こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

滝川事件

2010-04-27 22:20:17 | 活動日誌


滝川事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

事件の発端 [編集]
事件は、京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授が、1932年10月中央大学法学部で行った講演「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」の内容(トルストイの思想について「犯罪は国家の組織が悪いから出る」などと説明)が無政府主義的として文部省および司法省内で問題化したことに端を発するが、この時点では宮本英雄法学部長が文部省に釈明し問題にはならなかった。ところが1933年3月になり共産党員およびその同調者とされた裁判官・裁判所職員が検挙される「司法官赤化事件」が起こり状況は一変することになった。この事件をきっかけに蓑田胸喜ら原理日本社の右翼、および菊池武夫(貴族院)や宮澤裕(衆議院・政友会所属)らの国会議員は、司法官赤化の元凶として帝国大学法学部の「赤化教授」の追放を主張、司法試験委員であった滝川を非難した。

滝川の処分と京大法学部の抵抗 [編集]
1933年4月、内務省は滝川の著書『刑法講義』『刑法読本』に対し、その中の内乱罪、姦通罪に関する見解(後者については妻にだけ適用されることを批判した)などを理由として発売禁止処分を下した。翌5月には斎藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に滝川の罷免を要求した。京大法学部教授会および小西総長は文相の要求を拒絶したが、同月26日、文部省は文官分限令により滝川の休職処分を強行した。

滝川の休職処分と同時に、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示したが、大学当局および他学部は法学部教授会の立場を支持しなかった(農学部評議員であった湯浅八郎教授(のち第10・12代同志社総長)が法学部教授会支持を表明しているのは数少ない例外である)。小西総長は辞職に追い込まれ、7月に後任の松井元興総長(理学博士、のちに立命館大学学長)が就任したことから事件は急速に終息に向かうこととなった。すなわち松井総長は、辞表を提出した教官のうち滝川および佐々木惣一(のちに立命館大学学長)、宮本英雄、森口繁治、末川博、宮本英脩の6教授のみを免官としてそれ以外の辞表を却下、さらに鳩山文相との間で「滝川の処分は非常特別のものであり、教授の進退は文部省に対する総長の具状によるものとする」という「解決案」を提示した。この結果法学部教官は、解決案により要求が達成されたとして辞表を撤回した残留組(中島玉吉、末広重雄、牧健二など)と、辞表を撤回せず解決案を拒否した辞職組に分裂し、前記6教授以外に恒藤恭および田村徳治の教授2名、助教授5名、専任講師以下8名が辞職という形で事件は決着した(年末には残留組に近かったとされる宮本英脩が復職した)。

学内外の支援運動 [編集]
京大法学部の学生は教授会を支持し、全員が退学届けを提出するなど処分に抗議する運動を起こし、他学部の学生もこれに続いた(このとき文学部の大学院生・学生のグループで活躍したのが中井正一、久野収、花田清輝、高木養根、古谷綱正らである)。さらに東京帝大など他大学の学生も呼応し、7月には16大学の参加により「大学自由擁護連盟」、さらに文化人200名が参加する「学芸自由同盟」が結成された。『中央公論』『改造』などの総合雑誌、『大阪朝日』などの新聞は京大を支援し文部省を批判する論説を多く掲載した。しかし大学の夏期休暇などもあり学内の抗議運動は終息、自由擁護連盟も弾圧により解体した。学芸自由同盟も翌年には活動停止状態となったが、前記の中井、久野などこの運動に参加した学生のなかから『土曜日』『学生評論』『世界文化』など反ファシズムを標榜する雑誌メディアが生まれ、自由主義的文化運動は「非常時」下でなおも命脈を保った。

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並行在来線問題 信濃町との懇談会

2010-04-27 11:35:45 | 公共交通

4月26日新幹線開通に伴う並行在来線問題で信濃町との懇談が行われました。「今のままでは、並行在来線が新潟県境で分断されるのではないか」「もっと新潟県と歩調をあわせられるよう努力すべきではないか」など貴重なご意見をうかがいました.

関連情報 たけちゃん活動・生活日誌
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松本市民環境大学-これからの公共交通と街づくり-

2010-04-27 11:28:30 | 公共交通

4月24日(土)松本市Mウィングで、松本市民環境大学が主催する「住みやすい”まち”ってどんな”まち”?」-これからの公共交通と街づくりーと題してシンポジウムが開催されました。

基調講演は、日本経済新聞社産業地域研究所主任研究員の市川嘉一さん。このほか信州大学教育学部教授石澤孝さん、松本市交通政策課長寺澤健さん、松本電気鉄道株式会社鉄道部長久保澤秀明さん、同乗合営業部長鈴木立彦さん、信州大学医学部教授木村貞治さん、中央東高砂通り周辺地区まちづくり推進協議会会長早田覚弥さんらが、それぞれ問題提起をしました。

この間、さまざまバス鉄道の活性化に向けて取り組みを進めてきましたが、あらためて「都市計画と公共交通政策の連携」と「利用者の利便性の向上」について、もっとしかり取り組む必要を感じました。
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4.25県民大会 93,700人

2010-04-25 18:46:36 | 活動日誌
4月25日開催された沖縄県民大会主催者発表で93700人と発表された。
 

琉球新報の生中継を見ようと思ったが、アクセスが集中したらしくて、開会時間中は見ることができず、終了後見ることとなったのは残念無念。

琉球新報 沖縄タイムス社 朝日新聞 読売新聞 毎日新聞 共同通信 日経新聞
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4.25沖縄県民大会に連帯しよう!

2010-04-22 23:20:22 | 憲法・平和・沖縄




長野県にいても沖縄県民に連帯できる。
4.25は、一日黄色のものを着用しよう!


■政府にイエローカード うちわ、リボンで思い共有
米軍普天間飛行場の国外・県外移設を求める県民大会に向け、各市町村の実行委員会は、県内移設に反対し、政府へ警告の意思を示す黄色を使ったうちわや乗車券、リボンを作成する取り組みを進めている。各実行委では参加住民に配布する計画で「気持ちが共有できる」「県民の怒りを示したい」と話す。
 与那原町の実行委員会は約500枚のうちわに黄色い紙を貼り付け「基地はいらない」などと記した。実行委が手配したバス10台に乗車する住民に配布する。北谷町は黄色のバス乗車券を作成し、町内から出発するバスに乗る住民へ配布する。
 離島の座間味村は集団での参加が難しいため、黄色いリボン600本を全戸配布し、大会当日、身に着けたり玄関などで飾ったりするよう呼び掛ける。
 宮里哲村長は「黄色を身に着けることで気持ちを共有したい」と意気込む。(琉球新報4月22日)



琉球新報が当日生中継を行うようです。

■テニアン誘致を決議 北マリアナ上院議会 日米政府に要求へ
米自治領北マリアナ諸島の上院議会が16日、米軍普天間飛行場の移設先として同諸島のテニアン島を検討するよう日米両政府に求める決議を全会一致で可決していたことが分かった。あて先は米国防総省、日本政府など。27日には下院議会で同様の決議が行われる見通し。
 決議は普天間の移設先を検討する日米両政府に対し、東南アジアの防衛の拠点として北マリアナ諸島とテニアンを移設地として検討することを求めている。
 米国防総省がすでにテニアンの3分の2を租借していることや、東南アジアの防衛の観点からも地理的な優位性があると指摘。米軍人と家族に近代的な生活・娯楽施設が提供できることにも触れ、「北マリアナ諸島は普天間の移設を心から歓迎することを宣言している」としている。
 今月9~11日にテニアンを訪れ、テノリオ下院議長やデラクルス・テニアン市長から在沖海兵隊受け入れの意思を伝えられていた社民党の照屋寛徳国対委員長は「決議は住民の強い意思表示。日米両政府は重く受け止め、北マリアナ移設を交渉してほしい」と述べ、同地域への移設の実現可能性を強調した。(4月22日沖縄タイムス社)


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並行在来線問題懇談会IN飯綱町

2010-04-22 20:53:14 | 公共交通

4月12日の県・長野市に続いて、今日は飯綱町の皆さんと並行在来線問題の懇談会をもった。飯綱町には、県立北部高校があり、360人が通っている。このうち4分の3の270人が通学に利用しているということや、長野市方面への通勤に利用しているという話。鉄路を絶対に守らなければならないと強く訴えられていた。

関連情報 竹内久幸県議のブログ
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春だからチューリップ

2010-04-20 09:56:04 | 季節風物

4月18日金沢へ出かけ、途中色鮮やかな畑が目にとまり、何かなと近づくと「チューリップ畑」だった。そうか、ここはチューリップ生産で有名な砺波かと思い、シャッターを切った。
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社民党大北総支部結成大会

2010-04-20 09:53:48 | 活動日誌

4月17日社民党大北総支部結成大会が開かれ、竹内久幸代表と出席した。これまで社会党時代から、小谷・白馬が北安北部総支部、大町市が大町総支部、松川・池田・美麻・八坂が北安南部総支部として活動をしてきた。県連合は、平成の合併に伴い総支部の再編を進めてきたが、昨年の衆議員選挙を一体的に戦ったことを契機として、この日の結成大会を迎えることとなった。代表には伊藤晃二氏が就任した(写真左端)。関係者など80人が参加した。伊藤代表は結成に至る経過を説明するとともに、「大北地域は、このままでは大変厳しい。地域の皆さんとともに力をあわせて、誰もが当たり前に生きていける、ここに住んでいてよかったと思えるところにしていきたい。とりわけ大町病院の問題や地域公共交通の活性化に取り組むたい」と決意を述べた。
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春なのに雪

2010-04-20 09:46:57 | 季節風物

朝起きると一面銀世界だったというのは、冬にはよくある風景だが、4月も半ば過ぎにこんなに雪が降った経験は多分ないと思う。マスコミは高遠のコヒガンザクラが花を咲かせたまま雪の重みに耐えかねて何本も折れたという報道をしていた。沖縄に帰った呉屋悟町議からお礼の電話が入ったが「こっちは雪です」というと大変驚いていた。写真を見てください。下のほうに写っているのは我が家の水仙です。
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呉屋悟西原町議の訴え

2010-04-14 22:09:46 | 憲法・平和・沖縄
呉屋悟(ごや・さとる)さんは、1977年生まれの33才。現在、普天間飛行場のある宜野湾市の東に位置する西原町の議員。

 「1995年の少女暴行事件で沖縄県民の怒りは頂点に達し8万人集会がもたれ、日米政府は普天間飛行場の5年ないし7年以内に撤去変換する約束をしたが、条件は辺野古への新基地建設が付けられた。これに対して97年名護市の住民投票で受け入れないという意思表示をした。基地はいらないという民意は昔も今もはっきりしている。しかし、その後の市長選挙や県知事選挙では、受け入れ容認と振興策にまどわされ、民意と選挙の結果はいびつな状態が続いた。それが2008年の県議会での与野党逆転、そして昨年の衆議院選挙での政権交代。1月の名護市長選挙で勝利し、民意が統一された歴史的な瞬間を向かえ、2月県議会で一人の退場者も出さずに全会一致での決議を採択した。」


「基地あるがゆえに事件事故が絶えないばかりか漁業などにも大きな影響がある。普天間基地は宜野湾市の4分の1、483㌶という広大な基地が町の真ん中にズーズーしく居座っている。緊急車両も迂回せざるを得ない。2004年の米軍ヘリの墜落・爆発・炎上、基地は戦争をし人を殺すための施設。これ以上沖縄に基地はいらない。沖縄にいらないものは、全国にもいらない。普天間基地撤去を日本から基地を撤去していくスタートにしよう」

「4月25日10万人規模の県民大会を開催し成功させる。仲井間知事の出席がポイントだ。西原町では15日に実行委員会を開催し、町・議会・商工会・老人会・婦人会・青年会・自治会・社協・などに呼びかけて、300人バス6台で参加する。5月15日の平和行進、16日の普天間基地包囲行動を成功させ歴史的な平和運動にしたい」

デモ終了後、夕食を食べながら、吾屋さんと色々お話をした。昨日の新潟県、今日の長野県、明日の富山県、いずれも始めての訪問地だそうだ。新潟の広大な平野を見てビックリ、天気が悪く垣間見ることしかできなかった北アルプスの大きさにビックリした様子。沖縄は30度で半そでシャツで来たが、新潟では雨の中での集会、長野は昼間は暖かかったが夕方には冷え好み、布目長野市議のコートを借りる。一言で言えば熱い男。「普天間基地を県外・国外へと言えば、全国はどう受け止めるのか。やっぱり基地はどこでもいらないというのが私の真情」と最後に語る。
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