保育所に働く皆さんに挨拶。一昨年の参院選でも私は長野県内の保育所を見てきましたが、どこへ行っても正規の保育士さんが3分の1から4分の1。あとは臨時や嘱託の先生。国は、少子化対策、少子化対策と大きな声でいいながら、赤ちゃんを産む場所がない、子どもを育てる場所への支援が薄い、これで本当に少子化対策をしているといえるのだろうか。子どもたちを安心して育てられる環境づくりに全力をあげたい。
社民党の社会保障政策
中条村で本当に久しぶりに「お蚕様」を見た。あー今でもやっている人がいるんだなと眺めいった。私の家も小さい時には蚕室があり、その時期になれば大広間はお蚕様のベッドとなり、夜寝ていても「シャリ、シャリ」と桑の葉を食べる音が聞こえた。私たち子どもの仕事は、桑の葉をもいでくること。自分と同じくらいの背丈のボテに桑の葉をもいで担いできたものだ。思えば私の住む松岡もかつては、桑畑が多かったのに、だんだん農家そのものも減ってきている。各言う我が家も例外ではない。祖父母の時代には専業の農家であった。父母の時代になって、父が勤め3ちゃん農業になった。今では、自分の家で食べるだけのものを母が作ってくれて、私はおすそ分けをいただいている。田んぼも、我が家の長男は1回か2回は稲刈りで稲運びを経験したが、今は近所の人が市民農園風に野菜などをつくっている。農業人口は減っているが、農業に趣味でも携わる人は多くなっているのかな。我が家の3ちゃん農業は、いまや10人くらいの人が農作業を行っているのだから。
労働者派遣法の改正案を今国会へ提出
福島党首のブログを紹介させていただいたが、私たち社民党は「製造業への派遣労働は全面禁止」を主張してきたが、民主党とは専門業種を除くことで妥協せざるを得なかった。依然として企業本位の政治を続けるのか、それとも働く者の立場に立った政治を行うのか、曖昧な民主党との妥協であった。
社会党時代、消費税選挙で勝利したが、自民党が過半数を制している中で、「消費税廃止」を断固主張するのか、「飲食料品の非課税」で妥協するのか、悩んだ結果として「消費税廃止」で押し通した。しかし与党多数の中で、結局何も変えることができなかったことを思い出す。
今回も、社民党の原則を押し通せばまとまらず、次期衆議院選挙で与野党が逆転をしても、具体的に政治を変えることがなければ、国民の政治への不信を取り除くことはできない。何よりも、私たちは政権交代を行い、そして具体的に政治を変えることに責任を持たなければならない。派遣法の改正案は、働く者の立場に立って政治を変えていくための入口である。社民党は、さらに「均等待遇の実現」「最低賃金の大幅な引き上げ」などを通じて、働く者の雇用と暮らしを具体的に守る政策の実現に全力を尽くしていきたい。
福島党首のブログを紹介させていただいたが、私たち社民党は「製造業への派遣労働は全面禁止」を主張してきたが、民主党とは専門業種を除くことで妥協せざるを得なかった。依然として企業本位の政治を続けるのか、それとも働く者の立場に立った政治を行うのか、曖昧な民主党との妥協であった。
社会党時代、消費税選挙で勝利したが、自民党が過半数を制している中で、「消費税廃止」を断固主張するのか、「飲食料品の非課税」で妥協するのか、悩んだ結果として「消費税廃止」で押し通した。しかし与党多数の中で、結局何も変えることができなかったことを思い出す。
今回も、社民党の原則を押し通せばまとまらず、次期衆議院選挙で与野党が逆転をしても、具体的に政治を変えることがなければ、国民の政治への不信を取り除くことはできない。何よりも、私たちは政権交代を行い、そして具体的に政治を変えることに責任を持たなければならない。派遣法の改正案は、働く者の立場に立って政治を変えていくための入口である。社民党は、さらに「均等待遇の実現」「最低賃金の大幅な引き上げ」などを通じて、働く者の雇用と暮らしを具体的に守る政策の実現に全力を尽くしていきたい。
6月22日全国で初めてセブンイレブンの労働組合をつくり、店長の管理監督者訴訟を闘ってきた長野一般労組シーブイエストヨクラ分会の仲間たちと弁護団、支援共闘会議の総括会議が開催された。いわゆる「名ばかり店長訴訟」であり、他にも紳士服のコナカや、マクドナルドでも同様の訴訟が行われてきた。特筆すべきは、組合結成が店長・副店長・社員・パート・アルバイトなど正規・非正規の枠を超えて結成されたこと、裁判はあくまで闘いの一つであり団体交渉を通じて、36協定の締結や残業代の支払い、有給休暇などを勝ち取ってきた取り組みがあったこと。そして、地域において支える体制をつくりあげたことなどがあげられる。今日、働く者がただただ使用者のいいなりに労働基準法に違反しようが、脱法行為をしようが働かされ、「いやなら辞めてくれ」と言わんばかりの中で、「一生懸命会社に尽くしてきたのに、報われない」思いが労働組合を結成し、労働条件の改善、裁判の勝利的和解を勝ち取ってきたことは、私にとっても極めて新鮮で原点を振り返らせる機会となった。