リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

行進曲(2)

2019年11月19日 10時53分49秒 | 音楽系
団伊玖磨の2曲に対して、おめでたいムードに水を差すようで申し訳ありませんが、奉祝行進曲令和(北原幸男作曲)は残念な曲です。色んな経緯があって、オープンカーの出発には新作行進曲でということになったんでしょうけど、まぁ作曲の方にもプレッシャーもあったんでしょう。ただ純粋に作品として比べてみると、数段落ちるのは否めません。まぁ作曲家としての技量・実績が違いすぎますので、比べるのも酷かも知れませんが。

でも作曲家として無名というかほとんどアマチュアに近い方でも傑作をものした例もあります。それは1964年の東京オリンピックのファンファーレです。この曲は公募が選ばれた曲で、当時アマチュア・オーケストラ諏訪交響楽団の指揮者を務めていた今井光也の作品です。このファンファーレはテレビで何度ともなく流れたとても印象深い曲です。ペンタトニック風の(ペンタトニックではありませんが)テーマで始まるとてもシンプルですが、たった8小節の中に風格、情緒をたたえた傑作だと思います。彼は作曲界の一発屋(失礼!)といった感じで、これ以外に数曲社歌や校歌を書いたくらいだと言われています。この時はきっと音楽の女神の光が彼を照らしたに違いありません。

東京オリンピックでは、マーチを古関裕而が作曲しました。古関はNHKのスポーツマーチも作曲し、これは少しアレンジを変えて現在も使われています。古関のオリンピックマーチは手堅い作りだけどなんかぱっとしない曲だな、と当時中学生だった私は感じていました。特に曲の後半、トリオに向かう部分のメロディの一音が半音下がってくれるといいなと感じます。あと、トリオが終わり、ブリッジからテーマに行くときの転調がちょっと強引だと思いますけど、まぁ慣れの問題かも。NHKのスポーツマーチの方が曲としてずっとしっかりしていると思います。

スポーツ関連のマーチとして現在もよく使われているのは、黛敏郎作曲のマーチです。この曲は黛がまだ学生だった頃に作曲した曲で、ジャイアント馬場の入場テーマとしても有名です。当時黛は超売れっ子作曲家でしたけど、現在では作曲家としての名声はほとんど忘れられています。これは70年代初めから彼が表明していく右よりの政治的姿勢と関係がありそうです。実際70年以降彼はほとんどめぼしい作品を残していません。この頃に才能が枯渇したなんて噂もありましたが、実際は曲の委嘱が全然来なかったということらしいです。