で語る会。冒頭テレビで河野洋平衆院議長が「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」とテレビ報道。あれ?憲法第7条って?
第七条天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
明日は、解散の日。8月30日に向けて猛ダッシュ。いくつかお知らせがあります。
◆以前お知らせした友人の中村隆宣くんのコンサートは、21日に変更になりました。午後7時にHANAへ集合!
◆21日(火)17時から松本駅前で街頭宣伝。
◆22日(水)穂高・明科、23日(木)豊科・三郷で「語る会」を開催します。詳細は事務所へお問い合わせください。事務所TEL0263-33-1700
◆24日(金)福島みずほ党首が応援に来ます。17:30松本駅前。
◆24日(金)19:30梓川改善センターで「語る会」。
◆27日(月)18:00山形村いちいの里「語る会」、19:30朝日村小野沢公民館「語る会」
◆28日(火)19:30島内青島会館「語る会」
◆29日(水)19:30四賀会館「語る会」
◆以前お知らせした友人の中村隆宣くんのコンサートは、21日に変更になりました。午後7時にHANAへ集合!
◆21日(火)17時から松本駅前で街頭宣伝。
◆22日(水)穂高・明科、23日(木)豊科・三郷で「語る会」を開催します。詳細は事務所へお問い合わせください。事務所TEL0263-33-1700
◆24日(金)福島みずほ党首が応援に来ます。17:30松本駅前。
◆24日(金)19:30梓川改善センターで「語る会」。
◆27日(月)18:00山形村いちいの里「語る会」、19:30朝日村小野沢公民館「語る会」
◆28日(火)19:30島内青島会館「語る会」
◆29日(水)19:30四賀会館「語る会」