こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

社民党福島みずほ党首長野県知事選の応援に

2010-07-28 00:28:48 | お知らせ
社民党福島みずほ党首
長野県知事選挙の応援に入る

日時 7月31日(土)17時
場所 松本駅前

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朝鮮高校授業料無償化の陳情

2010-07-28 00:23:03 | 活動日誌
7月27日日朝長野県民会議で、3月に続いて朝鮮高校の「授業料無償化」を求める陳情を文部科学省および社民党に対して行う。今回は、新しくなった参議院会館の会議室で全国各地の朝鮮高校の生徒が訴える院内集会にも参加した。


長野県内で集約した14233名分の署名を文部科学省に提出。


社民党福島みずほ党首へ要請


院内集会で長野県の取り組みを報告する伊藤会長代行

さて、高校生やオモニ会の皆さんの話は、日本人の胸に深く刻まれる話だった。オモニから、「自分たちが受けてきた差別をなぜ子どもたちも受けなければならないのか、在日として日本で生きていく権利を一つ一つ戦いとってきた、本当は子どもたちには日本の高校生と同じように青春を謳歌してほしい。署名やデモや集会をしなければならばならないこと自体が悲しいし、憤りを感じる」とう訴えを受けて、社民党又市副党首は「日本の高校生以上に輝いている。本来は権利は戦い取るもの、すばらしい経験をしている。何としても無償化を一緒に勝ち取りたい」と激励をした。

照屋寛徳事務所の喜久里秘書も来ていたが、「マイノリティーが生きていける社会をつくる、大切にする、日本人が問われている」と長野で開いた沖縄連帯集会で話していたことと在日コリアンの問題が重なって見えた。
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旧大岡村のポスター張り

2010-07-22 13:43:47 | 季節風物
朝から、あべ守一氏の公営掲示板のポスター張りで旧大岡村へ来ています。最近では、めっきり見ないヤギの親子です。



子ヤギは2匹生まれて、2匹ともにオスだったそうで、1匹はもらわれたが、あと1匹残っているそうです。
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社民党、長野県知事選挙 あべ守一氏を推薦

2010-07-19 17:21:11 | 活動日誌
7月19日連休の最終日、社民党長野県連合は7月22日告示8月8日投票の長野県知事選挙において、あべ守一氏を推薦して戦うことを決定した。



あべ氏は「県民の暮らしが揺らいでいる。共に支える確かな暮らし、信州に築く県民主権でがんばる。女性がいきいき働ける社会をつくりたい。地域公共交通、県民・地域が主権でつくりなおしたい、県・市町村・広域連合があるが、住民の思いを実現するためにある。8月8日に向けて支援の輪を広げ、全力で訴えていく」と決意表明をしました。

                        協 定 書


 8月8日の長野県知事選挙を迎えるにあたり、立候補を予定している阿部守一と社会民主党長野県連合は、意見交換会や政策協議を行ってきた。
 その結果、長野県が目指すべき方向について多くの課題を共有することができた。
 よって、ここに下記の基本事項により協定を結び、その実現のため必勝を期すこととする。 

                           記

1 県民生活最優先の基本姿勢のもと、景気・雇用・福祉・医療・環境・教育・人権政策を重視した施策を推進すること。

1 「県民主権」を具体化するための「自治基本条例」を県民参加で制定すること。

1 県民の雇用を守り、格差社会是正のための「公契約条例」の制定を検討すること。

1 県民の「移動権」を守り、環境対策を推進するため公共交通維持・存続への支援を積極的に行うこと。

1 憲法を自治と暮らしに活かし、平和で民主的な県政を築く。

1 必要により政策協議を行う。

1 この協定書は、双方一通を保持する。


2010年 7月19日

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我が家の庭先で羽休め

2010-07-18 16:17:31 | 季節風物


我が家の庭先を黄アゲハが舞っていた。しばらく舞って、羽休みに小枝に止まる。飛んでいかないうちに、カメラにおさめようとする。動じることなく、ずっと止まっている。羽をひらいたところがいいなと思ってシャッターチャンスをうかがうが、いっこうに飛び立つ気配もない。タバコ2本吸って待っていたが、結局はこちらの根気負けで、すみません羽は閉じたままです。
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「韓国併合100年」と日本 「植民地責任」から考える

2010-07-18 10:56:08 | 活動日誌
7月17日日朝県民会議が主催する学習会で同志社大学の大田修教授の講演を聞く。



私が、ノートに下線を引いた部分だけを抜き書きすると以下の通り。

Jリーグでの差別発言事件や「在特会」による朝鮮学校襲撃事件など、民族差別事件が起こり続けているのは何故か?植民地(支配)責任が希薄だからではないか。植民地責任とは、政治的支配全体から生じる責任と被害からの回復を求める側の双方の問題を含んでいる。植民地支配は差別、排除する政治システムだある。日韓条約は強制的なものであったとことを共通認識にしなかればならない。強制連行も、暴力性や賃金の未払いなど強制性をもったものとして理解すべき。日韓条約は最初から植民地責任を問うことを前提としない交渉であった。村山談話で植民地支配を謝罪したことを基礎に、韓国併合は強制であったことを明確にし、個人補償もする政策に転換すべきである。

・・・大学の時、通称「東学党の乱」と呼ばれている、農民反乱を研究していた。苛斂誅求を受けていた農民たちが地主に対して起こした戦いが全土にひろがり、一時は政府と和約を結び、平等な理想郷をつくるところまでいく。しかし政府は援軍を清王朝に要請、日本も加わり農民軍は制圧されてしまい、その後日清戦争に発展していく。なぜ農民軍は負けたのか?一つは、最初に政府軍と戦った時は徹底したゲリラ戦であったが、理想郷ができてからは守りの戦いとなってしまったこと。二つ目には、政府軍と戦った時は、土地を持つ中農層もともに搾取を受ける身としてたたかったが、理想郷では平等政策がとられ中農層も標的とされ、日本軍と戦うときには協力を得られなかったことが農民軍の敗因となった・・・大田教授の話の中に日清戦争で農民軍は間違いなく日本軍と戦っているのだから、日露戦争もそうだが、東アジア戦争というべきという話を聞いてちょっと懐かしかった。

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フランク米下院議員、沖縄の米海兵隊の撤退を主張

2010-07-17 21:16:10 | 憲法・平和・沖縄
フランク米下院議員、沖縄の米海兵隊の撤退を主張

Twitter情報です。保坂展人さんも関心を持っています。
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下嶋哲朗さんがラジオ出演します

2010-07-15 10:28:39 | お知らせ
12月8日永久に不戦を誓う集いで沖縄の問題について講演をいただいた下嶋哲朗さんからラジオ出演のお知らせがありましたのでお知らせします。

暑中お見舞い申し上げます。

現在「世界」(岩波書店)に連載中の「非業の生者たち」――集団自決・サイパンから満洲まで――はおかげさまで好評裏に進行中です(8月後は都合から休載しました)。
1983年に沖縄読谷村のチビチリガマを調査して以来、集団自決は私の脳裏から離れることがありませんでした。連載はその総集編といえるものです。ご一読いただければ幸いです。
さて、この連載にNHKが注目して「NHKラジオ深夜便」が取り上げてくれました。
45分間のインタビュー番組で、私が応答者です。
集団自決は沖縄に関して本土でも多少は注目されました。それは沖縄の出来事のように捉えられているのではと思いますが、そうではなlくサイパン地上戦を緒としてグアム地上戦、テニアン地上戦、沖縄地上戦、そして満州全土に燎原の炎の如くに〝連続〟しました。なぜ止めることができなかったのでしょうか・・・。その犠牲者数は一体何万人に達するのか、それを裏付ける資料はほとんど存在しません。国が国の命に従い自決していった人々の調査を一切しなかったことによります。
・・・・といったようなことをお話します。
放送日は7月17日朝4時15分からです。
朝早くから集団自決のことは気が重いでしょうが、ま、お楽しみに、というお知らせです。
東京事務所にて

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第23回反核平和の火リレー

2010-07-13 16:41:15 | 活動日誌
1988年に第1回目の反核平和の火リレーが長野県で取り組まれてから、もう23回になるのかと感慨深いものがある。1回目のときは、どうやってやるのか、本当に走り継ぐことができるのか、ランナーは集められるのか、試行錯誤だった。当時、私は松本市職労の青年部長で、私自身も卓球部だったので、運動部の皆さんに頼んで松本・東筑160キロを走り継いだ。火は広島市の平和公園に「全世界から核兵器が無くなる時消される」という平和の灯を採火し、白灰カイロに火を移し、長野まで運びランプに火を灯して、約1ヶ月に及ぶリレーを行った。

当時は、県も入れて122の自治体があり、平和都市宣言を行うことや8月6日、9日の平和記念式典への派遣などを要請してきた。当時60余りだった平和都市宣言は、長野オリンピック開催に向けた動きもあり、結果的には104まで確か増えたような気がする。その後、平成の合併で今は自治体の数は県を入れて78まで減った。

後を継いでいる今の青年たちが「語り継ごうヒロシマ・ナガサキ・オキナワの心を」をスローガンとし、「ヒロシマの心とは人間の尊厳を奪うことに対して誰であろうとどんな理由があろうとも、それを許さない行動を起こすことだ」と自治体訪問の折に紹介をしているのを聞いて、若い頃の純粋さや正義感がよみがえってきた。これから8月6日までの長丁場、ぜひ事故などに気をつけて走りぬいてほしい。

ちなみに、今年は平和行政に力を入れている山ノ内町にある平和の丘公園をスタートした。山ノ内町長にお話を聞く機会が得られたが、山ノ内町では7月16日広島から被爆者を招いて講演会を企画している。その話を聞いたある町民の方が、「自分は原爆の閃光とキノコ雲を見た経験がある」と聞き、あわせてお話をしていただくことにしたそうだ。加えて、中学生の皆さんに広島と長崎で開催される平和記念式典に参加してもらい、公民館事業や戦没者慰霊祭などで感想を発表してもらっているとのこと。

被爆体験や戦争体験が風化しつつある。あと残された時間はそう長くは無い。できるだけ多くの方に口を開いてもらい、次代を担う若い皆さんに引き継いでいかなければならないと決意を新たにした。

    第1ランナーの青年、平和観音の前で


    山ノ内町役場で、副町長から平和の火が引き継がれる


   山ノ内町役場から走り始めたランナーの皆さん
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一夜明けて

2010-07-12 19:42:11 | 活動日誌
社民党の2議席目が確定の報が流れたのは、ワールドカップの決勝を見ようと起きていた息子から「お父さん、今、社民党が2になったよ」という声でした。すぐに関係するネットサイトを見るとNHKが2議席目を打っていましたが、共同通信はなかなか打ちません。大丈夫かと思いながら見守っていました。吉田ただともさん、本当によかった。それにしても、沖縄が残念ででならない。自民党の候補者まで普天間基地の県外移設を訴えているのだから始末が悪い。だったら自民党を離党して訴えろよと言いたい。

朝は、定例の月曜の声(松本駅前街宣)に土砂降りの雨の中出かけると、すでにオレンジの桃太郎端で場所とりをしている人がいる。どちらさんですかと聞くと、7月22日告示、8月8日投票で戦われる長野県知事選挙の予定候補者である「あべ守一」さんのお仲間ということ。そうこうしているうちに、マスコミも多数駆けつけてくるなかで、知り合いの記者に聞くと、もう一人の予定候補者である「松本たけし」さんも松本駅前で街宣をするということらしい。

長野県は、参院選が終わったけれども引き続き県知事選挙が戦われるので、いましばらくにぎやかな日が続く。

お二人の街頭宣伝がぶつかり合うように響くのを聞き終えてから社民党の街宣を短時間で行う。民主・自民とも消費税引き上げる、普天間基地は辺野古に移転するということは一致している。2大政党が政策的に手を結ばれれば、少数の意見は切り捨てられる。これからが社民党とすれば正念場だ。声無き声を政治に届ける役割をしっかり果たしていきたい。

     あべ守一さん 


     松本たけしさん
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