院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

臓器移植への疑義

2008-10-01 08:18:46 | Weblog
 延命医療が極限まで先鋭化されたものが臓器移植である。

 臓器移植というのは、どこか変というか、不自然な感じがしないだろうか。他人の臓器(しかも死者の)が自分の体の中で活動しているなんて、不気味ではないか。臓器移植推進論者からは、「自分の子供に臓器移植が必要になったら、おまえは反対するのか」とつっこまれそうだが、反対はしないだろう。でも違和感はある。

 ドナーは今しがた死んだ人である。レシピエントはそのおかげで生きている。だが、ここでも忘れてはならないのは、レシピエントも何年か後には必ず死ぬということである。その何年かのために先端医療は存在する。それを有意義なことと見るか、さして意義のない無駄な努力と見るかは議論が分かれるだろう。ただ、人間は必ず死ぬという点を押さえておかないと、どこか地に足が着かない議論になってしまう恐れがある。

 わが国では幼児の臓器移植は認められていないから、多くはアメリカへ渡る。その料金がべらぼうに高い。億単位である。マスコミは、○○ちゃんの移植のために一億何千万円もの募金が集まったと、美談として報じる。そのお金が最終的にどこへ行くかご存じだろうか。詳しくは私も知らないが、ほとんどのお金がアメリカ人医師の懐に入るとにらんでいる。マスコミがそれを報じないのは、日本人の募金意欲が削がれるのを恐れているからではなかろうか。

 私がわざわざお金の問題を取り上げたのは、そこに南北問題が象徴的に表れているからである。一億何千万円かけて○○ちゃんの命が救われた裏には、発展途上国の飢餓で死んだ大量の子供たちの死体が横たわっていることに思いが及ばなければ、募金は本物ではない。