松本地区原水禁の仲間と昨年に引き続き福島県いわき市へ向かう。松本からは米や野菜を積んで楢葉町の仮設住宅の皆さんや、放射能測定を独自に行っているお母さん、さらには原発労働者のかけこみ相談を受けている労働組合などへ渡す。最初に訪れた場所は、いわき市薄磯地区、昨年は地ならしされていた災害公営住宅が建設され入居していた。集合住宅85戸、戸建18戸です。薄磯地区の住宅は、いわき市全体で津浪被害にあった方が対象です。もともと薄磯地区に住んでいる方が優先的に入れるような仕組みになっています。今後、全体で1513戸が建設されます。
一方福島原発の事故による避難地域の大熊町、双葉町、富岡町、浪江町の皆さんは、県がつくる復興公営住宅で、現在土地を取得し建設の準備に入っています。
しかし、帰町宣言が来春出される楢葉町からの避難者は復興公営住宅にははいれません、加えて補償が打ち切られることから高齢者の皆さんの先行きへの不安はなくなりません。
いわき市にある楢葉町から避難している仮設住宅の皆さんのお話を聞いています。仮設住宅での生活が続いている。来年春過ぎに帰町宣言が出されても、生活ができる環境が整備されるのか、放射能は大丈夫か、家族がバラバラで高齢者だけで帰れるのか、補償は続くのか、さまざまな不安がストレスとなっているそうです。この状況を視察に来た国会議員は誰もいないそうです。煮物を出していただきましたが美味しくいただきました。
福島第一原発(1F)で働いている労働者のお話。1Fは、半分以上は双葉郡に住んでいた皆さんで、仮設住宅等からかよって来ている。3.11で一旦離れたもともと1Fで働いていた方も三割くらいいる。
朝530に仲間が迎えに来てくれて40分かけてJビレッジに向かいます。そこで、検査、着替えて1Fに向かいます。再び作業着に着替えて940作業開始。夏場は一時間、今は二時間の作業時間です。
放射能は毎時0.1ミリシーベルトくらい。二時間で0.2ミリシーベルト。(単位はミリシーベルトです。通常の空間放射線量はマイクロシーベルトです。1ミリシーベルトは、1000マイクロシーベルトですから、0.1ミリシーベルトは、100マイクロシーベルトです。どれほど線量が高い中で働いているのでしょうか)
今の政府の原発労働者の作業基準は、5年で100ミリシーベルト、1年で50ミリシーベルト。平均して一年20ミリシーベルトが規制値。20ミリシーベルト÷0.2ミリシーベルト=100日。
一日危険手当て込みで14000円。年間140万円。
1Fでの作業基準は、0.9ミリシーベルト、5分の1で、警報がなり作業はストップとなる。
鉛で覆われた線量計が問題になってから、窓つきタイベックに変わるなど線量管理は厳密に行われている。
昨年とあまり変わらない風景、除染された土はフレコンパックに入れられ仮置き場に詰まれビニールシートがかけられています。今後、焼却処理を行い中間貯蔵施設に埋められます。
途中見た復興途中の防波堤と東電の広野火力発電所。
富岡駅周辺。津波に襲われたまま手がついていない状況。
案内をしてくれた元富岡町会議員関友幸さんのお宅。排水口の上で10マイクロシーベルトを越える放射線量。裏の白木蓮は、見事な大木で、ライトアップもしていたそうです。
3.11以降、どこからか来た牛が二匹物置に住み着いていたそうです。今は猪が出掛けてきます。
人間はいつから住むことができるでしょうか。
除染労働をしているMさん。労働者の半数以上が福島県内出身者。つぎは東北5県。被曝はこわいけど仕事がない。
福島第一原発で働くIさん。WBC(ホールボディカウンター)の結果は、2250cpm(カウントパーティミニッツ)。事故前は、2000cpmで再検査。
いわき母笑みネットの千葉さん。追加被爆を少しでも少なくしたい思いから学校給食を食べさせたくないけど、子どもは学校で皆と違うことが苦しい。学校給食を食べようと提案するお母さんに、それではお母さんの思いを踏みにじることになると二人で泣いている姿。
楢葉町からの避難生活が3年8ヶ月。来春には帰町宣言が出されるが、放射能への不安、ソフトインフラへの不安、家族がバラバラノままへの不安、補償が打ち切られることへの不安。
栃木、千葉など遠方で生活を始めた人は戻らない、戻れない。右も左も分からない場所で高齢者の認知症が進んでいく。故郷の皆さんがいる仮設住宅に入れてホットできた。
仮設住宅は、助け合いが出来るが、自立している人は一人で頑張らざるをえない。
津浪で家が流されたのに特例宿泊ができることの通知が届く悲しさ。
直接行き合ってお話を聞かなければ分からない福島の皆さんの思い。
この思いにどれだけ私達は寄りそうことができるだろうか。
原発の事故さえなければ!
元の生活に戻りたい!
もう原発はいらない!
つながろう福島、広げよう脱原発。