NHKの大河ドラマなどで、「信長様が申された」といったセリフがよく出てくる。私にはこれが気になってしょうがない。
「申す」というのは目下から目上に言う言葉であって、謙譲語であり、「信長様が申す」はずがない。「申す」という謙譲語に「された」という尊敬語をくっつけるから、よけいに気持ちが悪いのだ。
NHKだけだと思っていたら、民法の時代劇でも「申された」を使用していた。正しくは「おおせになった」である。
もっとも、時代劇のセリフなぞ、時代考証も何もない「ただ、それらしければよい」という発想で書かれているようだから、目くじらを立てるほどのことでもないのかもしれない。
「申す」というのは目下から目上に言う言葉であって、謙譲語であり、「信長様が申す」はずがない。「申す」という謙譲語に「された」という尊敬語をくっつけるから、よけいに気持ちが悪いのだ。
NHKだけだと思っていたら、民法の時代劇でも「申された」を使用していた。正しくは「おおせになった」である。
もっとも、時代劇のセリフなぞ、時代考証も何もない「ただ、それらしければよい」という発想で書かれているようだから、目くじらを立てるほどのことでもないのかもしれない。