リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

男女差

2008年07月13日 14時38分23秒 | 日々のこと
ニートはどうして男性だけ?という記事がヤフーに出てました。記事によると実際は男女半々くらいだそうですが、女性の場合は家事手伝いというステイタスが社会的に認知されているので、表面に出てこないということのようです。

以前は家事手伝いと男性が称してはいけない、というのが社会通念で、男性がそう言ったところで軽いいいわけに響いてしまうのが日本の社会でした。今もあまり変わらなのかも。

若い頃、リュート弾きになろうというものなら、そんな訳のわからないことをいわんときちんとした正業につきなさい、という答えが跳ね返ってきました。確かにリュート弾きは、今でも大概訳のわからないと言われがちな業種ですが、古楽が社会的に認知されていなかった70年代始めは実際に訳のわからないものではありました。

それでも次男以下はまだ自由があったかもしれません。でも男性は概して窮屈ではありました。女性の場合は、はたから見てるともう少し社会的に自由度が高く、実際モラトリアム期間が長かったと思います。ホント、男に生まれて損したとその頃は思いました。

当時私はその圧力を振り切って音楽専業の世界に飛び込むことはできず、結局28年間潜伏して、やっとリュート専業になったわけですが、当時社会的圧力を振り切ってその道に果敢に進み海外で学んだ人たちもいました。でも成功した人もいましたが、何人かは数年も経たないうちに勉学を断念してしまいました。ある人は帰国を余儀なくされ、ある人は帰国すらできず・・・といった惨状でした。

いろんな方の歩みをその人の才能や置かれた境遇を背景に見てみますと:

才能もあり家も裕福な人は○、才能はそこそこ家は裕福、これも○、才能無し、けど家は裕福、これは結局×、ものすごく才能があるが、家は貧乏、これは○(多少の運も)、才能そこそこ家貧乏、これは△、才能なし家貧乏、× 

という感じで、男性だからとか女性だからという部分は見えてきません。

男に(しかも長男に)生まれて損したと思ったこともありましたが、女性の場合家督的なしばりや社会通念からは多少は自由だったとはいえ、音楽系の場合は長期的総合的に見ると男女の差はそんなに大きなファクターではなかったように思えます。