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卒論が終わって

2009年02月15日 | 大学でのひとこま
今日は日曜日でしたが、LCMが東京から到着するということで、大学に出ました。マシンは無事全快して、さっそく試しに染色したスライドからもさくさく細胞が取れてまずは一安心。BMのTさん、はるばる東京から届けてくださってどうもありがとうございました。

同じ学部のK先生の研究室では3年生がこのLCMを使って実験することになっており、今日はその学生さんに概要を教えることも目的のひとつでした。明日から本格的にサンプリングを始めますので、後ろについて見てもらって覚えてもらいます。

さて、うちの4年生の卒論をK先生にも読んでいただいていましたが、今日そのうちTくんとOさんの卒論を返してくださり、大変ほめていただきました。特にTくんは、成長目覚しく、K先生も驚きを隠せないという(実は私が一番驚いているのですが)ことで、私もとてもうれしく思いました。

本人がこの文章を読むかもしれませんが、まあ信頼関係のある子ですからあえて書きますと、彼は私が一番卒論を心配していた学生です。文章力がないし、英語はできないし、連絡せずに研究室を休むし、単位は落とすし。しかし、物事を深く見ることのできる学生で、ゼミではいつも本質的で重要な質問をし、その質疑を通して周囲の学生が理解を深めており、私はいつも舌を巻いていました。しかしどこまでいっても本人にその自覚はなく、いつも天然自然に「わからないから聞く」というスタンスでした。

しかし彼は実験が相当遅れており、秋ごろ重大なミスもしでかして、私にこてんぱんに叱られるということもありました。しかしそのあと気持ちを入れ替え、集中して実験し、よく挽回しました。また、卒論も丁寧にしっかり調べて緒論を書き考察し、まだ修正はするのですがそれでも、大変立派に書き上げることができました。K先生に「どうしたらこんなに成長できるのか」と聞かれましたが、うーん、その辺は本人にも聞いてみたいところですね。うん、今度聞いてみよう。

思うに、大学というのは、いや、学校というのは、いかに鍛えて成長させるかが勝負で、もともとできる人はどこに行ってもできるわけですから、入学時にそんなにずば抜けてできるというのではない人が、卒業するときに思ってもみなかったレベルまで到達できる、ということがすごく大事ではないかと思います。旧帝大など、すばらしい大学はたくさんあるけれど、そうじゃないところでも、自分を伸ばせる場所はきっとあります。そういう意味で、今年の4年生は3人とも成長著しく、私は寝食削ったかいがありました。(ただしOさんはもともとよくできる人でしたからTくんといっしょにするわけにはいきませんが。そしてTくんも元々力のある学生だったのにちがいありませんが。)

一粒の麦死なずばという聖書の言葉がありますが、教師というのはある意味一粒の麦であればいいと思います。自分ひとりの成長には限界があるけれど、自分のあとにはさらに成長していく数え切れない数の麦が実る。私はまだ死にませんが(つまり私自身もまだまだ成長していくつもりでいますが)、学生さんたちの成長は何よりうれしいと感じます。こういう仕事のできることを幸せに思います。

コメント (4)
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