60年代後半から70年代始めにかけてギターを弾いていましたが、今ではギター曲を聴くということはまずありません。(リュート曲も鑑賞として聴くことはありません)
ただテデスコの曲だけはときどき聴きたくなって聞くことがあります。彼はギター以外の曲も沢山書いていて、それらを聴くこともあります。
テデスコの曲で一番最初に聴いたのはギターコンチェルト第1番でしたが、楽譜を買って弾いてみたのはピアノとギターのためのファンタジアです。私が高校2年生のときです。今朝もなんとなく聴きたくなってナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴きながら朝食を頂きました。
購入した楽譜はたぶんセゴヴィアが手を入れていない素のままのものみたいで運指が何も書かれていませんでした。まだ指の技術もそれほどは身についていないのでとても苦労して運指を書き練習をしてみました。
ソロ曲ではないのでピアノを弾ける人を探す必要がありますが、その頃こんな高度な曲を弾ける人は周りには皆無でした。ふと思いついたのが中学校の恩師でした。事情を話してお宅をお邪魔することになりました。立派なグランドピアノが置いてありましたので、実際に曲全体が音になるかと思うと胸が高鳴りました。
では合わせましょう!ということで始めました。最初のピアノの和音が少し違うみたいでしたが、とりあえず続くギターのソロを弾いてみました。この部分くらいは弾けないといけないと思っていたのでよく練習しておいたところです。そのつぎに今度はピアノのソロフレーズが続くはずですがアレっ?音が全く聞こえません。先生がおっしゃるにはこの曲は難しすぎて全く弾けないとのことでガッカリでした。
先生はなぜかピアノを習いに来ている私の同級生について話し始めて「あいつは全然弾けんわ」なんておっしゃっていました。ひょっとして機嫌が悪くなったのかも知れないので適当に話を合わせて早めにお暇しました。(笑)
テデスコについては私はミーハーレベルなので、ギター協奏曲第1番の勇壮な第3楽章を今でもたまに聴く程度のお付き合いですが、今でもとっても好きですワン💕
ところで「セゴヴィアの手の入っていない」というところで、意味合いは異なりますが、中学生の頃イエペスのLPレコードで「アランフェス」と「ある貴紳のための」を初めて聴いたのですが、その中にバッハのシャコンヌが入っていて、それに一目惚れ(一聴き惚れ?)してしまい、シャコンヌのギター版の楽譜(輸入版の楽譜でした)を購入して大事にしてたのですが、それはどうやらセゴヴィア版の楽譜で、丁寧な運指もついていました(ヴァイオリンの譜面のように第一部の後半のアルペッジョの部分が略記されているようなこともなく、今思えばギター弾きにはわかりやすい譜面でした)。セゴヴィア自身の演奏でこの曲を聴いたのはずっと後になるのですが、それまでは繰り返しイエペスのレコードを聴き、自分でも譜面をたどりながら音を出すという作業の繰り返しで、全くのモノマネでしかなかったのですが(しかも超低速で!)自己満足していました。ヴァイオリンによる原曲を聴いてからも、やっぱりギターの音の方がいいな〜って思ってたのですが、バッハが好きというよりセゴヴィアがギター用に音を増やして生み出したギターの響きに酔っていただけだったようですワン🐶
その後、バッハのシャコンヌ遍歴は続き、いろんな演奏家のヴァイオリンで聴き、ギタリストによる演奏も数多く聴き、果てはピアノやチェンバロ、サキソフォンによる超絶的なものまで聴いたのですが(リュートによる演奏を聴きだしたのは最近です)、老境に入った今、ギターによる演奏でいちばんしっくりくるのは、音数の多いセゴヴィア編とは全く異なる響きを聴かせてくれる山下愛陽さんの弾くシャコンヌ。ヴァイオリンの原譜ほとんどそのままの形で、しかも耳障りな音を排したテクニックで弾ききってるんだワン🐶
長々と駄弁を弄してしまいごめんなさいワン🐶