■ソ連・東欧の社会主義体制の崩壊から30年
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
社会民主党松本総支部は、70年を超える歴史を刻んできました。衆議院議員では、旧長野4区において、1952吉田正、1953年萩元たけ子、1955~1983下平正一、1990~2000北澤清功、2000山口わか子。参議院議員では、1950~1962棚橋小虎を輩出してきました。
しかし、社会党から社民党に党名変更をし、衆議院に小選挙区制が導入され、社民党の一部も合流して民主党が結成され、2003年以降国会議員をつくることができず、候補者の擁立も厳しくなってきました。
最近では、全国的には一部社民党国会議員や党員・党組織が立憲民主党に合流をし、現在福島みずほ参議院議員、新垣クニオ衆議院議員の2人となっています。
それでも、社会民主党に残り現在の資本主義社会から次の社会を目指す政治勢力が必要であると考えています。新自由主義政策を続ける自民党政治の限界は明らかですが、一方で政権交代可能なもう一つの保守中道政治は立憲民主党などが目指しています。当面する選挙において政策的には立憲民主党や共産党などと議論を重ね、新自由主義に代わる政策を実現する政権交代を目指して協力していくことは必要なことです。
大阪市立大学准教授の斎藤幸平氏の「人新世の資本論」が40万人を超える人々に読まれています。1989年ソ連東欧の社会主義体制が崩壊し、日本においては「社会主義」という言葉が死語となりました。それから30年の時を経て、「社会主義」という言葉を日本において復活させただけでも斎藤幸平氏の「人新世の資本論」の意味はあると考えています。もちろん、ソ連・東欧の社会主義を知らない世代から見れば新たな境地に映ることでしょう。
■現代社会の矛盾は資本主義社会の限界の象徴
斎藤幸平氏は「人新世の資本論」の中で、格差と貧困の拡大を止めることも気候変動への対策も資本主義社会ではできないのではないかという問題提起をしています。批判だけでは、人々を説得することはできませんが、置かれている現状とその原因に対する批判がなければ、次の社会への展望を描き出すことはできません。
新型コロナなど新興感染症は、自然環境の破壊によって、眠っていたウイルスや細菌との「未知との遭遇」であると言われています。資本主義社会のもとで、自然環境の破壊を止めることができるでしょうか。世界の中で大量生産大量消費が行われ、資源が際限なく掘りつくされ、つくられたものは世界中を駆け巡り、もはや開拓できる市場は極めて限られています。市場が限られている中で、経済成長を求め続けるならば、それは働く人からの搾取を強化する以外にありません。日本においては3分の1の労働者が、非正規雇用となり、低賃金で働き、景気の動向に合わせた「雇用の調整弁」になっています。
これまで、社民党はこうした社会の有り様について、疑念を提起してきましたが、次の社会の有り様まで明確に示すことができていないのは、東欧の社会主義体制の崩壊は無縁ではありません。今回の衆議院選挙の結果が示すように、有権者は次の社会への展望よりも、自民党内の弾力性や維新によりましな政治を期待した結果だと言えます。
■「労働者協同組合」「アグロエコロジー」「公共の再建」
では、どこに次の社会を目指す力が宿っているのでしょうか。斎藤幸平氏は、晩年のマルクスが何を研究していたのかということを、マルクスの「抜き書き」「端書き」を読み解く中で、マルクスは「共同労働」や「アグルエコロジー」を研究していたのではないかという問題提起を「人新世の資本論」の中で展開しています。
時を同じくして、世界では労働者協同組合の運動が生まれてきました。日本では戦後の失業対策事業から生まれた労働者協同組合の運動が、今年10月に施行される法律の下に新たな展開が始まろうとしています。
先の世界大戦で、爆弾という窒素化合物をつくっていた化学会社が化学肥料をつくり、生物兵器をつくっていた会社が農薬をつくり、「食と農」の世界で支配を強めています。TPPなどの動きは、こうしたグローバル企業に日本の市場を売り渡すものとなっています。これに対して、グローバル企業の支配を拒否し、自然や有機農業と結びついた地域づくりを進めようとしている人々がいることは、決して偶然の産物ではありません。
さらに、東日本大震災や度々襲う台風災害、そして新型コロナは、日本における公共の脆弱さを露わにしました。中曽根臨調行革が、イギリスのサッチャーイズム、アメリカのレーガノミクスと共に新自由主義的な政策として始まり、国鉄の分割民営化に象徴される三公社五現業の民営化、福祉分野のアウトソーシングが行われてきました。いったん民営化されれば、儲からなければ淘汰されていきます。赤字の線路はレールがはがされていきました。公立病院だけが狙い撃ちされて縮小を強制されています。
次の社会のもう一つの有り様は、「公共の再建」です。このことは、かつて東京大学の宇沢弘文氏の「社会的共有資本」にもつながるものであり、斎藤幸平氏の「市民参加型の公共」とつながるものです。
以上の考え方は、社民党の中で共有されているわけではありません。斎藤幸平氏の考え方がすべて検証されているわけでもありません。当然、資本家側からの批判も、あるいは純粋理論的な批判もあるでしょう。しかし、はっきりしているのは、自民党政治の限界は資本主義社会の限界の象徴であるということです。これまで自民党の政治は歴史的に極めて弾力性に富んだ政治を行ってきました。時に野党の主張を巧みに取り入れ、国民の不満を吸収してきました。気候変動対策でも、世界で「グリーンニューディール」「緑の資本主義」が進められる中で、日本においても「新しい資本主義」を標榜せざるを得なくなっています。これまで通りではいかなくなっていることの表れですが、これまでのように「弾力性」で乗り切れないところまで来ているというのが斎藤幸平氏の主張です。
■有機農業、地域公共交通、水道の広域連携、再生可能エネルギー
TPP推進のため、様々な分野で規制改革が行われてきています。私から見れば資本主義社会の断末魔の悲鳴にも聞こえます。農業分野で戦後の食糧自給を支えてきた根幹法の一つである種子法が廃止されました。国会ではたったの5日間の審議であったので、多くの国民は何が起きたのかさえ分かりませんでした。意のある人々によって、種子法の廃止は化学肥料や農薬への依存を高めてグローバル企業に日本の農業市場を売り渡すものであるという真実が明らかにされるにつれ、種子法に代わる条例を都道府県レベルでつくろうという市民運動が広がっていきました。
地域公共交通の衰退は、小泉構造改革の下で行われた規制緩和が原因でした。水道の民営化は、まさにTPPのもとで行われています。公共交通も水道も人間が生きていく上で必要なインフラです。生きていくために必要なインフラは赤字だからと言って切り捨てるわけにはいきません。公共としての再生が必要な分野なのです。
気候変動対策として再生可能エネルギーへシフトしていくことは進めなければならないことです。しかしCO2の吸収源である森林を無秩序に開発して太陽光発電施設や風力発電施設を、先を争ってつくることはいかがなものでしょうか。
現実社会の中で、行ったり来たりしながらも、確実に次の社会が準備されています。その芽を大切に育てながら次の世代へバトンをつないでいく一年にしたいものです。