バッハの組曲ハ短調BWV997はラウテンヴェルクのために作曲された作品です。バッハ全集ではリュート曲に分類されていますが、BWV996、998と同様リュートのために作られたものではありません。学術的な書物に、これらの曲について「音域と書法は完全にリュート用」なんて書いてありますが、確かに音域的にはそうですが、書法は全くリュート的ではありません。リュートのシロウトから見れば確かにリュートっぽいですけど、実際のリュートの書法はこんなものではありません。BWV995は自筆のタイトルで「リュートのための」という文言がある通り、こちらは書法的に見てリュート的だと言えます。でも弾きにくいところがあったり、弾けないところもありますが・・・実はこれも完璧にリュートの書法を踏襲したラウテンヴェルク用の作品なのかも知れません。
さて997です。この曲はとても作品として素晴らしいので、リュートはもちろんラウテンヴェルクやチェンバロ、ギターなんかでもよく演奏されます。でもこの曲を演奏する方(特にアマチュアの方)は997の実態をご存じないまま、楽譜を買ってきて弾いている人が多いのではないでしょうか。
この曲についてわかっていることを以下に挙げてみましょう。
1.自筆譜は残されていない。
2.8つの2次資料(以下「原典」)が伝えられている。(当時のタブ編曲も含む。また全楽章そろっていないものも含む)(角倉一朗、バッハ作品総目録による)
3.大半の録音、現代における楽譜は、原典とは異なる。
(続く)
さて997です。この曲はとても作品として素晴らしいので、リュートはもちろんラウテンヴェルクやチェンバロ、ギターなんかでもよく演奏されます。でもこの曲を演奏する方(特にアマチュアの方)は997の実態をご存じないまま、楽譜を買ってきて弾いている人が多いのではないでしょうか。
この曲についてわかっていることを以下に挙げてみましょう。
1.自筆譜は残されていない。
2.8つの2次資料(以下「原典」)が伝えられている。(当時のタブ編曲も含む。また全楽章そろっていないものも含む)(角倉一朗、バッハ作品総目録による)
3.大半の録音、現代における楽譜は、原典とは異なる。
(続く)
BWV997は、最近まで私は、バッハの弟子のヴァイラウホというリュート奏者のタブ譜もあるし、当時、リュートでの演奏もバッハは聴いたことであろうと推定していました。
バッハ自身の日記や近い人物の日記等に、バッハが実際にリュート演奏をしたことがある記載もないことから、事実は永遠に不明ですね。
自筆譜すら発見されていないのですし。
クラギ弾きは、アカデミックなことは関心なく、弾いて気持ちよければそれでいいのでしょう。私も昔はそうでした。自分が弾いて気持ちよければ、それでいいのだと。
ですが、実際にバロックリュートを弾きだしてからは、妥協ができなくなりました。
結局、バッハのリュートオリジナルって、995しか無いじゃないか・・・。
バッハ自身の手で「シュスター氏のためのリュート曲・・」と書いているのですからこれ以上確かな証拠はないのです。
ここで、「シュスター氏」というのは一体何者なのかはどうもわかりませんでした。
一説によると、当時の出版関係者にシュスターという人物があったようですが。
それでも、先生のご指摘のように、コントラGの存在があったり。
リュート曲ではあるが、どこか鍵盤的な技巧が存在し、弾きにくい。
やはりバッハは鍵盤奏者であり、こっちが専門だと思いました。しかし、遺産目録にはリュートが記載されていますから、何らかのコース数を持ったバロックリュートを所有し、995作曲時に、音域の確認とか、自分でも多少は音を拾えたレベルはあったのであろうとも思うのです。
当時ドイツにはホフマンという製作家もいたといいますから、金にモノをいわせて、14コースの特注のリュートを所有していたかもしれません。だとすると、コントラGの音の重要性は相当に高いですし、音域を上げるなどもってのほかだとも思うのです。ですから私は真面目に14コースのリュートを特注しようかどうか迷った時期もありました。でも、1曲のために普段はまったく使わない弦を張って楽器に無理をさせるわけにもいきませんし、結局、13コースでいこうと決心しました。
でも、この曲は難しいですねえ。もうライフワークになってます・・・。
本邦では、最近めっきりバッハのリュート演奏を協会主催の演奏会でも聴きませんし、私も寂しいです。
日本でバッハ演奏といえば、先生と今村先生のお二人しか思い浮かばないのです。
ぜひともお願いいたします。